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この国で他のどの場所よりも神聖な神殿の、最も奥深くにその部屋はある。常に清浄な水が静かに流れ続ける階段を長く下り、遥か数千年前からそこにあり続けるという淡い光を放つ石が鎮座する部屋である。広さはそれほどではないにしろ、肌が張り詰めるような感覚を足を踏み入れる者に感じさせるような荘厳さに包まれていた。

篝火の焚かれたなかに、ひと一人がようやく座れるようなスペースがあった。階段を湧き出て滴り落ちる水はそのまま部屋の隅から零れ、神殿の外へと溢れ、そして信者たちの信仰を集める噴水に続いている。かつて人々はその噴水を中心に街を作り、国を作った。

「…」

静かに階段を降りてきた人影が、慣れた様子でその、輝く石の手前に座った。なにか聞き取れないような小さな声で真言を吐いて、それからその手を石へと伸ばす。指先が触れた刹那に、石の光が強くなった。

「…神よ」

密やかな声が問う。

「民の安寧は守られていますか」

光はゆっくりと収縮を繰り返し、まるでなにかをかれに語りかけているように見えた。水があふれる他は、かれの衣擦れの音以外、なんの音もない世界である。

「神よ」

祈りを捧げる言葉が続く。この国では奇異な銀の髪が、篝火にてらてらと照らされている。焔と同じ色をした目を静かに伏せて、かれは言う。

「私に訪れる困難など、構いはしません」

少しだけかれは、笑ったように見えた。

「わたくしが成年に至るまであと三年。お仕え続けられるとはもとより、思っておりません」

光は静かにかれの顔を照らすと、ゆっくりと点滅をはじめた。終わりの時が近づいている。まるでそう言っているようだった。

「私は死を招きます。沢山の者が私を生かすために、殺すために死にました」

返事をするように、石の光は瞬いた。かれの顔が、弾かれるように上がり、石を見つめる。水の音に満ちた神聖な世界には似つかわしくない、弾んだ声が上がった。

「ようやく私は死ぬのですね。成年を迎える、その日に」

かれの唇が弧を描く。どことなく嬉しげに見えた。笑う。

「…全ては神の御心のままに」



この国には神子がいる。国教である教団が擁し、国王に絶大な影響力を持つ神殿に祀られる神子である。遥か悠久の決まり通りに公にその姿を見せぬが、民からの圧倒的な敬慕と信頼を受ける存在だ。

そんな神子は折々において、国の重大な決定の場において、国を左右する神の預言を発する存在であった。だからこそ国王は、神子を丁重に扱ってきた。かつては神子の病を治すために大陸中から名医を集めたこともあったという。しかし今は、その「丁重」の意味はその当時とはまるで異なっていた。
生まれてから死ぬまでを管理し、適齢になれば王家の血族へと婚姻で組みこみ、そこで神子を飼殺す。次の幼い神子にも、同じようにする。王家によって、神子はもはやお飾りの存在とまでなり果てていた。繰り返す神子の代替わりは民に不信感を植え付け、王国は内部から崩壊の気配を漂わせていた。

そんなとき、長い間代々女であった神子が、健やかな男児として産まれた。
女児であれば操り易く、婚姻によって王家に組み込んでしまえる。しかし男児であればそうもゆかぬ。神殿に長く君臨することになる男の神子の存在は、産まれたときから王家にとって邪魔だった。

王が抱える軍は考えた。秘密裏に神子を弑す手段をである。久方ぶりの男の神子に民は歓喜をしていたから、表立って殺してはまずい。かといって神子を擁する神殿に仕える教団兵たちは、一分の隙もなく久方ぶりの男の神子を守っている。王家に蔑ろにされつづけただった歴史を覆すまたとない好機と、王家にとって不利益な預言ばかりを発表している。王家にとっては、苦渋の時代であった。

幾度となく放たれた暗殺者は、神子を守る精鋭たちに阻まれた。美しい神殿はそのたびに血で汚れたが、それを知るものはほんの少ししかいなかった。神子はいつだって神殿の最奥で神に祈りを捧げ、民に預言を告げて生きていた。

神子が産まれ、すでに十五年が経過している。もう時間がなかった。成年に達した神子は法皇と同じだけの権力を手に入れる。王の権力を凌駕してしまう。王はなんとしてもそれまでに神子を殺めたかった。

軍部は急いた。いくら暗殺者を送っても、かれらはことごとく帰ってこなかった。神子の預言はつつがなく流れ続け、王家の力は翳りを見せ始め、そして民は、戦の減った世を喜んでいた。







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