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Cheers!




「思えば、ずいぶんと遠くまで来たな」

穏やかな灯りが机の上でゆれている。ゆっくりと時計の針が時を刻むのを聞きながら、自然とそんな言葉が口をついた。珍しく仕事の依頼が立て込んでいたから、こうして静かな時間を過ごすのが久しぶりだったせいかもしれない。相変わらず依頼のほうは、推理なんて必要もないただの便利屋の面が多かった。迷い猫の捜索なんていうめずらしく探偵らしい依頼が来たかと思えば、アルメリカがパンくずで餌付けをしていた黒猫がそれだったりする。事実は小説より奇なり、と言ったのは誰だったか、残念ながら今のところおれはそれを体感できていない。

「そうか?」

そして情緒のない返事を返してよこしたとなりの自称助手はといえば、いい感じに出来あがっていた。麦芽の発泡酒を煽っている。おれもさっきまで飲んでいたからわかるけど、あれは今回の依頼人の差し入れの密造酒だ。アルコール分が高い。
そのせいか洸もうっすらと目元が赤かった。めずらしい。ちなみにこいつはザルだ。むしろ枠かもしれない。浴びるように酒を呑む癖に、ふらふらになったりしたところを見たことがない。おれは酒に酔ってふわふわする感覚が好きだからそれを羨ましくは思わないが、おれが二日酔いで死にかけているときに平然としているのはちょっと苛つく。酒に弱そうに見えるんだけどな。

「あのころは、まさか十年後森の国で探偵事務所開いて猫を追いかけ回すことになるとは思ってもみなかった」
「けどお前、よく言ってただろ。探偵になりたいって」
「言ってた。言ってたけど、」

実現するとは、ほんとうは、少しも思っちゃいなかった。なんて洸にいったらきっと笑われるから黙っておく。おれはあの、うつくしくてきれいな東の大公邸で一生を終えるのだとうっすら思っていた。それは子供らしい強固な確信だったように思う。次期大公を兄さんにするためになんとか工作をして、そのかわり、兄さんを助けようとそう思っていた。

けれど父上はそれを望まなかった。強い、優れたほうが生き残りそして大公になるのだと、父上自身がそうしてきたように、それをおれと兄さんに課した。だからおれは、あの邸に居ることが出来なくなったのだ。おれには兄さんに剣を向けることなんて出来ない。兄さんはきっとおれに剣を向けはしない。なら、おれがいなくなることでしか、兄さんを次期大公には出来なかった。

そう思ってからはとても早かった。邸を出る。国を出る。そうして、それから、どうする?そう考えたときに、探偵になりたい、とそう強く思った。あてはなかったけれどどうせ他に道もない。うっすらとそこの飲んだくれがついてきてくれることは分かっていた。それだけで何とかなるような、そんな気がしていた。そしてその確信は、今度こそ的中したわけだけれど。

「洸、お前は」

後悔、していないのか?聞きたくて聞けない言葉が、喉まで出かかった。もう少し酒を飲んでいたら口走ってしまっていたかもしれない。心の底から良かったと思う。聞くのが怖い。反応を見るのも、怖い。

もしもおれが大公になると決意をし兄さんを打ち倒していたら、そういえばこいつは栄えある騎士団長になっていたわけだ。似合わない。そのほかにも、長年学校に通った理由である騎士の地位だって書類上は剥奪されているだろう。あんなに騎士になるって張り切っていたっていうのに、まあ、まだおれは洸をおれの騎士だと思っているけれど、形式上はそれも奪ってしまった。こいつを見ているかぎり、気にしていなさそうだけど。まったくもって。…なんだかなんとなく一瞬でも気に病んだ自分が悔しくなった。

「ん?どうした」

次は果実酒を呑むらしい洸が、片眉を上げておれを振り向く。脳天気な顔を見ているとなんだかやたらと腹が立ったのでそっぽを向いてなんでもない、と言い置いて、おれは黙って窓のそとに目をやった。大人になったなあと思う。

大人になった。自分の意志で未来を決めて、そしてこれまでの全部をあの国に置いてきたわけだ。世間知らずなお坊ちゃんだった(自分でいうのもなんだけど)おれが探偵をきちんと(異論は認めない)やれているのは、すごいことだと自分でも思う。

「なあ助手」
「なんだ大先生」

やっぱり、あの国は、あんまり遠くないかもしれない。おまえがいると、そんな気がする。思ったはいいけど口にするのも気恥かしいので、おれは再び黙った。なんだよ、と洸が唇を尖らせる。可愛くない。だから黙って思いっきり身体をぶつけてやった。盛大に酒を零した洸が悲鳴を上げる。さっさと身体を引いて洸が慌てて布巾を探しているさまを眺めて溜飲を下ろし、おれはちいさく声をかけてみた。

「ありがとうな、一緒に来てくれて」

ついにグラスごと酒をひっくり返した洸が、首が折れるんじゃないかってぐらいの勢いでおれを振り向く。何か言おうと口が開いたり閉じたりしていたが、結局返事はなかった。おれは柄にもないことをしてしまったことを非常に後悔しながら、見当違いな場所を懸命に拭いている洸の背中を見て念じた。もっと酒を呑め。そして忘れろ。

「…、あーそのなんだ、郁人。酔ってる?」

一気に酒が廻ったのか耳まで赤い洸を見て、おれは思わず噴き出していた。相変わらず不意打ちに弱い奴だ。酔ってる酔ってる、と鷹揚に答え、というか本当に酔ってるんじゃないか、おれ、とそう気付いたところで思考を放り投げた。アルコールって怖い。素面ならこんな気恥ずかしい台詞、絶対に吐かなかった。

「俺は別に、何処だってなんだって良かったよ。お前と一緒なら」

背中が、喋る。おれは実はこいつも少なからず酔ってるってことを確信した。じゃないとこんな恥ずかしい台詞、絶対に吐かないだろう。おれまで恥ずかしくなったじゃないか。

お互い内心で激しく後悔しながら、とりあえずおれたちはもう一杯酒を煽った。翌日になって異様に酒臭い事務所に絶句するのはわかってるけど、呑まずにはいられない。おれなんかはおまけに二日酔い確定だ。でもなんというか、それもそんなにいやじゃなかった。どうやらおれは完全に酔っているらしい。





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