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マニュアル恋愛



「お前らなんだろう」

私立帝豊学園の生徒総代を務める東雲悠里は、数週間前から悩みごとを抱えていた。それはこの男のことだ。この男、というのは、たった今悠里に人差し指を突き付けている少年のことである。

きれいな顔をしている。この学園では、間違いなく噂になるだろう顔。少女じみているわけでもなく、かといって男くさいわけでもない。形容するならばきれい、というのが一番似つかわしいだろうか。身長もすらりと高い。悠里と対して変わらないのではないだろうか。
しかも閉鎖的なこの学園にやってきた時期外れの転校生ともなれば、学園がかれに夢中になるのも当然である。現に悠里の周辺、副会長とか会計に書記あたりはかれを追いかけまわしているらしい。

この学校に来た当初から、かれの行動は特異であった。物おじせず生徒会の面々と渡り合い、それらの悉くをかわし、クラスにはすぐ溶け込み、それなりの成績を修めている。かれの周りだけ、この学校がふつうの学校であるように、悠里の目には見えた。

そんな渦中の人の意志の強い黒い目が、真っ直ぐに悠里を睨みつけている。ふつうならばこの学園で、悠里が微笑みかけて頬を染めなかった人間などいない。だが、この少年は違った。悠里が何度お前が気に入ったと不敵な笑みを向けても、眉ひとつ動かさない。不自然だった。ふつうの人間なら愛想笑いくらいする。それすらもない。

「お前らがあいつをたぶらかしたんだろう!」

そういって何度もこの眼を向けてくる。一度など、胸倉を掴まれたことまであった。そんな無体をされたのは初めてである悠里は大変当惑したのだが、本人は語気鋭く「ぜってぇ吐かせてやる」と言って去っていってしまったのを思い出す。そして毎度のことながら、たぶらかした、といわれても、悠里には心当たりしかないので答えようもなかった。悠里の非公認ファンクラブの人数は恐らく三桁に達するだろう。もともとがマンモス校なのでしょうがないが、それの名前をひとりひとり覚えているわけもない。

帝豊学園は、全寮制の男子校だ。生徒会による自治が行き届いているおかげで教師陣の干渉は少ない。というのも、良家の子息が多いこの学園ではあまり問題を起こしたがらないということもあった。つまり、多少の問題は生徒会一派がもみ消すというわけだ。

閉鎖された空間のせいか、この学園では不純同性交友が盛んだった。それがいいのか悪いのか悠里にはわからないが、一部の人間にはそれがたいへんよろしいことをよく知っている。一部の人間にとって、ここは「エデン」であるらしい。

たとえば、悠里の妹。

悠里の妹は、悠里をこの学園に入学させた張本人である。大量の知識と「テンプレ」を覚え込ませた上で、だ。悠里に課されたのは、「俺様生徒会長になる」という任務だった。悠里は無論なにをいっているのかわからなかったが、妙なところで押しのつよい妹に言われるままに様々な本を読み話を聞いてそれをおぼろげながら理解した。入学してからはその日あった出来ごとを逐一報告する日々である。
ちなみに拒否権などは存在しなかった。悠里はシスコンである。

「…何の事だ?柊」

俺様生徒会長までの道のり、その24。転校生は名前で呼ぶこと。を律儀に実行している悠里は、その実真面目一辺倒である。これまでも妹の指示通り、完全に俺様生徒会長に擬態して生きてきた。
だが、柊、という名のそのきれいな顔をした少年は、無論悠里がなんちゃって俺様生徒会長であることなど知らないわけで。

「気色悪い!名前で呼ぶな!あいつを返せ!」

しかしこれはちょっと、俗にいう王道転校生の域を越えているぞ?と悠里は思う。王道転校生は確かに最初は学園のルールに馴染まないし、もちろん俺様生徒会長に楯突く。というのが、悠里の妹の蔵書のなかの「テンプレ」だった。

「だから、あいつって誰なんだよ」

一度なりきってしまえば、俺様生徒会長の役どころは楽しかった。なぜかテンプレ通りに集まってきた生徒会に、なぜかテンプレ通りのシステムをした学校。妹は「そういうものなのよ」と言っていたけれど、本当にそうなのだろうか?そうだとしたら、この目の前の少年もまた、そろそろデレてもいいのではないかと思う。

悠里は特段男に興味はなかったが、ちやほやされ歓声を上げられるのはいやではなかった。悠里にまとわりついてくるようなのは大抵女と見紛うような少年たちばかりだったから、というのもある。見ている分には微笑ましいものだ。

「俺が何のためにこの付いてんのか付いてねえのかわからねえようなのがうようよしてるむさくるしい学校に来たと思ってるんだ!」
「…もうすこしましな表現はなかったのか」
「椋をかえせ」

りょう?と言われても、心当たりのない悠里にはどうしようもない。…しかしこの転校生、なかなかどうして王道とは言い難いかもしれなかった。それは言ってはいけない言葉だ、と喉まででかけて、やめる。俺様生徒会長はそんな気苦労など匂わせてはならないのだ。

「…そんなことより、」

俺はまだ必須ミッションである食堂での頬にキスをクリアしてないんだ、という言葉のかわりに、悠里はかれへの距離を詰めた。顎に手を添えたところで、かれの涼やかな眉の下の意志の強い目がまっすぐに悠里を貫く。

「…お前は普通の人間に見えるから言ってるんだぞ」
「な」
「なんなんだこの学校。目が合っただけで尻を追い回してきやがって」
「…」
「もう一度言う、椋を返せ。椋を連れ戻したら俺はすぐに転校する。お前に迷惑はかけない」

そして残念なことに、もともと悠里に男を好きになる趣味はない。好きになった人がたまたま男だった――、という系統もこの学校にいないわけではなかったが、おそらく悠里の周辺にいる柊いわく「付いてんだか付いてないんだかわかんねえような」男子生徒たちはその系統ではないだろう。

その実、悠里はかれを取り巻く少年たちに何かをしたことはなかった。する気がおきなかった、というのが正しい表現だが。そのせいで専ら生徒会長は氷のような人だという評判らしい。まあそれで倦厭されないのがこの学園らしいというか。

「いい奴もちょっとはいるけど、ほとんど椋の妄想通りじゃねえかよこの学校。…生徒会長、お前はなんか大丈夫な気がしたんだけど」

ちげーの?と、柊は整った顔に似つかわしくない言葉遣いで吐き出した。圧倒されて、悠里は声を出せないでいる。見抜かれていたことに驚いた、というよりは、そう。

「…妄想通り?」
「ほら、やっぱりアンタは普通の人だ」

満足げに柊が笑った。いつのまにか彼の頬に添えていた手はするりと滑り落ち、その肩を掴むに留まっている。そして柊も、それを拒むことはしなかった。思えば他の人間、下心がありそうなそれらに触れられることを、柊は頑なに拒んではいなかったか。

「『僕のサンクチュアリはあそこにある!』、そういって椋が飛びだしてから一年。居なくなる前の椋から毎日のように聞かされてた王道だか覇道だか邪道だかしらねえがこの学校に、あいつがいないわけがない」

ましてやテンプレ通りの生徒会の近辺に、あいつがいないわけがないんだ!そう叫んで、柊は拳を固めた。かれは、思えば最初から悠里を警戒してはいなかったのだ。目を丸くした悠里に気が抜けたのか、すこし経ってため息まじりに、柊が笑う。それは悠里が初めて見る、柊の純粋な笑顔だった。

「まあ確信したのは一年ぶりに来た『王道転校生への道』なんて訳分からねえ辞典の入った手紙の消印見てからだけどな」

誰がもじゃもじゃのカツラなんかかぶった挙句副会長の偽りの笑顔を見破るかボケ。きれいな顔を愉快そうに歪ませ、柊はそう告げる。そしてその瞬間、悠里は初めて「俺様生徒会長マニュアル」から外れた行動を取った。悠里の唇が戦慄いて、余裕を棄てたほんとうの東雲悠里が顔を出す。

「…お前もか、柊」
「え」

転校生と生徒会長の間に固い握手が交わされたのは、そのすぐ後のことであった。







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