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それから





エリオットを探して城の長い廊下を歩いていると、硝子窓の向こうに見える中庭で黒の髪が楽しげに揺れているのが見えた。俺は足を止め、それが俺の後宮であるのか確かめるために目を凝らす。

傍に俺に似た金髪の子供がいるのを見て確信して、俺は中庭へと続く廊下の角を曲がった。


俺がずっと空けていた後宮にエリオットを据えてから、一年が経つ。今ではもう、毎週なんとか見張りを誤魔化して下町まで忍んでいたあの頃よりも、一緒にこの城で暮らしている期間のほうが長いことになるのだ。なんというか、感慨深いものがあった。

最初にエリオットと会ったとき、俺は夜のちょっとした息抜きで下町をぶらついているところだった。
その息抜きの間だけが俺がゆいいつひとりになれる時であったから、どうにかして執事やら護衛を撒いてする夜の散歩は、俺の長年の習慣みたいなものだったわけだ。で、その時は運悪く街で護衛に見つかった。慌てて逃げ込んだ路地裏で、俺はエリオットと出会ったわけである。

俺を「王」としらない平民と話すのは、その時が初めてだった。そしてなにより、その時俺は「王」ではなく、ただのアルベルトだったのだ。夜の散歩の間だけは、俺は何も肩肘を張らずともよかった。そしてエリオットは、そんなありのままの俺に優しくしてくれたわけだ。
俺はすぐにエリオットの人柄に惹かれ、それから次の週もどうにか書類仕事をやりくりしてあのパン屋まで行ったわけだけど、たぶん、俺がエリオットを好きになったのは、そのときだったと思う。

その時俺は、別れ際に来週また来る、なんて正直自分でも難しいなと思いながら口にした。笑いながら楽しみにしてるよ、とエリオットが言ってくれたせいで、俺は何としてでも週に一度だけ、その晩だけは空けておくように半年くらい努力を重ねてきたわけだ。

「お、アル!仕事、終わったのか?」

エリオットは、そのころから全然変わらない。やわらかな新緑を踏みしめて薔薇やその他良く手入れされた花が咲き誇る中庭に出れば、俺の弟と戯れていたエリオットが俺に気付いて片手を挙げた。なにかをレオンハートに言って笑いかけてから、俺のほうまで歩みよってくる。俺は今日は朝から隣国からの使節の応対やら外交文書の署名やらに追われていたわけだ。

「ひと段落ついたところだ」

レオンハートがじとりとした目線をむけてくる。お気に入りのオモチャを取り上げられた子供の顔だ。よくエリオットには子供扱いするな、と言っているようだったけれど、俺からしてもレオンハートはまだまだ子供である。年の離れた弟とも、エリオットがここに来てからずいぶんと親しくなった。エリオットはレオンハートに甘い。

「お疲れ。何か用があったか?」

エリオットは髪も目も、まじりけのない黒色をしている。たくさんの色に満ちたこの白を基調とした城で、エリオットはひと際俺の目をひいた。未だにパンを焼いては臣下やら先の王妃に振る舞っているようで、時折思いがけない場所でエリオットを見かけることがある。

「少し付き合え」
「え、ここじゃダメ?」
「だーめ」

エリオットの手を掴むと、すごい速さでひっこめられた。ちょっと傷ついたぞ、俺。エリオットはレオンハートを振り向いて、ごめん、またあとで、と声をかける。どうやらレオンが頷くなりなんなりしたらしく、エリオットが俺に視線を戻してかるく頷いた。どうせもう少しでレオンハートだってヴァイオリンのレッスンが始まるのだから問題はないだろう。というか、最近は俺よりレオンハートと居る方が長いんじゃないかってくらいレオンハートはエリオットにべったりだ。エリオットは子供に甘い。そこにつけ込めるレオンハートは、俺より遥かに有利だった。何だか納得がいかない。

「離宮に行ったんだろう」
「うぐ」
「俺は、お前が行く必要はないって言ったよな?」
「…言ったな」

離宮には、この王宮から空中回廊を通ることで行くことが出来る。今は亡き俺の父の愛人や、王族に連なる血すじの者が集めてきた側室やらが寵愛を待って暮らしている場所だ。俺は、好きではない。だれもが目を見張るほど美しく、そして俺の気を引こうと精一杯だった。俺が望むのは、そんなものではなかったのに。だから、エリオットをそこには近づかせたくない。エリオットにそんなことは少しも求めていないのだ。
まえ、エリオットに怪我をさせてしまったとき、俺はエリオットに無理をさせていたことを知った。その時きちんと、俺はそのままのエリオットが好きなんだと伝えたつもりだけど、エリオットのものごとを誤解して認識する能力の恐ろしさを俺は何度か味わっている。もう、エリオットのあんな顔を見るのはいやだった。

「…その、あれだ。見聞を広めに」
「離宮に行って、なにをした?」
「パンを食べさせた」
「…まあ、そんなところだとは思った」

俺の部屋に戻ると、エリオットは指定席の窓辺のソファに腰掛けた。その向かいにある二人掛けのソファに腰掛けて、俺はエリオットをじっと見る。あいかわらず、変わらない。エリオットにはかなわないな、と呟くと僅かに表情がほころぶのが自分でもわかった。

「綺麗なひとたちばかりだったな。さすがハーレム!陰謀が渦巻いてる感がもうちょっと出てたら理想通りだった」

俺が笑ったので安心したのか、エリオットは途端饒舌になって語り出した。エリオットが何を言っているのかはよくわからなかったが、とりあえず俺の危惧していたことは起こらなかったようでホッとする。
というか、あれか。やっぱりパンを抱えた男が来て、それが俺の後宮だとは確かに夢にも思わないかもしれない。そうしたら見栄を張りうつくしく競い合う必要もないわけだ。

「アル?」
「いや、何でもない。次からは俺に声くらいかけろ」
「…わかった。実をいうと、リリィちゃんとシャルロットさんの確執が気になっていて」
「却下」

いい加減、一年も経つんだから、エリオットはもうすこし俺に時間を割いてくれてもいいんじゃないだろうか。一応は想いも通じ合ったってのにエリオットは終始こんな感じなので、甘い雰囲気なんて出せそうにない。

「エリオット」

なんだか悔しかったのでエリオットを手招けば、若干警戒しつつもエリオットは素直に近寄ってきた。手の届く範囲に入ったところで捕まえて抱き寄せると、案の定ぎゃあと色気の欠片もない悲鳴が上がる。そして俺は、エリオットのそんなところがたまらなくいとしい。

「な、何でございましょう、アルベルト王」
「好きだ、エリオット」

激突した俺の胸から何とか身体を起こしたエリオットに鼻先がくっつきそうな位置で囁けば、面白いくらいにエリオットの顔が真っ赤になる。黒に映える白い肌が、かっと熱を持った。ようやっとエリオットを負かしてやったので俺が溜飲を下ろせば、今度は腕から逃れようとバタついた。

「俺で遊ぶな、アル!」

俺は愛を囁いただけで、遊んでるわけじゃない。そうやって嘯けばエリオットはますますバタついたけれどそれを押さえこむのは容易かった。どうせエリオットの反抗だって本気じゃない。たまには俺だってエリオットを甘やかしたい時があるわけだ。

「いいじゃないか、たまには」
「よくない!」

額をくっつけて顔を近づけると、まだ顔の赤いエリオットが観念したように目を閉じた。唇を重ね、指を絡めると今度は引っ込められはしない。どうやら、この自覚のたりない後宮は照れ屋であるようである。

「ん、…なんなんだよ、まったく」

どことなく潤んだ目でそんなことを言われても拗ねているようにしか見えなくて、俺は思わずにやにやとその双眸を見つめていた。今度こそ拗ねたらしくそっぽを向いて、エリオットは俺の手をぽいっと投げ捨てる。

「いいだろ、お前は俺の後宮なんだから」
「もう恥ずかしいから、お役御免でいいんじゃないか?俺ほら、パン職人でいいから」

つまりは書類上、この国の王妃ということになるエリオットは俺の膝の上でそんなことをいった。きっと俺は妃なんかじゃない!男だ!と喚くに違いない愛しい横顔を見ていると、そうやってからかってやりたい気もする。けれどエリオットにこの事実を教えると本気でレオンハートとの約束とやらを遂行されかねないので、俺は黙っていることにした。事実この城でもエリオットは俺の後宮というよりは腕のいいパン職人として扱われているふしが否めなかった。皆によく馴染んでいるのはいいことだけど、それもどうかと思う。

「へえ、エリオットはそんなに俺が嫌か」

悲しい、悲しい。なんてエリオットの反応を楽しんでいたら、怒ったように俺に向き直ったエリオットに頬をつままれる。両方。

「俺をからかうとはいい度胸だな、アル!年下のくせに!」
「二つしか変わらないだろ」
「二つも変わる!」

勢いよくキスされて、俺は思わず後頭部をソファにぶつけた。突拍子のない行動ばかりするこの自称パン職人さまに、俺は振りまわされてばかりだ。たまにはずっと優位に立っていたいけど、どうやらしばらく無理らしい。

「嫌いだったら、さっさと下町に帰ってるっての」
「…なにか、いやなことでもあったのか?」

今度は頬をつまみ返す。エリオットは口を噤んだけれど、間もなく淡い吐息と一緒に言葉を吐きだした。

「俺はリリィちゃんみたいに可愛くないし歌も上手くないし、シャルロットさんみたいにきれいでも教養があるわけでもない。お前は趣味がわるい」
「わるかったな」

けっきょく、離宮にいってなんとなく落ち込んだわけか。俺のために。たまらなくいとしくなって、ぎゅっとエリオットを抱きしめた。俺が愛したのは、こんな風に大事に思うのは、きっとこの先もずっとエリオットだけだろう。それが余すところなくエリオットに伝わればいい。そうすればきっと、エリオットはもう不安に思うこともなくなるだろうに。

「それでもお前は、俺でいいんだもんな」
「そうだな、お前がいい」
「…やっぱり、趣味が悪い」

拗ねたような、それでもってどこか満足そうな声でそういって、エリオットは俺の上から退いた。それからくるりと90度回転をして、俺に背中を向ける。

「エリオット?」
「パン焼いてくる」
「…、耳赤いぞ」
「うるさい!」

駆け出したエリオットは止める間もなく俺の部屋を飛び出していった。逃げ足が異常に速いのはもうとっくに思い知っている。いつまでたっても、エリオットはちっとも俺に甘やかされることに慣れなかった。そこも可愛いと思ってしまうあたり、俺はそうとうやられている。
ほんとうはもう一度キスをしたかったんだけど、逃げられたので諦めた。どの道いつだって、エリオットは俺の傍にいるのだから。





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