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「あれ、洸さん。えらく痛そうですけど」
「食われたんだよ、こいつに」

開口一番、シオンが指摘をしたのはまだ痛々しく赤くなっている洸の鼻だった。洸は憮然と答えると、大樹のもとへとついたころに街道を歩いてきた二人をちらりと見る。シオンの荷物が多くなっている気がしたが、気のせいということにしておこうと思った。

「どうだった?ラインハルト」
「想像通り。皇子殿下は混乱の責任を取って暫くの間謹慎だそうだ。寛大な処置だな」
「確かに、いまのこの国の若手で思いきった改革を出来る立場と行動力を持つのは凪しかいない。この局面だ、当座、軍を黙らせるための方便だろうね」

郁人はそういうと、僅かに目を細めて微笑んだ。やわい亜麻色の髪が陽光に透けてきらきらと輝いている。この海の国の日差しの下のその色を、洸はひどく久方ぶりに見た気がしていた。かれは腰の細剣をひとつ叩くと、気の毒そうに洸を見ているシオンに声を掛ける。

「君だろう?何処まで行けたかな」
「…ほーらラインハルトさん、バレてるー」
「隠していたつもりはなかったんだがな。…お前の言ったとおりの侵入経路で、厨房までだ」

海の帝国では報道機関が自由ではない。そのような重要な話が、そうそう早く巷に広がることはないのだ。それにシオンは、ただの警吏ではない。きっとかれは昨夜、あの悠然と聳える城へと侵入したのだろう。

郁人はそんなこととっくに分かっている。かれのほうから話さないから、聞かないだけだ。しかしラインハルトがどうかれに指示を出すのか郁人は分かっていて、かれらに昨晩秘密の通路の話をした節がある。

「…よくやるよ。軍はともかく、あの女に見つかってたら…」
「いやー、危く死ぬところでしたよー!やっぱりどこの女性も怖い!」
「会ったのか。彼女に」

確か名は、真琴と言ったか。凪が時折漏らすその名前を記憶の片隅にとどめ置いていた郁人が人差し指を立てると、シオンはターバンごしに額をぺちんと打って応じた。

「真琴さんっていうんですか、あのひと!いやー、ターバンちょっと短くなっちゃって。巻きづらいったらありゃしないんですよ」
「あの女相手にその位、っていうのが信じらんねえよ」
「いえね、追い詰められたときに一か八か洸さんの名前を出したら引いてくれて!」
「…おまえ、何してくれてんの」

白の髪が奔放に、ターバンの隙間からはみ出ている。見慣れてしまえばなんということもないうつくしい紅の輝きが、悪びれた風もなく洸へと向けられた。ラインハルトはため息をひとつ吐いて、微笑ましいとでも言いたげな穏やかな眼差しをしている郁人を小突く。

「おい。…いけるのか」
「行くしかない。その処置なら、凪に対してなんらかの刺客が向けられるのは今日中だろうしな」

謹慎ならば、城の中、公でないことならば何でも出来る。例えば研究。例えば改良した兵器を作る指示。凪にこれ以上動かれては困る勢力にとって、むしろ暇の出来た凪のほうがやっかいなはずだった。

「おれは凪のもとへいく。真琴さんが洸がいることを知っているのなら、あちらの対応でどの程度向こうが状況を把握しているのか分かるな」
「こちらを排除しようとしたら、襲撃には気付いていない、と。…随分と信頼されているのだな」
「凪とは学生時代、色々あったからね。かれのことだから恐らくおれを害する動きは封じてくれるはずだ」

不服そうに鼻を鳴らし、洸はごつんとシオンの頭を小突いた。あいた、と悲鳴が上がるのを無視して腕を組む。三白眼になっているせいでいつもよりも子供らしく見えて、思わず郁人は笑ってしまったのだけど。

「お前のせいであの女とやり合わなきゃなんなくなっただろうが、ガキんちょ!」
「あー洸さんひどい!でもあのひとだって、洸さんの名前を聞いたら露骨に嫌な顔してましたよ!」
「…洸、お前、何したんだ」
「お前、しってるくせに。俺の騎士学校での評判」
「名物不良騎士だったもんな」

それを黙認し、むしろ面白がって助長していた張本人は表情ひとつ変えずそう答えた。ラインハルトに視線を戻して、城の方を指差す。水の流れるうつくしい城は、中にどのような闇を抱えているのか少しも気付かせないように穏やかだった。

「研究をする施設があるのは、城の地下。凪の部屋は城の上層だから真逆になるな」
「お前の見立てだと、襲撃とやらはいつごろだ?俺たちは研究施設に居ていいのか」
「おれが天下の海の国皇子殿下を狙うのなら、宵闇に紛れる…と言いたいところだが、十中八九山の国と繋がっているのは軍部だ。軍部なら城の中にいるんだから、いつだっていいことになる。謹慎を受け、部屋にいる凪をその場で殺し、そのまま白昼堂々山の国に戻るね。それで、全面戦争のはじまりだ」

郁人の語る絵空事は、絵空事とは思えぬ重量感を持っていた。かれが見ているのがなんなのか、到底他の三人には分からない。分かることは、郁人が今言ったことを阻止するために行動をしようとしていることくらいだった。

「何だか良いな、こういうの。城に忍びこんで皇子を助け出すだなんて小説みたいだ。…これで凪がお姫様だったら、もっとそれらしかったのにな」

緊張感のまるでない一言に、呆れたように洸が息を吐く。軍部に対して良い印象を持っていないかれでもその能力は認めていた。どの程度が山の国に内応しているのか、考えたくもない。

「すまないけれど、ラインハルトたちには陽動も兼ねてもらいたい。門を突破すれば派手に目立つからな。それに乗じて軍が凪を襲うのならそのままそれを叩く。もし怖気づいてなにもしなかったら好都合だ。…その後研究施設は、煮るなり焼くなりどうぞ」

小説の能書きでも立てているような顔で、郁人はにこにこと笑っているだけだ。流石のシオンも僅かに呆れたように頬を掻いて、それからすっと目を細めて笑った。…しんそこ、しんそここの騒動を、楽しんでいる顔だ。それは郁人とさほど変わらない。純粋な興味、といったところだろう。

「洸。お前はラインハルトたちと一緒に行け。真琴さんと遊んでおいで」
「…てめえ、他人事だと思って…!」

輝かんばかりの笑顔で親指を立てた郁人に洸が掴みかかったその時、ついにラインハルトが本日五度目のため息を吐いた。





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