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古ぼけたピアノに、やわらかな陽光が当たっている。うららかな昼下がりのひとときを、悠里はわずかにひんやりとしたピアノに寝そべりなが過ごしていた。

「…俺、今日は部屋に帰りたくない」

第二音楽室の扉をがらがらと開く。昼休みの鐘が鳴ってから、いつもより少し間が開いていた。もともとこの部屋に入ってこられるのは自分ともう一人しかいないことを悠里は承知しているので、ピアノから顔を上げずに声をかける。

「どうした?」

あの一件があって、翌日の校内新聞の見出しは案の定『氷の生徒会長、噂の転校生と熱愛か!?』だった。証言者の名前は伏せられていたが特徴から簡単に生徒会書記の二人いるうちのひとりだと分かる。なにせあれだ。ピンク頭の三つ編みとか仮にも男子校に何人もいるわけがない。

それからというもの、柊のほうには相当な嫌がらせが行われたらしい。無論マニュアルの回避方法どおりに対応している柊に実害は出ていないし、笑いそうになるのをこらえながら悠里も俗にいう親衛隊、非公式ファンクラブに注意をしたからすぐに収束をした。なんとなく校内で、あの二人なら仕方ないか…という空気が出来始めている。渦中のふたりは相変わらずであったのだけれど。

変わったことといえば、こうしてふたりで過ごす部屋くらいだろうか。まだ柊を諦めきれないらしい副会長たちが悠里を質問責めにしようとするから、かれはそうそうに生徒会室で過ごすことを諦めている。
そしてそんな彼は、対して迷ったふうもなくこの第二音楽室を根城に選んだ。古びたピアノだけが置かれた空き教室である。埃っぽいし掃除もろくにされていないが、その分一般生徒も近寄ってこなかった。

「鍵。いちおう、掛けといて」
「ん」

生徒会権限、とにっと笑って悠里が持ってきたこの教室の鍵はスペアを合わせ、悠里と柊がひとつずつ持っている。追いかけ回されたときに逃げ場が欲しいだろうという悠里の計らいだった。部屋に鍵をかけた柊が、ピアノの傍まで歩み寄ってくる。

「…で、どうしたんだよ」

この部屋では、悠里は眼鏡をかけていた。本を読む時は眼鏡のほうが都合がいい、と以前柊が聞いたら返答をされる。いつものはコンタクトらしい。俺様生徒会長は眼鏡ってキャラじゃないからな、と笑って言っていた。存外に眼鏡が似合っていて、柊はなんとなくむずがゆい気分になったのだけれど。

「今日はもうお前の部屋に泊めろ。つうかずっと泊めろ。住まわせろ」
「マジでなんかあったのか?…嫌がらせとか?」

ふいに顔を逸らした柊が生徒会室からかっぱらってきたクッションに頭から突っ込んだのを見て、見かねて悠里はピアノの前にある椅子から立ち上がる。ふつう寮は二人部屋だが、生徒会のメンバーだけは特例で1人部屋が認められているのだ。

「…同室のやつに襲われた」
「あの不良にか?そりゃま…ご愁傷さま」

悠里は柊のそばに正座をすると、ぽんぽんと労わりをこめてかれの肩を叩いてやる。柊はまだクッションから顔を上げようとしなかった。フラグは早い時期に立てていたはずだが、さすがに実害を伴ってくると辛いところもあるようだ。かわいそうに。

「思いっきり股間蹴ってやったんだけど、正当防衛なるかな…」
「いやまあ…なるんじゃないか?」

ごろり、と柊が寝返りを打つ。柊の瞳が細められ、僅かにぬれて悠里を見上げた。きれいな顔立ちがくしゃくしゃに歪められて、なんだか子供みたいだ。よく見るとワイシャツの襟が乱れている。ボタンが何個か外れてしまったらしい。そこから覗く頸筋には、しっかりと。

「あー…、咬まれた?」
「うげっ、み、見んなばか!」

かわいそうな柊、といって、悠里は上着をかけてやる。(妹が)改造しているせいで普通よりすこし重いけれど、襟が立っているから咬み痕くらいは隠せるだろう。

「…いらねえよ」
「けどほら、俺の部屋に行くまでに誰かにみつかると厄介だろ」
「お前の上着着てるのも問題だろ!」

あ、そうか。呟いて、困ったなとでも言いたげに悠里が頭を掻く。眼鏡の奥で切れ長の瞳が、情けなく細められた。

「そうだな…あいつに見つかったらもっとややこしいことになるしな…」
「あいつ?」

その質問には答えずに、悠里はとりあえず部屋くる?と声をかけた。ワイシャツのボタンくらいなら常備しているし、裁縫は得意である。ボタンつけくらい、昼休みの間にお手の物だ。

「でも、部屋って…」
「熱愛報道までされてるんだから問題ないだろ。それよりそんな格好してたらますます危ないぞ」
「…くそ」

柊は根負けしたように腹筋の力だけつかって起き上がると、どんと上着を悠里の胸におっつけた。叱られた子供のような顔だ。ほほえましくなって、悠里はかれに手を差し伸べる。

「俺の部屋、生徒会専用フロアだから。この時間なら誰もいないだろうし」
「…今日、泊めろ」
「いいけど。ソファでいい?」
「お前がソファに寝ろ!」
「えー」

悠里に引き起こされて、柊は立ち上がった。頸筋に目立つ赤い痕はかれのこげ茶色の髪で隠しきれていないけれど、仕方ないだろう。これでは昼飯は諦めたほうがいいかな、と思いながら、悠里は眼鏡を胸ポケットに入れた。

「しかし、あれだな。どんどんイベントが起きているというか…」
「油断してたんだよ…くそ」
「いいじゃないか。同室の一匹狼とくっつくのもわりと定番だろ」

人通りがないことを確認して、第二音楽室を出る。鍵をかけるのも忘れない。歩き出した柊の隣に並んだ悠里がいつもと逆側、首の痕が目立たない位置に立ってくれているのに気付いて柊は目を細めた。まったく、濃やかな気づかいのできる俺様もどきである。

「しかしな…、ここは俺があの不良に「俺の所有物に手を出すな」とか言うべきなのか」
「…今俺はお前にそのうち悪いことが起こる呪いをかけたからな」

あんな奴より俺を見ろ、と耳元で囁いてきた不良の整った顔を思い出し、柊は盛大に眉を寄せる。組み敷かれる直前に股間に振り切った蹴りを決めたからいいもののガタイの差は覆し難いものがあった。頸筋のことを思い出し、柊は自分の身体を抱くようにする。

「…大丈夫か?」

そんな柊に気付いたか、まだどこか眼鏡越しのやらかい目をした悠里が声をかけてきた。大丈夫なわけねーだろ、とその背中を小突いて、ふっと息を吐く。もうあの部屋で安息はないだろうから是非とも悠里の部屋に押し掛けたいところだ。

ふいに気付く。こんなとき柊は、悠里に出会う前まではひとりでなんとかしていた。どんなフラグを立てようと、耐えきってきた。だけれどどうしてだろう素の自分を見せられる相手に出会ってから、ずいぶんと気が抜けている気がする。どれもこれも、悠里が柊の前では氷のような美貌を崩してやらかくあたたかく微笑うせいだ。

あーもう、と、先ほどとは違う憤りの意味をこめて、今度は強めに悠里の背中を殴る。いてえ!と叫んだ声に驚いた一般生徒に見つかったせいで、あとでちょっと怒られた。







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