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「…長く話している暇はなさそうだな」

凪はそう話を簡潔に締めくくると、無視できないほどに聞こえ始めた喧騒に眉を寄せた。郁人は話の内容を考えているのだろうか、ぎゅうと難しそうに眉間に皺を寄せている。額に指を添えて、思案でもしているのだろう。そんな彼の腕を引き、凪は先ほどかれが通ってきた秘密の通路の扉を見やる。ここから逃げるとすれば、出た先は城の前庭だ。敵が居ないほうが、おかしい。

「随分と大それたことをやっていたんだな。きみひとりの判断か?」
「まあ、そうだね。覚えている?」
「覚えている。おれが言ったことだろう」

凪がやろうと思っていた実験の原案は、郁人にあった。郁人があの図書棟で凪に語ったちょっとした夢物語を、凪は覚えていたのだ。ずっと。窓のそとに目をやり、凪は自嘲気味に笑う。

「実用化はとおい。山の国への抑止力にもならなかった。副産物に至っては、…失敗だ。だが、俺はこの国を守らなきゃならない」

郁人は考えるのをやめ、この親友の横顔を、じっと見据えた。止めてやる必要はなさそうだ、と思う。凪もこの五年で、ずいぶんと大人になったのだ。夢だけを語っていたあのころとは違う。きっと色々なことを知ったのだ。汚くて醜いことを。

郁人は少し躊躇ったのちに、思い切って凪の部屋の扉を開けた。無論、廊下へ繋がるほうを。そして肩越しに振り向いて笑う。いつも通り、いっそふてぶてしいまでに余裕のある笑顔である。

「じゃあ、いこうか。安心しろ。きみはおれが必ず守る」

目を見開いた凪が、宝剣を手に駆け寄ってきた。左右にまだ兵の姿はない。が、おそらくすぐ下の階ほどまでには迫っているだろう。声がする。しかし郁人はいつも通り、冷静そのものだった。凪は思わずかれがなにか策を考え出したのではないかと思ったのだが、それを郁人自身がすぐに否定する。

「強行突破だ。なんとか下まで降りよう。きみの騎士団と合流する」

だけれど凪は、それがあんまりにも郁人らしかったから思わず笑ってしまっていた。わかった、行こう。言って、階段のほうへと走りだす。かれに守られる気は毛頭なかったが、なんだかすこし胸が躍るのは誤魔化しきれなかった。
それは郁人も同じである。いっこうに緊張感のないことに、冒険活劇の登場人物にでもなったような心づもりでいた。だれかを守って戦うということの滅多にない郁人にとって、それは未知の、だがワクワクするものでしかない。

「きみの騎士団は、みんな地下に?」
「ああ。真琴が指揮をしているから、じきに片がつくだろう」
「楽しみだ」

どれだけ洸が弱りきっているか。真顔で言いきった郁人が、細剣の柄に手を添えた。速さを武器にするかれの得物は軽く振ることが出来るレイピアである。凪が手にしているのは宝玉で装飾が施された柄に入った反り身の剣だ。軍部の指揮をすることになったときに父から譲り受けた、この国に古くから伝わるものである。

「きみの騎士は…」
「来ているよ。ずいぶんと真琴さんに怯えていたようだけど」

苦虫を三匹くらいまとめて噛み潰したような凪の顔に、思わず郁人は苦笑いをする。ほんとうに仲が悪い。いっそ仲がいいんじゃないか、なんて、もし本人に知れたら数時間は説教されるに違いないことを思うくらいに。

「なんて顔をしてるんだ、凪」
「…笑ってくれ。同族嫌悪だ」
「同じこといってるし…」

凪が反論しようと口を開いたときに、郁人は一歩先の絨毯を蹴って跳んでいた。すかさず凪も走り出す。廊下を曲がった先にいた黒い鎧の兵士たちの集団が目に入ったからだ。

その実、凪は郁人が真剣で戦っているところを見たことがない。かれと共に過ごした間は、かれらはまだ子供として保護されていた。人を殺める剣を振るう機会などなかった。それから五年の月日が流れ、なんの疑問もなくかれがレイピアを下げているところを見ていた凪はいまさらそれに気付いて胸を焦がされるような痛みを感じている。

知らない間に、やはり郁人は凪のずっとずっと先を走っていたのだ。分かりきっていたことだったが、凪にはつらかった。無論、凪が戦場に出る機会などない。あるのはただ刃のない剣での模擬試合の経験だけだ。

守る、と郁人が言ったのも、当然なのかもしれなかった。

「郁人!」

するりと郁人の剣が柄を滑る。瞬く間に、先行の兵士二人が崩れ落ちた。そのまま郁人の身体が敵と敵の間をくぐり抜け、気付けば凪のすぐ前まで戻っている。
速いのだ、とすぐに気がついた。倒れた兵士たちはどちらもそれほどの深手ではない。だがすぐに戦力になれるほどでもない。そしておそらくそれが、かれの限界なのだ。

本来、レイピアは刺突に特化した剣である。刃もついているから斬ることも出来るには出来るが、通常の戦闘で剣士が遣う一撃には遠く及ばない威力だ。それを通常の剣撃に使う分、郁人の剣術は攻撃力に劣るのだろう。

「そんな顔をするな、凪。おれに任せて」

そんなかれを矢面に立たせることが苦痛で眉をひそめた凪を見かねたのか、郁人が肩越しに振り向いて笑った。凪は唇を噛み締め、その横を駆け抜ける。不意打ちに浮足立っている兵士たちに、抜き打ちの一閃を叩きこんだ。その横を、軽やかに郁人が駆ける。身体を捻り、亜麻色の髪を散らして独特の構えから素早い剣撃を何発も繰り出した。

「抜けるぞ!」

そして叫ぶ。軽く頷いて、再び剣を鞘に納めた凪が郁人の背中に向かって駆け出した。郁人に強かに急所を打たれた者たちが、呻きながら応援を呼んでいる。下の階に下がる階段を一足とびに駆けおりながら、郁人が凪に声をかけた。

「なんだ、凪も強い」
「軍部のトップが剣も振れないようじゃ示しがつかないからね」

らせん階段を駆け下りながら、そんな会話を交わす。凪の操る居合術は実戦に耐えうるレベルであると郁人は判断をした。凪がもとより、おのれの背に隠れていられるとは思っていなかった郁人はすこし安心をする。敵の数は予想も出来ていなかった。強行突破と言ってみたはいいものの、そこの見通しはとくに立っていない。早く洸と合流しなければ、と柄にもなく焦りながら、郁人は守る戦いの難しさを身に沁みて感じていた。

「いたぞ!」

階段を駆け下り、踊り場に抜けると兵士たちが待ち受けている。ここまでは郁人の想定内だ。あとふたつ階段を下りるまで、なんとしてでも凪を守り抜く。

かれがこの国の希望なのだと、思ったよりも中から崩されていた母国の実情を知って郁人は痛感していた。






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