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26




太陽が海の果て、水平線の近くまで沈みかけている。

侵入の手はずを確認して、そして大公の決定が下り正式に軍が動くまでの時間を潰すために、ラインハルトとシオンに帝都の観光を勧めたのは郁人だった。恐らく陽が落ちるまでには結論がでる、というのが郁人の見立てである。そして軍が動くのは夜半、となると、帝都が手薄になるのは明日以降だ。それに、せっかく海の国に来てゆっくり観光も出来ないんじゃかわいそうだ、とかれらしい理由もあった。

顔みしりも多い郁人と洸は立ち入ることが出来ないが、ラインハルトとシオンだけならば商人とでも旅人とでも何とでも偽れる。街での情報も収集出来るということでラインハルトが頷いたのだが、シオンがひどくはしゃいでいた。微笑ましかったのでかれに年を聞くと、まだ成人にも満たないという。郁人はとても驚いたのだけれど、確かに二度ほど見た隠すもののない顔立ちは幼さを残していたかもしれない。

そんなシオンと、それに手を焼いているラインハルトが帝都のほうへ向かってから、すでに数時間が経っていた。

この街道のどこかで夜を明かすことになった郁人と洸は夜営の出来そうな場所を探している。無論、幼いころから遊び場所にしていたような場所のことだ、思い当たるところは沢山あった。嘗て過ごしたこの国の記憶が、洪水のように蘇ってくる。

「なあ、洸、この木覚えてるか?」
「知らねえよ、忘れた」
「林檎取ってやる、っていってひとりで登って、降りられなくて泣いたんだったな」
「記憶にゴザイマセン」

先ほどの大樹から、さらに進んだところにある林檎の木に懐かしそうに触れ、郁人が笑いながら先を歩く洸に声をかける。先ほどから事あるごとに忘れるわけのない恥ずかしい過去を持ち出されて、洸は先ほどから言葉少なくなっていた。なんとなく耳が赤いのを、郁人は指摘しようかしないでおこうか迷っている。

「このへんで良いか」

先を行く洸が立ち止り、振り向かないまま頭を掻く。かれが指差したのは、穏やかな小川の流れる川辺だった。釣り人などが使うのだろうか、火の熾きた痕と丸太が転がっている。頷いてから郁人が空を見上げた。ゆっくりと夜が近づいてくるのが分かる。木々に阻まれ東の都は見えないが、今はどうなっているのだろうか。未だ山の国との小競り合いは続いているのだろうか。不安要素は山ほどあったが、兄やその騎士の姿を見たせいかあまり心配にはならなかった。

「しかし、お前ももの好きだな」
「もの好きに付き合ってる、お前ももの好きだろ」

丸太に腰かけた郁人は、火の痕を確認している洸の背中に軽口を返した。たしかに、と頷いてかれは懐から件の小さな火の魔石を取り出す。ジーンのパン釜で使われていた、十年ものの魔石だ。郁人が何か言うよりも先に、それを燃え滓の中心に据える。

「どうやって火をつけりゃいいかな…、石で叩いてみるか」
「爆発したらどうする気だ。マッチかなにか、もっていないのか」
「ない。俺煙草吸わねえし」

魔石はエネルギーを内包している、言わば器だ。中のエネルギーを取り出すには、何らかの力を加えなければならない。加工されたもののなかには容易く壊すことが出来る魔石もあったが、この火の魔石のように炎の代わりに使われるようなものは、火種を与えてそれを増幅させるために使われる。これが一つあったところで、火が熾きるわけではなかった。

「何か探してみる。それは危ないからしまっとけよ」
「この石、ホント使い道ねえな…、爆弾の代わりにはなるか?」

洸は取り上げた火の魔石を掌の上でぽんぽんと跳ねさせると、そのままそれをポケットに突っ込む。物騒なことを、と思いながらも、待ち受けているであろう軍や騎士団のことも考えると持っていたほうがいい気がしていた。郁人は黙って頷くと、何か使えるものがないかと荷物を漁る。確かいつかの依頼人の店で貰ったマッチが入っていた。運よく湿気ていなかったそれを擦り、郁人が火を熾す。

暗くなりかけた視界が、ぼんやりと橙色に照らされる。川のせせらぎだけを聞きながら、なんとなく郁人は黙った。丸太の隣に腰かけた洸も剣を研ぎながら、特に声をかけてこない。

こうして落ち着いてみると、前の晩まで森の国にいたということが信じられないような気がしていた。会うつもりのなかった兄や母や妹に会い、そして今度は城へと忍び込もうとしている。まったく予想も出来なかった、とんだ冒険だった。

「…おれ的には、もうすこし推理とかそういうの、したいんだけど」
「帰ったら諦めて、何でも屋に看板変えようぜ」
「いやだ!」

笑いながら、洸が先ほどふらりと何処かに出かけたときに取ってきたらしい林檎を投げて寄越した。ひとりで降りられたのか、と言いながら歯を立てる。店のものよりも酸味があるが美味しかった。

「いい加減忘れろ!何でそう、お前は俺のカッコ悪い所ばっかり覚えてるんだよ」
「昔はあんなに可愛かったのにな。夜になって道が分からなくなったら、おれの後ろに隠れてたっけ」
「だああ!」

いかに強くなろうと、いかに背が伸びて郁人を追い越そうと、かれのなかで洸はいつまでも手のかかる泣き虫な幼馴染なのだろう。きっと郁人はかれの腕に縋りついて泣きながら怯えていた幼い洸を、洸本人よりずっと鮮明に覚えている。

「ふふ」

頭を抱えた洸を楽しげに見て、郁人は僅かに爆ぜる炎に目をやった。…この国を出た晩のことは、よく覚えている。屋敷を出てすぐ追手に追われ、囲まれそうになったところを腕を引いて走ってくれた、洸の背中も、その手の熱も。なんだかいつもと逆だな、と呑気に思ったことを、とても鮮明に覚えていた。

「おまえが格好いいと腹が立つから、ちょうどいい」
「なんだよ、それ」
「言葉通りの意味!」

芯だけになった林檎を火の燃料にすると、大きく炎が爆ぜる。洸は諦めたように仰のくと、開き直ったように仏頂面で郁人を見た。

「まあ、今回はあの糞皇子に話を聞ければそれでいいんだろう?」
「うん。魔導砲を造る、ということ自体は考えられる。…あの書庫にも、似たような研究のレポートはたくさんあった。危険を冒してまで新たな兵器が必要だったのか、それとも…」

またはじまった、という風な顔を、洸はした。だがかれを止めようとは思わない。かれが生き生きと目を輝かせているさまを見るのは、洸にとっても嬉しいことだった。間接的ではあるが凪の手助けをする形になりそうなのは気に食わなかったが、この国のことは他人事ではない。かれが見つけた答えがどこに続くかはわからないが、どこへなりとも共に行くことなどとっくに決まっている。

「それとも、もっと違うことを研究していたのか?」

郁人の表情がすっと真面目なものになった。かれの頭にあった違和感に、どうやら思考が辿りついたらしい。そのさまを横目で眺めながら、洸は人知れずため息をつく。相変わらずすぎて、かれはいつも洸に日常しか与えて寄越さなかった。限りなくアブノーマルな状況下にあるというのに、世界を巻き込んだ戦争に発展しかねないさなかであるのに、なんだか、なんとなく大丈夫なような気がしてしまう。

こいつには敵わない、と、洸は生まれてこのかたの二十数年間の総観を胸のなかで呟いた。




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