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「何度も何度も言ってるけどさ、アルメリカ。おれたちは探偵であって、用心棒だとか便利屋じゃないんだよ」

亜麻色の髪をぐしゃりと掻き混ぜて、困ったように青年が言った。あまり広くない部屋には大きなソファと机が配され、外からは子供たちがじゃれあう声が聞こえてくる。まさしく穏やかな午後の昼下がりであった。

「分かってるわ!今回はきちんと探偵っぽい依頼じゃない!」
「明日の婚礼を中止にしてほしい、っていうのの、どこらへんが探偵なのか教えてほしい」

青年が相手をしているのは、豊かな赤毛を三つ編みにした少女である。彼女は名を、アルメリカと言った。ここ森の国の首都アリアでも、老舗の部類にあたるちいさなパン屋の看板娘である。

「モニカが可哀そうだと思わないの!?あんなデブでハゲな男と結婚させられるなんて!モニカはまだ17才なのよ!」

少女はずずい、と身を乗り出すと、テーブル越しに青年へと詰め寄った。身を引いて、まあまあと青年は彼女を宥めにかかったがその論は止まる様子がない。

「第一、モニカのお父さんが事業で失敗をしたっていうのも嘘に決まっているわ!あの男が若くてかわいいお嫁さんを手に入れるために、裏で手を回したのよ!」
「ええと、アルメリカ?おれの記憶によると、そのデブでハゲな男にはすでに美人なお嫁さんがいたはずなんだけど」
「逃げられたのよ!あんな地位とお金しか取り柄のない男、当然だわ!」

彼女がこの小さな探偵事務所に足を踏み入れてから、ゆうに一時間は経っているはずだ。ちらりと時計を確認してそれが正しかったことを確認してから、困りきって青年は並の女ならば黙り込んでしまうであろう蕩けるような微笑みをアルメリカへと向ける。しかし彼女は残念なことに、かれの整った顔には見慣れていた。なにせ隣人である。それどころか同意を得られたと勘違いをして、さらに思いきりテーブルを両の拳でどん!と叩いた。

「おうおう、落ち着けって。―――で、いくら出す?」
「洸!」

見かねて、といったふうに助け舟を出したのは、さっきから部屋の隅で窓の向こうの町並を眺めていた黒髪の青年である。洸は態度でかく友の隣に腰かけると、そう言って少女の口を塞いだ。

「おまえは黙ってろ、郁人。どうせ依頼も金もないんだから」

少女は大の大人ふたりを相手にしてもまったく物おじした様子を見せず、じっと洸の翡翠の瞳を見据えている。それから意を決したように、化粧っけのないくちびるを震わせた。

「暫くはうちのパン、タダでいいわ」

その一言に、郁人と洸は思わず顔を見合わせた。見飽きたお互いの顔をまじまじと見、それから少女に再度視線を戻す。さきに笑いだしたのは洸のほうだった。

「はっは、そいつはいいな!食費が浮く」

ところで、と言い置いて、郁人が諦めたように息を吐く。壁に掛けられた時計は午後二時を指していた。さすがにいい加減、腹の減る刻限である。

「…もちろん、おじいさんに許可は貰ってるんだろうね?」

少女の表情が引き攣ったのを見て溜飲を下ろしたのか、洸は再び立ち上がった。決して大柄ではないがしなやかに筋肉のついた長身を、時が流れ木刀以外を握るにつれかれは手に入れている。その身体を天井に向けて伸ばし、壁に立てかけてあった直刃の剣を取り上げた。

「そもそも探偵というのは、時間をかけて捜査をするわけであって」
「カインはいつでもどこでも困ってる人を助けてなかったっけ?」
「…おまえは黙ってろ、洸」

諦めたらしく、郁人はすでに紙にアルメリカのいったことを書き留めはじめていた。ほっとしたようにアルメリカが肩の力を抜き、洸を振り仰ぐ。かれはソファの背もたれに肘を乗せ、郁人とアルメリカを眺めているようだった。しょうがねえなあ、というような顔である。

「洸?」
「俺は指示待ち」

それから洸は、そういって笑った。ほどなくしてペンを置き、郁人は相棒を振り仰ぐ。

「じゃあ助手、おまえはそのデブでハゲだかのことを調べてこい。確かあそこの下請けの工場が西ブロックにあったはずだ」
「…おまえ、知ってたの?」
「情報収集は探偵の基本だろう」

肩を竦めて洸が事務所を出ていった。かれのことだから、数時間もしないうちに戻ってくるだろうと推測をする。それから郁人は少女を安心させるように微笑んだ。元々この『探偵事務所』は、住処を探していたかれらに小麦の倉庫であったこの建物を快く貸してくれた少女の祖父なしには開業出来なかったものである。義理がたい郁人にとって、彼女の依頼を無碍にする気は最初から特になかった。

「ところで、そのモニカさんとは友達?」
「うん。同じ学校に通ってたんだ」
「そうか。学生時代の友達を大切にするのは、大事なことだよ」

きょとん、とした顔をして、それから近所の工場の休憩時間に入ったことに気付いたアルメリカが慌てて立ち上がった。隣接する彼女の祖父が経営するパン屋の、もっとも込み合う時間帯である。

「もう行かなくちゃ」
「あとはおれたちに任せて。…晩御飯、おれはベーグルが食べたい」
「わかった!よろしくね!」

来た時は深刻そうな顔をしていたというのに、郁人に手を振ってアルメリカはまるで兎が
跳ねるようにして事務所を出ていった。ようやっと静寂が戻ってきた事務所の扉がパタン、と閉まると、郁人は長く息を吐く。

「それにしても、明日か…」

洸がいったとおりさしあたっての依頼はなかったけれど、郁人は無論自身を探偵と思っている。依頼されるものがごろつきや盗賊団を蹴散らすことでも、山の国の親戚に手紙を届けることであっても、自身は探偵なのだと信じて疑わなかった。それは幼いころから胸に抱えてきた、しがらみをすてて自由に生きるという夢を今叶えていると思っているからでもある。洸などは常日頃から便利屋だと言っていたが、郁人には今後も探偵事務所の名を改める気持ちはなかった。

記憶を掘り返し、噂話のなかにきいた婚礼の相手の名を探り当てる。たしかラドルフとかいったその男…若い娘の手にかかっては「デブでハゲ」で片付けられてしまうかれは、たしかここ一帯の工場主を束ねる地域の顔のような男であるはずだ。地位と金しかない、とアルメリカが言っていたとおりあまり良い噂は聞かぬ。加えて好色とくれば、目も当てられないだろう。

探偵は、謎を解くものだ。この騒動にはひとつも謎がない。大方モニカという娘は、どこぞの工場主の娘なのだろう。不始末のカタ、そんなところか。三文芝居の台本にもならない、などと思いながら郁人は立ち上がり、先ほどまで洸が眺めていたのと同じ場所から町並を眺めた。一瞬、向こうに日光や海の蒼を照り返す美しい城があるような感覚に襲われる。ここは森の国だ。郁人が生まれ育ち、愛した国ではない。ふいに目を閉じ、郁人は子供たちのはしゃいだ笑い声に意識を預ける。

この十年間、たくさんのことがあった。

兄が成人の儀を迎えた5年前、郁人の父は正式に家督争いをさせることを表明した。郁人は学校の卒業を目前に控え、洸も無事騎士学校を卒業し東の須王院家の新米騎士になったころである。

屋敷は或人に家督を継がせんとするものと、郁人に味方するもので二分された。騎士団内でもそれは顕著で、測らずしてそれぞれ兄弟で或人と郁人の騎士であった洸とその兄らもまた、敵と味方に離れてしまったのだ。こころを痛めていたのは郁人だけではない。努力を重ねてもなお父に認められなかった或人の心痛は、推し量れるものではないだろう。

それでも父はかれら兄弟の、優れたほうに家督を継がせたがったのだ。かれ自身がそうやって東の大公の座を得てきたように。屋敷内での分裂は拮抗した。郁人が何度も父に訴えたところで許されることはなく、家督争いの決着を付けることとなってしまったのである。家督争いとは即ち、真剣での剣の勝負であった。

「…そもそも、おれが浅はかだった」

大公邸で行われるその争いの前夜、郁人は洸にそう零した。かれはひとしきり大公やら止めきれなかった父に憤っていたが、どこか、郁人が負けるわけがないと踏んでいたふしがある。安心しろ、大丈夫だ。そんなことを言っていたのを良く覚えている。

「おれが、凪と、仲良くなったから」

あの日、はじめて郁人が洸に国を出る、と言ったときから時を隔てずしてかれは帝都の学校に入学をした。そこで出会った皇子殿下と郁人は周囲の思惑とは違うところでお互いに似たものを感じ、親しく過ごしていたのである。
次の皇帝にもっとも近いかれと所縁を持ってしまった郁人は、ますます次期東の大公として魅力的な人間になってしまったのだ。

「友達つくるのが、悪いことなのかよ」

そう洸が言ってくれなければ、きっといつまでも自分はそれを悔いていただろうと、郁人は思っている。なんだか腹が立つから絶対にいってやらないが、郁人は幾度となく洸に救われていた。それはいつも洸がぼやいている、剣の腕の話ではない。精神面でだ。何があっても自分の味方だと思える存在に早くして出会ったことは、郁人にとって僥倖であった。かれが職務を全うせんとする優秀な騎士であったなら、と、時々郁人はうすら寒い気持ちになる。

そしてその日、郁人はそんなかれの騎士の、剣を磨く背中に呼びかけたものだ。

「…なあ、洸」

ついてきて、くれるか。何年もまえに口にした台詞を、この期に及んで吐こうとした。どこかでかれが頷くとわかっていて、そう言おうとしていた。

「俺の答えは、あの時となんにも変わってねえよ」

剣を磨く手をぴくりともさせずにそう言った背中を、まだ郁人はよく覚えている。かれの部屋が世にも珍しく片付いていることにも、小さなカバンがベッドの上に投げ出されていることも、果てはかれがこんな夜中に剣の手入れをしている理由にも気付いて、郁人は不覚なことに視界が滲むのを自覚していた。

「…おまえっていう、やつは」

辛うじてそれだけ零して、郁人はかれに背中を向けた。部屋にはもう置手紙まで準備してあるっていうのに、郁人はたった今愛したうつくしいこの国を、周囲の熱望を、棄てる決意をしたのだ。かれひとり、たったひとり傍にいてくれれば、怖いものなど何もない。そうこころの底から、思った。


無言のままにぐしゃぐしゃと郁人の髪を撫でて、それからそっとわななく手を握ってくれた掌の熱を思い出す。なんともなしに自分のてのひらを覗きこみ、郁人は軽く頭を振って、随想を頭から追い出した。子供たちの笑い声が、また明日の輪唱にいつのまにか擦り変わっている。もうそう待たずして洸も戻ってくるころだろう。

なんとなく腹が立ったので、帰ってきたら洸に唐辛子でもいれたカフェオレを淹れてやろうと思った。




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