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「かれはその状況を完璧に作り出せる。なんの変哲もないナイフで死ぬことも、机をそのままにしておくことも、部屋の中央に倒れることも。ケイが現場に行ったのならば、絨毯は雨に濡れるだろう。かれが何かを誤解したとき、そのときだけその状況は、作り出され得る」
「…誤解?」
「…殺そうと思った相手が、すでに死んでいたときだよ。ケイの脳裏によぎるのは、無論、もともとの犯人と目されていたミシェルの兄たちだろう。ならばかれはそちらを追う。かれらの手に何らかのものが、例えばミシェルの立場や命を脅かすものが渡ったと考えるとしたらな」

だからかれは、老人の部屋を荒らさなかった。そんな暇は、なかったのかもしれない。最初に確かめたのはミシェルの無事だろう。そしてそれから、かれは雨のなかを駆けた。郁人はそこまでかれの『想像』を吐き出すと、泣き出しそうな例の瞳を、じっと洸に向けた。

「これはただの想像だ。老人は、そうまでして、ミシェルにあの屋敷を、その財を、血のつながった息子に渡したがった。ケイはおそらく、ミシェルの兄に屋敷を継がせたかった。…それは」

洸はとっさに、耳を塞ぎたくなった。雷鳴が耳を貫いたからではない。洸はもう、雷の晩に泣きながら郁人の部屋を訪れる子供ではない。成長をして、強くなって、大人になった。たとえば郁人の身体を縛る鎖を、血の繋がりとかいうものでできたそれを、叩き切ってやろうかと思い、それを実行できるくらいには。

「それは、ミシェルのためか、洸」

郁人の声は、ほんのすこし揺れていた。漏れてしまいそうな悲鳴を噛み殺すように、その唇が引き結ばれている。けれどかれは泣かないだろう。それをしたのは、ケイだったから。洸ではない。もう、起こり得た『それ』は過去の話だから。

「…さあな」

郁人はミシェルに自分を重ねている。洸がかれと対峙したとき、ケイに自分を重ねたようにして。気付いてしまった。洸の言葉の意味。

「…おまえは、やったのか。もし、おれが、あの夜に、」
「郁人」
「…あの夜に諦めていたら。……、なあ、洸」
「郁人!」

意味のないことを、郁人が聞くのは珍しいことだった。雨の中でも十分に聞こえるような怒鳴り声で名前を呼んで、洸はその肩を乱暴に引き寄せる。濡れそぼった体はすっかり冷えていた。薬が効くまで待とうと思ったが、これでは凍えてしまう。戻らなければ、と思う。

「諦めてたら、とか、わかんねえだろ。おまえは諦めなかった。逃げるって決めて、俺の部屋に来たじゃねえか。だから、俺も、わかんねえよ」

洸は、郁人に嘘はつけない。きっとすぐに見抜かれてしまう。だから正直にそう言って、寒さのせいでなしに震えているように見える身体に熱を分け与えるように、背中を撫でてやる。その身のうちの考えが、想像が、どのようなものかは洸にはわからない。わからないけれど、わかる。同じだ。洸だって考えた。…俺はやっただろうか、あの美しい邸で、こんなことを。

「…そうか。…そうだな。悪い。意味のないことを、聞いたな」

ぎゅっと洸の襟元を握りしめていた郁人はそういうと、小さく笑って、頷いた。かれの思考を覆った、起こり得た過去が薄れていくのを、洸は少し待つ。その間に郁人の震えはすっかり収まった。

「…ケイは、そうして、走ったのか。山の下の街の三兄弟が老人を殺せるわけがないと何処かで思いながら。…老人の読み通りに、そしてかれは、いつかミシェルを殺しただろうその兄たちを、殺した。そして今度はそのケイを、おれたちに捕まえるか、…殺させようとした、というわけか」

すべては、老人の策だった。
郁人の脳は、無意識のうちにそれで納得をした。すべての違和感の断片がつながる。出来すぎた舞台。整いすぎた条件。愚直な役者。唯一の誤算は、ケイに手を掴まれたミシェルが、走ってしまったこと。

「…不毛だな」

要らなかったのだ、ミシェルはきっと。郁人と、おなじように。

洸は小さくそう呟くと、なんとなく郁人の頭をぎゅっと抱き寄せ、ひとつため息をついた。

思い出す。
あの夜の覚悟。郁人かその兄、どちらかの死を待つ時計の針を見つめたときの、仄暗い激情。いま磨いている剣が誰を、何を斬っても、構わないと思ったこと。郁人の足音が躊躇いながら、それでも立ち止まらずに聞こえてきたときに感じた安堵。

先ほどの郁人の問いの、答えは是だった。

「戻んぞ、郁人。寒いし、シオンの様子も確かめねえと。手首は折れてるだろうし、ラインハルトにぶん殴られてたらかわいそうだ」
「…ああ、そうだな」

温かさを取り戻した郁人の身体を少し名残惜しく思いながら、洸はかれを解放してその腕を掴んだ。薬がすこし効き始めたか、呼吸も整っているようだ。それに胸を撫で下ろし、郁人を視線で促す。かれはもうその瞳に迷いを滲ませることはなかった。解き明かした謎の答えは見つからないだろう。けれどかれの直感がそれを正しいというのなら、それでいい。

ケイは、きっと、ミシェルに嘘をつき続ける。それは洸の確信だった。おまえの父親を殺したのは俺だと、ケイは言い続ける。そうするはずだったから。違う、かれの兄でなく、ケイがそうしなければ、ミシェルを解放できないと、そう思うから。だから老人の死が自殺であったことを知るのは、自分とそして隣の名探偵しかいないのだろうと思う。

けれど、それでも。
いつか必ず、ミシェルは気付いてしまう。かれが冷静さを取り戻し、ゆっくりと悪夢を辿った時、きっと。

「なんとなく、かれらとはまた会う気がするよ」
「俺は、会いたくねえけどな」

郁人が雨の中でぽつりとこぼした言葉に、洸は肯定と取れる返事をした。









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