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7




しばらく経った。

神子の成人の儀を直前に控えていたが、俺は連絡を寄越さない軍に少しだけ安堵していた。このごろずっと神子は体調を崩し、部屋に寝付いている。いつもは数時間に及ぶ神への祈りが神殿のお偉いさんに禁じられたせいで、護衛にも休みがなくなった。

原因不明の高熱は、神殿が集めた名医たちをもってしても治療の糸口を掴めずにいる。様々な機械に繋がれた神子が解放されたのは夜も遅くなってからだった。諦めたように首を振った主治医に掴みかかった護衛のひとりを制すまで、痛々しいそれから眼をそらしていたことに気づく。痛々しいなどと感じる自分に驚く。

神子の病がどれだけ悪いのか、ということは、ひっきりなしに行き来するお偉いさんと敷かれた箝口令ですぐに知れた。毒も疑われたようだがどんな反応も出なかったらしい。なにひとつわからなかった。神子は神の意思だと言って眼を閉じていた。

数日が経ち、いよいよ医者の出入りが激しくなった。メイドたちの嗚咽が聞こえるようになった。疎い俺でも、神子が生死の境にいることは分かった。分かっているはずなのに、俺は、それをどこか絵空事のように感じている。神子が死ぬ。…いつか殺すはずの相手なのに、その事実には全く現実味がない。

「…ライナス、頼みが…、ある」

そんな神子に声をかけられるまで、俺は閉められたままのカーテンをぼんやりと見つめていた。近頃は軍部も暗殺者をあまり寄越さない。無駄だとわかったのだろうか。大抵の暗殺者を俺が仕留めている。同士討ちだ。馬鹿らしい。神子がローブを血に染めて祈るのは、暗殺者のためだけになっていた。護衛はあまり減らなくなった。神子はそれを嬉しい、といった。けれどその顔は笑みを浮かべはしなかった。

「…なんなりと」
「……私に、」

慌ててそばの椅子を立ち上がり、言葉を発するのも辛そうな神子の口元に耳を近づける。熱を持って焼けそうな手を握る。こんなはずではないと思う。わけのわからない感情に、俺は戸惑っている。

「………、私に、外の世界を見せて欲しい」

神子は、そう言った。息が止まる。なんと言っていいかわからなくなる。頷けばいいと頭では思うが、言葉にならない。飲み下した言葉が胸を焼く。

「……ですが、眼が」
「どうせもうなにも見えなくなる。…そう、神が定めた」

嘘をつけ、と言いたくなる。神はいない。お前は神の子ではない。ただ、居もしないそれに勝手に縛られているだけだ。その瞳は日光に弱い、夜の間ならば、と思うが、すでに夜は明けかけていた。白々しい朝日が世界には満ちていることだろう。

「…窓越しでもいい。私は、街が見たい…」

荒い息の狭間で、神子はそう吐き出した。熱のせいか、それともその言葉のとおりなのか、紅い目は霞がかかったように不鮮明だった。ずきりと胸のあたりが痛んだ。街が見たい。何度も聞いた言葉だったが、これが最後だと言わんばかりに、神子は瞳を逸らさない。

「…夜まで、待てませんか」
「……なんなりと、といったのは、お前だ」

神子はそう言って、寝台に腕をついて立ち上がろうとした。慌ててそれを支える。その身体が燃えるように熱い。

「待て!」

思わず声を荒げていた。それから、はっとする。目の前にいるのが神子で、自分がその護衛のふりをしていることを思い出す。手が震えていた。

「……ライナス」

支えた身体から力が抜けた。そっとそれを寝台に横たえる。動揺していた。何に動揺をしているのだろう。その瞳に何も映さなくなる神子か。願いを叶える機会を永遠に失うからか。その命を奪うのは俺ではなくこの病で、その時は刻一刻と近づいている。ならば、なぜ。どうしてこの手は震え、胸は貫かれたように痛み、得体のしれないものが俺の咽喉を締めているのか。

「…ライナス?」

俺が神子の願いを叶えてやれるのは今だけだ。死ぬ前のせめてもの慈悲になる。それを望むべきだ、と思うくらいには、俺はこの神子に絆されている。そのくらいの自覚はある。だが。

「…熱が下がって、そして夜になったら、必ず。ですから」

だから、

「諦めるな…!」

その手を握り、押し殺した声が何を言っているのか理解をする暇は俺にはなかった。声が震えたのがわかる。

「必ず外の世界を見せてやる、お前の見たがったものも、だから」

生きてくれ。

それは俺の、生まれて初めて吐露した激情だった。口にして初めて自覚をする。胸に渦巻いていた感情が何なのか、漸くはっきりする。

俺は神子に死んで欲しくなかった。生きて欲しかった。嵐から復興した街を見せたかった。神子の預言によって軽くなった税のおかげで生きやすくなったという民の声を聞かせたかった。笑った顔が見たかった。けれどそれは、ひとつも言葉にならなかった。喉が鳴る。握った手の感覚だけが鮮明だった。俺はこの男を殺すためにここにいるのだということを思い出していた。眼をつむっていてもこの男を殺せるだろう。何通りも方法がある。そんなことをしなくても、神子は勝手に死にかけている。

「…ライナス」

その声が俺を呼ぶ。胸の奥が打ち震える。あと何度聞けるのだろう。いやだ。そんなのは、いやだ。

「……泣くな、ライナス」

握っていないほうの神子の手が、そんな呟きとともに俺の頬に緩慢に触れた。その言葉を理解するのにすこし時間がかかる。泣く、という言葉を記憶から引き起こすのに手間取った。上手く訓練が出来なくて鞭打たれたとき。まだ幼かった俺は泣き叫んでいたっけ。それがうるさいと鞭が増えて、それで俺は泣かなくなった。枯れたとばかり思っていた俺の涙を拭った神子の手が震えながら、ぼとりと力なくシーツに落ちる。

「…泣くな。どうしていいか、わからない」

困り顔で神子が俺を見上げる。真紅の瞳がぼんやりと天井を仰いだ。そこに見たがっていた空も雲も虹もない。神子は管理をされた生き物だった。名前を持つことすら許されない、神子という生き物だった。

「……お前が、そんなことを言うなんて思わなかったな…」

神子は僅かな困惑をはらんだ声でそう言うと、ここではない遠くを見つめたようだった。きっと涙でひどい有様の俺の顔をそっと窺うと、その霞んだ紅い目を細める。そんな意図の読めない遠い目をした神子の表情は、すぐに苦しそうなそれに変わった。いやな咳をする。丸まったその背を慌ててさする。

苦しげな呼吸が寝息に変わるまで、俺はその背中を撫で続けた。嗚咽がかれの眠りを妨げないよう唇を噛み締め、あふれる涙がほおを伝うのを拭うことも出来ないまま、ただただ泣き続けていた。

俺はそのとき、ただの護衛だった。神子の無事を願い、その命と安全を希うことしか、出来ないでいた。











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