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結局すこし時間が余ったので洗いものを手伝っていたら、案の定始業時間ぎりぎりだ。馬鹿じゃねえの俺ら、というと、馬鹿だ、と返ってくる。並んで授業が行われる棟まで走っているのだが悠里はほんとうに体力がない。手を引いて走ってやらないと、間違いなく遅れる。

「…ちょ、まて、出る!さっき食ったもの鼻から出る!」
「汚ェぞ!」

なんとか二年のフロアまで来たところで、そういえばこのぜえはあ言っている男が俺様生徒会長だということを思い出して慌てて柊は掴んだままの手を離す。誰かにこんなところを見られたらお互いにたいへんなことになるところだった。

「…は、あー」

大きく深呼吸をしている悠里が手で先に行け、と合図をしてくるが先ほどの話を聞いていた柊にそんなつもりはない。どうやらレアキャラらしい風紀委員長の顔を拝んでおきたかった。ちなみに悠里は入学式以来風紀委員長と順調にフラグを立ててきているようだ。あいつとフラグ立てると妹ウケがいいから…と魂を悪魔に売り渡しているような台詞を吐いていたので一発殴っておく。

「あ、マズい」

どうしてだか一般の学校と変わらないチャイムの音が鳴り響く。身を竦ませた悠里の表情が俺様生徒会長のそれになるのと、廊下の向こうで声がしたのはほぼ同時だった。

「生徒会長さまが授業に遅れるなんて珍しいな、悠里」
「…柊、俺の後ろにいろ」

素なのか俺様生徒会長としての台詞なのか判別のつけがたいそれとともに、悠里の腕が柊を自分の背に押しやる。その肩越しに歩いてくるのが見えたのは、金髪をウルフカットにした長身の男だった。おそらく噂の風紀委員長だろう。生徒会と匹敵するほどの権力を持つと言われるが、自由奔放で捉えどころのない男。それが耳にした評価である。

「素でああいうこと出来る人間がいるって知れただけでも、この学校に来た意味はあると思う…」

というのは、さきほど食器を洗いながらの悠里の弁。

「それが御執心と噂の転校生か?」
「こいつは俺のだ。…テメエにはやらねえよ」

この男の変わり身の速さは尊敬に値すると思う。先ほどまでの間抜けさはどこへやら、悠里は柊の頭を抱いて額に唇を寄せる真似までやってのけた。これはあの男から見たらキスをしているように見えるだろう。

「なっ、何すんだ!」

となれば柊も、こう答えなくてはならない。悲しいかなマニュアルを読みこんだ人間のさがだった。悠里の腕を引きはがし、柊は数歩下がってまともに風紀委員長の顔をみる。

悠里が氷の美貌なら、こちらはまさしく燃え盛る炎のような生命力のある美形だった。悠里の表情を窺うと余裕たっぷりで、すなわち俺様モードなのだと窺わせる。

「…へえ。お前はそういうのがタイプなのか」

雅臣のにやにやと笑う、そんな顔さえさまになっているから嫌気が差す。柊を守るように腕を伸ばした悠里に、ゆっくりと風紀委員長が歩み寄ってきた。

「柊まで授業に遅れさせる気か?雅臣」

まさおみ、と呼ばれたその男はくっと喉の奥で笑う。獲物を前にした肉食獣の笑みだ。悠里は氷のような冷笑で応じ、ゆっくりと後退をする。もちろん柊を抱き寄せることも忘れていなかった。ぎゃっと悲鳴を上げた柊にリアクションをする余裕までは残っていないようだったけれど。

「お前のその顔、マジでソソる…」

なんて不穏な台詞を吐いて、雅臣はその長い足で悠里までの距離を一気に詰めた。伸ばされた手指が顎にかかる。な、と引き攣った声を漏らした悠里に雅臣が顔を近づけた途端、柊はなんの考えもなしに思いきり足払いをかましていた。
全く予想外からの攻撃に、がくんと雅臣の膝が折れる。その隙に悠里の腕を掴んで踵をかえした。驚いた顔をした雅臣の瞳をねめつけて、リノリウムの床を蹴って走り出す。

「…行くぞ!」
「は、お前、行くぞって今授業…」

慌てふためいた悠里が叫んだけれど、柊に止まる気はない。何だか今、ものすごくむしゃくしゃした。心当たりは腕の先でぎゃあぎゃあ騒いでいる。雅臣が追ってくるまえに、できるだけ遠くへ逃げたい気分だった。どこかとおくまで。

「…これがあれか。お前の言ってた呪いか」
「……そーだよ。俺の気持ちがわかったか」
「あれ柊、機嫌悪くない?」

教科棟まで走り抜けたあたりで、ようやっと悠里が冷静になったようだ。なんとなく辿りついてしまった第二音楽室の鍵を開けながら柊の顔いろを覗きこんでいる。

「はー…授業、サボっちゃったな」
「初めてか?俺様生徒会長」
「初めて。…やっぱり俺、ちゃんとやれたな。あれは雅臣のやつ勘違いしただろ」
「嬉しそうだな、おい…」

そういってピアノのまえの椅子に座って、悠里はにこにことしている。氷の解けた美貌はぐずぐずに甘いばかりですこしもつめたさを感じなかった。

「あれが、雅臣。風紀委員長。たぶん順当に行けばあいつが俺様生徒会長だっただろうな、って感じだな」

雅臣の吐息が触れた頬を、くすぐったそうに悠里が撫でる。気に食わない、と思いながら、柊は5時限目が始まっているであろう教室のほうをちらりと見た。雅臣は教室に戻っているだろうか。

「柊、さっきはありがとうな。俺も股間に蹴りかますところだった」
「ばかいえ。そんな反射神経ないくせに」
「う」

さっき柊がぼうっとしていたら、悠里はあのままキスをされていたに違いない。それはいやだ、と思う。なんとなく悠里に目を向けていたら、目があってへにゃりと笑まれた。なにが俺様生徒会長だ、ともういちど口のなかで呟いて、クッションの海に飛び込む。しかし教室でどんな顔すりゃいいんだ、と悠里が頭を抱えたのは見ないふりをした。





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