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陽が昇ったら、ラインハルトたちと大樹の下で落ち合う約束になっている。いつのまにか浅い眠りについていた洸が目を開けたのは、一番鳥が鳴き出したころだった。空はまだ暗い。ばら撒かれた砂のように空に散る星雲を見上げ、洸はひとつ伸びをする。炎は小さくなっていたが、まだ燃えていた。座っていた荒削りの丸太から立ち上がる。火を消して大きく朝の空気を吸い込んだ。

郁人はといえば、さきほどまで洸が眠っていた傍らで丸くなっている。まだ寝ているのだろう、背中がゆっくりと上下していた。あれだけ高らかに鳥が鳴いても起きないというのもなかなかに太い神経だと洸は思う。ひとりで夜営の出来ないタイプである。血塗れの外套はとっくに棄ててしまっていたから、郁人が身体に掛けているのは申し訳程度の上着だけだ。寒くはないだろうか、と思って、背中に手をのせるとじんわりとあたたかい。

「…まだいいか」

明るくなったら揺り起そうと思いながら、洸は再び丸太へと腰かけた。郁人が言う通り、昔はいつも手を引き前に立っていたのは郁人のほうで、洸はそんなかれに甘えてばかりいたような気がする。心の中ではいつもかれを守りたい、と、そう思っていたけれど、残念なことに郁人は洸に守られるほど弱くも子供でもなかった。郁人はいつもそんな洸の、まだ力を伴わない背伸びを先回りしていたような気がする。

子供であることを許されなかったのは、周囲の期待のせいだろうか。それとも郁人自身がそう望んだからだろうか。…この国を出てからの郁人を見ていると、どちらでもあるような気がしている。ようやっと郁人が、背伸びをせずともよくなったような、そんな気が。

だから洸は、かれを今度こそ守ってやりたいと思うのだ。かつてそうしてもらったように。それ以上に。残念なことにそんな洸の気持ちはあまり郁人に届いていないようだったけれど、別段洸は構わない。とりあえず恥ずかしい過去のことは水に流してくれないかな、なんて思いながら、指先で亜麻色の髪を梳いた。頭を撫でるのも、幼いころによく郁人にされたことを覚えているからだと洸は自覚をしている。洸が泣いているとき、涙をこらえているときもいつも、郁人は洸の髪をぐしゃぐしゃと撫でて、大丈夫だと笑ってくれていた。

「…ん」

むずかるように、郁人が声を上げる。もぞりとその背中が動いた。ずり落ちかけた上着を取り上げ、洸は起こしたかと郁人の顔を覗きこむ。前髪の奥の瞳は閉じられていた。眉が寄り、いかにも寝起きですといった顔をしている。起きるだろうか、と思いながら見ていると、おもむろに郁人が動いた。毛布か何かを抱え込むかのように腕が伸びて、洸の半端な長さの黒髪を、ぐいっ、と。

「いッ…!」

声にならない洸の悲鳴に、驚いたように郁人が目を開ける。顔に押しつけられているのがどうやら洸の手だというのはなんとなく理解をしたが、まだ思考力は伴っていなかった。ぐいぐいと頭を押しのけられ、溜まらず郁人は起き上がる。洸はというと、郁人をおっつけていないほうのてのひらで顔を覆ってしまっていた。

「…洸?」
「何すんだおま…!!」

どうやら夢の最後で食べかけたパンケーキは、洸の鼻だったらしい。はっきりと歯型が残ったそこを見て思わず郁人は噴き出したが、そうとうに痛かったらしく洸に殴られた。理不尽だ!と主張をしたが聞き入れられそうにない。

「どれだけ腹減ってるんだよ…」

鼻を擦りながら、洸は呆れたように半眼で郁人を見た。こいつにとってはパンケーキ扱いか、と、かれのなかでの自分の立ち位置がついに最低ラインを更新したことに泣きたくなる。確かに雑食性の生き物だってことはしっていたが、自分までその対象に入るとは思わなかった。寝ているときは特に気をつけなければならない。いつかきっと食われる、と思いながら、まだ薄暗い中を見回す。

「とりあえず、林檎でいい?」
「ん」

欠伸を噛み殺しながら頷いて、郁人は身軽く立ち上がった洸の背中を見送る。目の前の小川のせせらぎに目をやった。昔、この川を最初にみつけたときはとても嬉しかったものだ。いつも郁人を外に連れ出すのは洸だったけれど、最終的には郁人が手を引っ張って洸と邸に帰ってきていた。すっかり立派になったものだ、なんて、本人にしれたらまた怒られることを思いながら、いくつか林檎を抱えて戻ってくる洸を見る。もう木に登らなくても林檎が取れる背丈になったのだと思えば、最初に洸についてきてくれるか、といったあのときからもう十年が経っているというのにも頷けた。

「お前、頼むから気をつけろよ。あの糞皇子相手に油断するな」
「おまえは凪をなんだと思ってるんだ…」

大ぶりの林檎を渡される。齧りつきながら、郁人は肩を竦めて苦笑いをした。苦い顔をしたまま、洸はその隣に腰掛ける。かれも林檎を口にしながら街にいったら食べ物くらい買う時間はあるだろう、と思案をした。思えば昨日から林檎しか口にしていない。食べられかけるのも当然だ。まだじんじんと痛む鼻のことを思う。

「お前こそ、あいつを何だと思ってるんだ。あいつのところへひとりで行かせるのなんて、敵陣のまっただなかに投げ出すようなもんだろ」
「…お前のしってる凪とおれのしってる凪が同じ人なのかわからなくなるな」

同族嫌悪だよ、と洸は吐き捨てた。それからぐしゃぐしゃと郁人の頭を撫でて、ようやく安心したように長く息を吐く。

「まあいい。ゴタついてる今なら、そう問題もねえだろう」
「しかし、凪はどこで魔導砲のことを知ったんだろうな。…軍部には山の国のスパイもいるだろう、危険は承知のはずだ」

郁人は言いながら、既に晴れ渡り平時の喧騒を取り戻しているであろう帝都を見やる。昨晩の混乱は伝わっているだろうか。それとも上手く、情報統制を敷いたのであろうか。

「そろそろ向かおうか。ラインハルトのことだ、色々なことを調べているだろうしな」
「イマイチ食えねえんだよな、あの男。…法の犬、か」
「目標にかけては一途だからこそ何より信頼が出来る。かれは不器用なんだよ、誰かさんと同じでな」
「俺よりお前のほうが、ずうっと不器用だっての」

こつんと郁人の頭に手の甲を当て、洸は大きく伸びをした。その腰に下がる騎士の刀が、陽光を受け燦然と輝いているのを、なんともなしに郁人は目で追う。その剣は、かれの翡翠の瞳と同じように、いつまでもきらきらとした輝きを持ち続けていた。





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