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つつがなく祈りを終えた神子は俺の買って来た桃を食べ、すこし機嫌が良さそうに見えた。お偉いさんが成人の儀の打ち合わせにきても、もう寝台に寝ていなくても大丈夫だといって椅子に座って応対をした。かれは生きていた。

成人の儀は、それ専用に作られた豪奢な部屋で行われる。王も王家の者も招かれるそこに辿り着くのと、襲撃が始まるのと、どちらが早いだろうか。頭の中で考えようとするが、すこしも思考がまとまらない。時間がなかった。自分がなにをするべきなのか決めるには、叩き込まれた暗殺者として、スパイとしての自分は雄弁だった。

どのみち神子は今日死ぬのだ。
ならばお前が殺してやればいい。
出来るだけ苦しみの少ないように。

どうすればいい?聞くべき相手はいなかった。教官がここにいたならば、首を薙いでも、胸を突いても、切り刻んでもいいといっただろうか。たとえ俺が何もせずにいても、今回の襲撃はきっと護衛だけでは防げない。ただでさえ神子の快復に浮かれているばかな護衛たちに、きっと神子は守りきれないだろう。動揺しているはずなのに冷静に判断を下すのは、俺が暗殺者だからだ。生まれついての、人殺しだからだ。

どのみち神子が死ぬのならば。
ならば、俺が。せめて一太刀で。
苦しまなくて済むように。

「ライナス」

お偉いさんが立ち去ったあと、儀式用の服に着替えなければならない神子のために慌ただしく服を抱えた神官たちが部屋に入って来る。俺はぼうっと神子がきらきらしく飾られていくのを眺めていた。いつもよりもさらに飾りの豪華な、重そうな白いローブと銀の髪に飾られた宝玉のついた帽子は、かれをいつも以上に神子らしくしていた。

「ぼうっとしているが、どうかしたのか?」
「…あ、…いえ」
「儀式の夜は忙しい。今日私を連れ出せとは言わないよ」

俺の困惑をどう受け取ったのか、神子はそうやっていって俺の肩を叩いた。違う、違うんだ。今日でなければ。やはり昨日、お前のはじめてのわがままを叶えてやるべきだった。俺が馬鹿なことなど考えなければ、いつまでもお前のそばにいられるなどと思わなければ、お前は願いを叶えられたのに。

言いたい言葉は音にならない。すでに太陽は傾き、夕焼けが美しく街を照らす時間になっていた。この部屋からは、決して見えないけれど。

「…参りましょう、神子よ」

俺に考える時間は与えられないままだった。部屋の外にいた護衛たちが扉を開ける。神子は静かに頷くと、ずらりと並んだ護衛と、呆けたままの俺を見回した。

その表情は、笑みを作ろうとしているように俺には見えた。使い慣れていない表情筋を、力づくで動かしている。

「今まで、ありがとう。十八まで私が生きてこれたのは、お前たちと、そして、お前たちの先任のおかげだ」

神子の声は柔らかかった。耳を塞いで逃げ出したくなる。やめてくれ。もう何もいうな。そんなことを言わないでくれ。何も考えられなくなる。

「私はこの生に満足をしている。民の声は、街の様子は、お前たちの口を通じて私に届いた。…幸福だった」

神子はそういうと、微かに震える息を吐いて、それから静かに微笑んだ。ようやく滞った表情筋を動かせるようになった、そんな微笑みだった。けれどそれは俺の胸を突き動かしはしなかった。あれほど見たかった笑顔のはずなのに俺のこころは震えなかった。こころは確かにあって、今剣で突き刺されたように痛んでいるのに、その笑顔は俺が望んだものではなかった。

幸福だった。

俺も、…俺もだ。幸福だった。お前に仕えて、お前と過ごして、幸福だった。眦の奥が鈍く痛んだ。息をするのが辛かった。

「…ゆこう」

けれど俺にそれ以上考える暇を与えず、重そうなローブを引きずって、神子は歩き出した。かれは躊躇うことなく、十八年間過ごした部屋を出る。俺の足は反射的にそれに続いた。耳鳴りがひどい。立ち止りたいと全身が叫んでいる。足が鉛をつけたように重い。神子の腕を引き、あの箱庭に戻りたい。その思いだけが、俺の胸を支配している。

ずらりと並んだ教団兵が、その顔を喜びに輝かせて廊下に立っていた。初めて神子を見るものがほとんどだろう。けれど誰もが、微笑みを顔に貼り付けて歩く神子を祝福していた。俺は囚人のような気持ちでその一歩前を歩く。心臓の音がうるさい。

角を曲がる。教団兵がいる。端の教団兵がなにかを叫ぶ。その身体が傾いで倒れる。赤が広がる。見慣れているはずで久方ぶりに見る気がする軍部の暗殺者たちが雪崩れ込んでくる。護衛のひとりがなにかを叫ぶ。まるで連作の絵画を見ているような気分だった。とおい。すべてがひどく、遠い。

「ライナスさん、神子を!」

大聖堂の位置を探す。この角を進んで左だ。機械的にうなづいて、真後ろにいる神子の腕を掴んだ。背後から先ほどの教団兵たちが、血相を変えて駆け寄って来る気配。俺は走った。泣きたかった。









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