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あまりに茫然としていたせいで、どのくらいの時間が経ったのかわからない。ただ気付いたときには黄土色の悲鳴のなか、目をまるく見開いた悠里が立ちつくしていた。

「な、な、な…!」

わざとらしいほどのリップ音を立てて悠里を解放した雅臣が、赤い舌でべろりと悠里の唇を舐める。茫然として立ちつくす柊と悠里、喜んでいるんだか何なんだかわからない悲鳴を上げている生徒諸君のなか、雅臣だけがひどく満足そうな顔をしていた。

「ごちそーさん」

ひらひら手を振って、元来た窓の枠に足をかけた雅臣はすぐに見えなくなる。それから柊ははっとして、生徒たちのざわめきの中を悠里の腕を引っ張って走り出していた。いまの悠里に俺様生徒会長の行動は無理だと判断をした、というのもあるし、何より柊の胸はこの間、初めて雅臣を見た時とは比べ物にならないくらいのもやもやでいっぱいだ。

「し、し、した」
「…」
「舌いれられ…、なんなんだあいつまじありえん、ちょっと柊見たか?見たか?舌…」
「お前ちょっと黙れ!」

授業もなにもあったものではない。とりあえず教科棟の第二音楽室まで走ろう、と思いながら、柊は自分の胸のもやもやから目をそむけようと精一杯だった。

「しかもあんなに大勢のまえで…!もうむり柊俺お婿にいけない」
「しっかりしろ俺様生徒会長!こんな時こそマニュアル読んどけ!」

始業まえということもあって、教科棟の廊下に生徒の姿はない。それに少しだけ安心しながら柊は訳の分からない感情に胸を焦がされて呻いた。もやもやして、ムカついて、たまらない。なんとなく理由はわかっていたけれど目を背けていたかった。それが、あの男のせいで。

柊の目の前で見せつけるように悠里にキスをした、雅臣のあの表情のせいで!

勝ち誇ったような、挑発しているような、見透かしているような笑みだった。なるほどあれが生粋の「俺様」の素質を備えた男なのだとどこか納得したような気持ちになる。制服の裾で全力で口を拭いている悠里が生徒会長にならなければ、きっとあの男は、タイプこそ悠里と違えどそれはそれは立派な「俺様生徒会長」になったことだろう。だって、それでなければ、柊の葛藤も目を逸らしていた感情も見越したようなあんな目をしたりはしない。あれは、「これは俺のものだ」とでも言いたげな笑みだった。ちょうど朝、悠里が副会長にやったような。

「あーもう…嘘だろ…嘘だと言ってくれ柊。俺もう学校いけない、むり」
「まあ新聞部がアレを見逃すわけがねえし。明日の新聞の見出しは決定だ。下手すりゃ今日の昼には号外出んじゃねーの」

柊つめたい!と文句を言って寄越す悠里を音楽室に押し込んで鍵をかける。指定席のピアノの椅子に腰かけて、悠里は古びたグランドピアノの上に伏せた。たしかに女みたいにきれいな顔をした親衛隊にすらちょっかいをかけていないような悠里が、いきなり公衆の面前で男にベロチューまでされたら不登校にもなりたくなるだろう。なんと声をかけていいか分からなくて、柊は何も言えないでいる。

「次会ったら殺す。マジコロス」

返り討ちに遭うだけだって、といちおう釘はさしておきながら、柊はぼすりとクッションのひとつに顔を埋めた。この学園において男同士のキスの現場を目撃することは、そう珍しいことではない。椋に読まされた本の中でもよくあることだったので慣れてしまっているとばかり思っていたけれど、いざ目の前で悠里がされているのを見ると少しも慣れてはいなかった。未だに柊は、胸のなかのもやもやと折り合いがつけられていない。

「もー、柊どうしよう。これ俺風紀委員長ルート確定じゃない?完全に個別チャート入ってない?」
「回避すりゃいいだろ、回避」
「まじかよー…俺は氷の生徒会長として鉄壁の守備を誇ったまま卒業するはずだったんだけど」

つまりお前はただ妹へ送るネタが欲しいだけか。いつもの柊なら呆れて声も出なかっただろうけれど、いま、柊は非常に焦っている。なににじらされているかもわからないままに。
それでふいに、思い出していた。このあいだこの男、あいつとフラグ立てると妹ウケがいいとかなんとか抜かしていなかったか。そんな理由で雅臣の思うつぼになられては、困る。なにが困るのかはよくわからないが、困るのだ。

「よし、柊」
「…なに?」

なんて柊がひとりもやもやしていたら、悠里が勢いよく頭を上げた。クッションに埋もれた柊を振り向いて、真面目そうな顔をしている。何か考え付いたのか、と柊が身体を起こすと、かれはその表情のままで口にした。

「なかったことにしよう」

こいつ、アホだ。柊は立ち上がって寄っていって、ぽかりとひとつ悠里の頭を殴る。あいて、と悲鳴が上がったが無視をした。それからすこし考えて、本人が考えてもいなかったことをいう。

「お前、あの風紀委員長のメアドとか携帯番号知ってる?」
「知ってる知ってる。毎日電話来るから着拒にしてるけど」

といって、悠里はストラップの付いていない携帯から雅臣のアドレスを呼び出して柊に手渡した。登録名は俺様風紀委員長だった。この分だと、きっと他もそうなんだろう。なんとなく笑ってしまってから、手早くメールを作成する。

「…え、何してんの?」
「呼び出してみた。一肌脱いでやるよ」
「はあ!?呼び出すってどこに!?」
「屋上に決まってるだろ!」

またマニュアル通りの行動をとってしまった、と自分で言って落ち込みながら、柊はぽんと悠里に携帯を投げ返してきた。あわててそれを受け取って、悠里はわけのわからない顔で柊を見る。

「俺が行ってくる。お前、ここで待ってろ」
「あ、ああそういう…。お前まで俺を風紀委員長ルートに後押しするのかと思ったぞ…」
「ばーか」

逆だっての!というのは呑みこんで、柊は悠里に背を向ける。一発殴っといて!と脳天気な応援が飛んできたのにちょっと切なくなった。





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