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「…お、お久しぶり、です、兄さん」
「あまり似ていないな」
「えー、似てますよ。ほら、鼻とか」

無言のままの或人に焦れたように、郁人がぎこちなく声を掛ける。被害を被らない位置で立ち止っているラインハルトとシオンが呑気な会話を交わしているのを耳にしながら、洸は咄嗟に剣を抜き合わせていた。

「おわっ、ちょ、兄貴!」
「言いたいことはそれだけか」
「何も言ってない!俺まだ何も言ってない!」

裂帛の気合と共に斬り込んできたのは、紛れもなく兄である。悟は明らかに五年前よりキレの増した剣を洸に打ち込んできた。容赦なんていう文字が一つも見当たらなくて洸は泣きたくなる。むしろいつもより本気なんじゃなかろうか、といった顔だ。
洸より背も高く膂力もあるかれとの戦いはかれにとって不利である。隙をついて懐に入り込むには洸は成長しすぎているし、かれの剣筋も以前とは変化をしていた。洸と違い藍色よりの髪をした悟の、熱すら孕みそうな鋭い翡翠の瞳が空恐ろしい。間違いなくやる気、もとい殺る気だ。

「落ち着け、話せばわかる!」
「今日ばかりは一発殴らないと気が済まん!」

アンタのそれは殴るじゃなくて斬るだろうが、と洸は内心で叫びながらなんとか反撃の糸口を探している。完全に防戦一方になっているのは、悟の剣に迷いと躊躇がないからだ。確かに五年前のあれで間違いなく悟の心労は増したであろうと思う。両親のいないかれら三兄弟にとって、お互いは唯一の家族であるのだ。それに主家の子供とともに出奔などと、赦されることではないだろう。なにせ洸は騎士なのだ。無体を止めるのもひとつの仕事である。だが。

「絶対それだけじゃねえだろ!」

と洸が思わず叫びたくなるほどに悟の剣は苛立っている。なにも襲撃に間に合わなかったことだとかそういうのまで俺にぶつけなくていいだろう!と内心で泣き叫びながら、洸は年の離れた恐ろしい兄と斬り合うしかなかった。

かれのその、洸から甘さだとかを取り払って厳しくしたような面立ちが般若のように洸に容赦なく襲いかかってくる。昔から怖かったが、今でも怖い。それにすこし苦笑いをしながら、洸は僅かに髪を散らす一撃を辛うじてかわす。今のは間違いなく殺す気だった、と思いながら大きく飛んで距離を開けた。

「すまなかった」

真摯な声は、紛れもなく或人のものである。
悟に追い詰められる洸を呑気に眺めていた郁人はそれを聞いて、思わず或人に視線を引き戻していた。次期東の大公は、その端正な顔立ちに苦渋をいっぱいに滲ませてじっと弟の目を見据えている。

「お前を追い詰めたのは、俺だ」

郁人は知らず知らずのうちにぎゅっと拳を固めていた。母と同じことを兄に言われ、困惑よりも先に立つのは罪悪感である。かれらと違い街も国も背負わずに、好きなように生きている郁人であった。

「帰ってきて、くれないか」

とりあえず横で怒り心頭のあなたの騎士を止めてください、などと口が裂けても言えない郁人は、一先ず頬を掻いて誤魔化した。いつも郁人にやさしい兄である。神童と持て囃された弟に何を思っていたのか郁人には知る辺もないが、かれは自慢の兄だった。努力家で、清廉で真面目な人である。だからその分、かれに叱られるのがなにより嫌だった。幼心にかれを怒らせることはしないでおこうと思っていたものである。

つらかった。

真面目なかれが、郁人のことを気に病んでいたことなど郁人は知っている。分かりきったことだった。かれが葛藤と後悔のなかで次期大公としての道を歩んでいくことを、郁人はよく知っている。だからこそ戻りたくなかったのだ。五年経って、そしてこの先十年経ちもっと時が経ったら自分のことは過去になる。それを待ち、かれが郁人のことを「そんなこともあったな」と言えるくらいになるまでは、かれの前に姿を見せたくはなかったのだ。

それが、郁人に出来る、兄へのたったひとつの償いだと、郁人は信じていた。

「兄さん。…それよりあの兵器、どうするんですか?やっぱり無茶ですよ、あんなもの造るのは」

無理やりに話を逸らして、郁人は苦笑いをする。兄は僅かに眉間に皺を刻み、じっと弟の顔を見据えていた。何一つ変わらないように弟に、戸惑っているのかもしれない。かれに郁人の苦笑いの向こうの泣き出しそうな葛藤は見えないのだから。

「父上が中央へ赴かれるそうだ。おそらくは殿下への何らかの処分を検討するのだろう」

そして或人は流されている、と思いながらも問いに答えてしまった。惨劇の舞台と化した大公邸に足を踏み入れた時ある種の諦めすら覚えた或人だったが、それに反して生存者は多かった。真っ先に狙われるはずのかれの家族も無事だったことに驚いたが、それはすべて五年前に居なくなってしまったきりの弟の手によるものだったと聞いていてもたってもいられずに飛び出してきたのである。泣きじゃくる妹を抱いた母が、寂しそうに微笑んでいた。

「そう、ですか」

会話が途切れてしまったことを知って郁人は内心困り果てている。いっそ悟のように斬りかかってきてくれたほうが、ずっと良かった。剣術ではきっと兄に敵わないだろうし。だがこうやって、苦しそうな目で見られる方が、ずっとずっと辛い。助けを求めるように後を振り向くと、ラインハルトとシオンは素知らぬ顔で地図を確認していた。ひどい。

「だああ、落ち着けって兄貴!怖いから!」
「黙れ!五年間手紙ひとつ寄越さずに、何処で何をしていた!いつ襲撃を知ったんだ!」

目の前を通過していった二人に思わず笑いが零れた。悟はいつも洸に厳しかったことを思い出す。ダンスの授業も礼儀も教養もどれもすっぽかしていた洸に、騎士の風上にもおけないと説教をしていたのは悟だった。それを微笑んで見ていた(なんで笑ってたんだろう?と思ったが訊いてはいけない気がした)次兄のことを思い出し、誰もかれも似ていない兄弟だなあと改めて郁人は思う。

「いやあの、これはたまたま偶然っていうか、その、なんだ」
「偶然じゃないぞ。推理の結果だ。謎はなかったけど」

ふいに笑みに表情を崩し、郁人はずるい、と分かっていたけれど、そういった。いつも通り、何も変わらずにだ。悟が剣撃を止め、すっと姿勢を正す。かれの直刃の剣が鞘に戻るのを目視してから、何か言いたげな兄と頑なに視線を合わせないようにして、郁人が背後を振りかえる。

「走って」
「…いいのか?」
「いいんだ」

先に走り出したのはシオンだった。目を見張るほどの身軽さで、電灯を蹴って郁人たちの頭上を飛び越えていく。音もなく着地をして街から出る門へと駆けるかれを思わず目で追っていると、その後ろをラインハルトが追うのが見えた。どうやらシオンは注目を引きつけておいたらしい。

悟が身を翻そうとしたところへ、先ほどのお返しと言わんばかりに洸が滑り込む。好戦的な獣の目をして叩きつけた剣撃は、鞘をつけたままの剣に弾き返された。

「郁人!」
「凪を止めます。…思い当たる謎は、凪しか持っていない」

それは、単純な謎だった。アルメリカが持ち込んだモニカの婚礼騒ぎから続く一連の騒動の、大本でもある。たったひとつの、知る辺もないひとつの謎を、郁人は求めることにしたようだった。

「どうして、魔導砲を造ろうと思ったのか」

ぽつりと郁人が零したその『謎』に、僅かに或人の表情が曇る。国の中心にいるかれすら知らないことを、今は存在しないことになっている須王院郁人が知っているはずがない。知らないからこそ求めるのだと、きっと郁人は胸を張って言うのだろう。

「行け、郁人!」
「任せたぞ」

悟を牽制する洸の後ろを、郁人は軽く頷いて駆けていく。町家の救援をしている騎士団に囲まれる前に逃げ出さなければならなかった。

「兄さん!おれは、おれが辛いことから逃げたかったから、逃げた。それだけです!」

背中を向けたまま、酷だと分かって郁人はそう口にした。洸は悟の剣の後ろで、或人の表情が曇るのを目にする。かれがどう感じどんなふうにする必要のない後悔をしているか、洸は分からないし知りたくもない。

「今回はほら、故郷の危機に駆け付けたってことで…許してくれよッ」

剣を受けとめていた膝を沈め、バランスを崩した悟の間合いから飛びのいて洸は駆け出した。先をいく郁人に難なく追いついて、その手を掴んでスピードを上げる。ほとんどひきづられるようにして走る郁人は一度だけ後ろを振り向いたようだった。苦笑いをしながら仰のく兄の姿がかれの目にどう映ったのか、洸はやっぱりわからない。わからないがこの自由奔放な名探偵さまを大人しくするにはやはり身内が一番だ、と思いながら、街のそとへ軽く郁人の背中を押す。

同時に手を離すと勢いよくすっ転んでいった郁人に勢いよく殴られたのだが、その拳がいつも通りだったのですこし洸は安心をしていた。





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