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9



大聖堂までの道はそう遠くなかった。ローブに足を取られかける神子をほとんど引きずるように、俺は走った。すっかり息の上がった神子の荒い息遣いのほかは無音だった。まるで誘い込むように、暗殺者は現れない。軍部のひとりもいない。この扉を開けた先に待っている。それを俺は知っている。

神子に生きて欲しかった。いつしか俺はそう思っていた。神子に、その目で、その真紅の瞳でこの国を見て欲しかった。

見せたかった。

どうすればいい? 今確かに熱を持ち、生きているかれの願いを叶えるには。大聖堂の壁はあまりに厚い。神子のために、すべての窓は塞がれているはずだ。どうすればいい。

扉を開ける。頭が思考をやめる。神子は無言のままだった。昔を思い出す。軍部にいたころではない。教団兵になり、護衛になってすぐ。神子はあまり喋らなかった。俺も口を開かなかったから、そこにあるのはいつも沈黙だった。時折かなしげに神子が、外の世界のことを羨望を含んだ声で俺に尋ねた。俺はそれに応え、そして時が経つにつれて、俺は自分から街のことをかれに話すようになった。俺の話に聞き入るとき、民の安寧を聞くときはいつも、神子はその目を輝かせていたっけ。近頃はよく話しかけてくれたから、忘れていたけれど。


「やれ」


うつくしい大聖堂には、不釣り合いな軍装の男たちが山ほどいた。ずらりと並んだ軍人と暗殺者のなかには、教官の姿が見える。神子の腕を引いた俺を見て、満足そうに口の端を釣り上げている。俺は反射的に足を止め、そして神子の手を離していた。まるで最初からそうするはずだったように、俺の手が剣の柄にかかる。

ぎい、と大きな音を立てて大聖堂の扉が閉まった。俺は緩慢に神子を振り返る。真紅の瞳が俺を見返す。

かれは笑っていた。

初めてこの場所で出会ったときと同じ笑顔。昨日の夜も見たそれ。さっき貼り付けていた微笑みとは違う。わずかだけれど明確な笑み。なにもかも分かっていたような笑み。俺がもう一度見たかった笑顔。たしかに、そこにあった。

息が出来なくなる。

四方が敵。違う、味方。俺に手柄を譲るというのか、誰も動かない。静寂が刹那、世界を支配する。神子が祈る神の描かれたステンドグラスが輝いている。日の光にではない。人工灯を照り返している。夕陽がここに差し込めば、どれだけ美しいことだろう。

どうすればいい?

神子の静かな微笑みが深まり、かれはゆっくりとその瞳を閉じた。まるで俺に殺されるのを、待っているようだった。心臓が跳ねる。吐き気がする。教官を振り向く。かれは教えてくれるだろうか。今まで俺に命じて人を殺させてきたように、今回もその男を、神子を殺せと言うのだろうか。俺に命を下し、躊躇うことなく神子を殺させてくれるだろうか。

教官の瞳が、訝しげに細められる。後ろで神子が、笑ったせいだろうか。それとも俺が、震えているせいだろうか。神子は無言のままだった。俺の名を呼びはしない。呼んではくれなかった。俺の胸をあれほど震わせる、神子の声は聞けなかった。かわりに遠くから教団兵と軍の戦闘だろう怒号が聞こえてくる。この混乱では成人の儀は無理だろう。なぜかいま、そんなことを思う。なら、外に、神子を連れ出せるだろうか。馬鹿みたいだと思う。

どうすればいい?
違う。そんなこと、ほんとうはわかっていた。見ようとしなかっただけで、とっくに腹は決まっていた。きっともっと前から。ずっとずっと前から。

大切なことは、そんなことではなかった。神子に伸ばしたくて彷徨った手が、剣の柄に引っかかる。護衛に与えられるそれには、うつくしい宝玉がついていた。その滑らかな表面を、なんともなしに掌で撫でてみる。もう手は震えなかった。教官が安堵したように唇の端を持ち上げたのが見える。もう一度、目を閉じて深呼吸をした。

俺は、どうしたい?

剣を握る。引き抜く。四方が味方。違う、敵。
これは敵だ。俺は神子の刃だ。神子を守り、神子に外の世界を、うつくしい未来を見せるためにいる。とっくにそんなこと、わかっていた。目を開き、前を向けば、もう迷いはひとつもなかった。身体がひどく、軽い。

暗殺者に負ける気はしなかった。同じことを習ってきた。それ以上のことを知っている。
もう俺は俺の意思で戦える。

「大丈夫だ、」

言葉が自然と口から飛び出していた。俺はもうそれを止めようとは思わない。かつてないほどの身軽さで、俺の足は地を蹴った。

言いたかった言葉を言う。俺のこころは認めようとしなかったが、その思いはずっとまえから、この胸に巣食っていた。俺はただの、――かれの護衛だった。かれを守ることに喜びを感じ、かれのこころざしを慕っていた。ほんとうは、きっと、だれよりも。

「お前は俺が、守るよ」

教官の眉が不快そうに潜められたのが見える。それと両隣の暗殺者が後ろにかしいで倒れたのはほぼ同時。大聖堂の床に赤が散る。身を翻す。動き出した軍人の首を薙ぐ。剣戟を潜って同士討ちを誘う。神子の位置を確認し、その真紅の瞳が見開かれているのを知る。笑みはもうそこにはなかった。笑って欲しかった。








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