小さい頃から振り続けた、手に馴染む剣を握り直す。魔導師の相棒が、ドラゴンを見ながらため息をついた。

「…どうする?拘束の魔法、簡単に破られちゃったけど」
「どうするもこうするもないだろ!このままだと、この街がヤバい!」

肩を竦めて首を振ったこの魔導師は、俺の幼馴染でもある。ガキのころから一緒に訓練をし、一緒に街を出て、そして一緒にパーティを組むっていう腐れ縁っぷりだから、お互い息はバッチリだ。そう言うと同時に駆け出した俺の背中に、いつもどおり強化の魔法が突き刺さるのが分かる。身体中に力が漲るのを感じながら、俺はドラゴンの足元まで駆け寄っていった。

俺たちの他にも、この街にいた冒険者たちが続々と集まってきている。うっかりそれらの攻撃に巻き込まれないように気をつけながら、俺は暴れまわるドラゴンを仰ぎ見た。三階建の宿屋よりもすこし大きい。前に討伐したのは比較的小柄な風のドラゴンだったから、好戦的な火竜をこんなに間近で見るのは初めてだ。俺の少し横を吐き出された火球がかすめ、背中を冷や汗が伝う。硬い鱗に剣を叩きつけてみたが、まったくダメージを与えられているようには見えない。こっちの手がしびれる始末だった。

この剣一本じゃ、頼りないかもしれないな。弱点と思われる場所は他のドラゴンと同じように翼だろう。だけど翼は俺の頭上の遥か上だ。冒険者たちは少し遠巻きにドラゴンを眺め、互いに顔を見合わせて途方に暮れている。

「…お前、水の魔法は?」
「せいぜいお前の剣を強化するくらいは出来るけど、こいつを倒せるようなのは、かなりの時間を稼いでくれないと」

立ちつくした俺に見かねて駆け寄ってきた相棒に耳打ちしても、そう言って肩を竦めるだけ。俺は手の中の剣をちらりと見て、それから火の玉を吐くドラゴンを見る。

魔導師が強力な魔法を使うのには、ある程度の時間の詠唱が必要だった。その間、魔物を引きつける魔力を出し続けるから、俺はあのドラゴンの気を逸らし続けるしかないってことになる。それでもって、その失敗は即ち、こいつの死を意味していた。だけど俺は躊躇わない。俺はこいつを守るし、そうすることで、この街は守られる。ならばやることはひとつしかない。

…やっぱりここは、男らしく真正面から斬り込むしかないな。俺は軽く深呼吸をしてから、周りの冒険者たちを見まわした。剣士が多いだろうか、これだけいれば、なんとか足止めはできそうだ。あとは我が優秀な大魔導師様の詠唱まで、時間を稼ぐだけ。

「…仕方ねえ、それでいこう。詠唱の時間は任せろ」
「……大丈夫か?無理はするなよな」

心配げな顔をした幼馴染が、言いながらも杖を構えた。何かを小声で呟いて、俺の剣に水の力を宿す魔法を唱える。それを見て、周囲の冒険者たちもそれぞれに戦いの決意を固めたようだった。

短期決戦にしなくちゃな。あいにくここは、街のど真ん中だ。俺たちの街は、邪悪な闇のドラゴンに襲われて壊滅した。めちゃくちゃになった街から、誰に見送られることもなく旅立った俺たちにとって、こいつは何としても倒さなきゃならない相手だった。

「手の空いてる奴は、俺に続け!」

相棒に片手を上げ、清浄な水の力を纏った剣を手に俺はドラゴンの元へと駆け出す。俺に気付いたドラゴンが、その長い首をもたげてこっちを向いた。その口が吐き出した炎の玉を避け、俺はドラゴンの足の間を駆け抜ける。デカすぎるせいで、機動力には欠けているようだった。

俺が後ろに回った間に、他の冒険者たちがその足元まで辿りついたのを確認した。これで、街の人への被害は防げるだろう。冒険者たちがそれぞれ思い思いの武器で巨大なドラゴンに斬りかかると、ドラゴンが高らかに吼えて、キンと鼓膜が痛んだ。

「…ッ、っと」

暴れるように薙ぎ払われた、棘に覆われた尾の一振りを屈むことによって辛うじて避ける。俺はそのまま、長い尾を足場にドラゴンの背中へと駆け上がった。

さすが火のドラゴンだけあって、背中の上がめちゃくちゃ熱い。溶岩を歩いても大丈夫っていうあやしいブーツを買っていた自分を心底褒めながら、俺は一気にドラゴンの翼の付け根までを走る。街のいたるところが燃えていた。過去を思い出して、吐き気がする。なんにも出来なかったころの俺と、そんなときでも俺たちふたりを守る結界を張ってくれていたあいつ。まだあの時感じた力の差は、縮まってはいない。

暴れまわるドラゴンの背中は全くもって安定してなかった。それでも背中に剣を突き立て、ギリギリのところでそこから滑り落ちるのをやり過ごす。あいつが掛けてくれた魔法のおかげで、ドラゴンの鱗を貫くことも出来た。だけど水の力を注ぎこまれるのが気に食わないらしいドラゴンが、俺を振り落とそうと暴れまわっている。この高さから地面に叩きつけられたら、間違いなく死ぬな。

下のほうで戦ってるほかの冒険者たちも善戦してるんだろう。ドラゴンはこれ以上街を破壊する様子もなく、ターゲットを俺たちに切り替えたようだった。
ようやくドラゴンの翼の付け根のところまで辿りつくころには、結構な時間が経っていたと思う。ドラゴンの方も背中をグサグサ刺してくる俺が気にいらないらしく、他のところを攻撃する手がおろそかになっていた。詠唱の時間を稼ぐ分にも、街の破壊を防ぐ分にも好都合だ。時々襲ってくる、ドラゴンの羽ばたきが強かに俺の身体を打つ。色んなところに裂傷や火傷が出来ている気がしたけど、文句も言ってられなかった。振り落とされないように剣に縋って堪え、俺は怒涛の攻撃が止むのを待つ。翼につながる筋肉が、一番硬直する瞬間を狙う。

「…っ喰らえ!」

火花を散らすドラゴンの翼が開いたのを見て、ここぞとばかりに俺は渾身の力で剣を叩きこんだ。張り詰めた筋肉の幾筋かを斬られてさすがに堪えたらしいドラゴンが吼え、鼓膜が破けるんじゃないかと思うくらいの音が響く。世界に音が戻ってくるまで、かなりの時間が必要だった。その間、翼の付け根に突き刺した剣に縋って耐える。ドラゴンが暴れ、足が鱗を離れ、身体がふわりと浮いても、俺は耐えきった。

ようやく両方の足がドラゴンの背中に再び着地したちょうどそのとき、冒険者たちの怒号が止む。なにかあったのか、と俺が身構えれば、ドラゴンの吐く息以外無音になった広場に響きわたる声があった。

「落ちるなよ、馬鹿!」

聞き慣れた怒声。はっとしてドラゴンの背中から身を乗り出して広場を見れば、俺の相棒が足元に蒼の魔法陣を展開させている。…詠唱が終わったみたいだ。

「遅っせえんだよ!」

負けじと怒鳴り返して、俺はもう痺れ切った両手にありったけの力を込めた。剣を握る。縋る。とおくで魔力が解放されたのが、魔法ひとつ使えない俺にも分かる。俺の賭けは、うまくいったらしい。

さっきまでの灼熱が嘘のような冷気が、俺の肌を突き刺した。どん、と地鳴りのような衝撃音。ドラゴンの叫び声。宙を浮く両足に、回転する視界。

次の瞬間に、身体を強烈な浮遊感が襲った。はっとして手元を見る。ドラゴンがやけに下に見える。手元を見る。剣がある。…残念ながらその根元は、ドラゴンに埋まってはいなかったけれど。

空が抜けるように蒼い。やばい、またあいつに怒鳴られるな。頂点まで達し、放物線上に落下しながら、俺はそんなことを思った。なんとか体勢を整えはするけれど、残念なことに下は石畳だ。…死ぬかも。

「…この、馬鹿!」

予想した通りの怒鳴り声といっしょに、迫りくる石畳がぴたりと停止をした。本来なら激突していたはずのそれを呆けて見つめていた俺は、その声にはっとして顔を上げる。
そこにあるのは、まるで包むように俺の身体を受けとめる、柔らかい何か。魔力を感じるから、あいつの魔法だろう。むかし、俺を守ってくれた結界によく似てる。

さっきとは打って変わりゆっくりと下降していく身体に、さっきまで感じなかった冷や汗がどばっと背中を伝うのがわかった。ようやく身体が石畳に近付いたと同時、泡が消えるようにして、俺を守ってくれたものがぱちんと消えた。

「…――いってえ!」

身長くらいの高さからどすんと地面に落下した俺は、思わずそう悲鳴を上げる。わざとだ。絶対わざとだ。石畳を蹴る足音といっしょに、俺とおんなじ、溶岩でも大丈夫なブーツが視界に映った。

「だから無理すんなっていっただろーが!」
「わ、悪い、悪かったから、勘弁!」

さっきとは打って変わって遠ざかっちまった空を覆い隠すのは、泣きそうな、けど怒ったようなあいつの顔。容赦なく俺の身体に振り下ろされる杖をなんとか避けながら、俺は慌てて身体を起こした。ドラゴンはどうなっただろう。あの一撃で、しとめただろうか。

「…無茶しすぎなんだよ、お前は、ほんと、昔っから!」
「……うわ、…すっげえ」

俺が目にしたのは、広場の中央に鎮座する、氷漬けになったドラゴンだった。こいつがあれだけ詠唱に時間を掛けるのはめずらしい。どんだけの魔法を使うのかと思ってたら、ここまで凄いとは思わなかった。やっぱりこいつはすごい。俺はいつもそれを思い知る。守ってもらってばっかりだ。俺だってこいつを守りたい。俺を守ったせいで、こいつはたった一人の肉親を亡くしている。それを埋め合わせるように、それ以上に、俺は強くなりたかった。

「聞いてんのか!」
「すっげーな…、やっぱりすげーよ、お前」

なんて俺の苦い気持ちなんか知らない大魔導師さまは、また俺を小突いて怒鳴る。いまさら落ちて打った腰と火傷と裂傷が痛い。けどなんとか街の被害がこれ以上広がることはなさそうで、俺はひどく安堵をした。

「…ほんと、馬鹿だな」

ほっとしたように息を吐いた俺を見て、俺と同じように石畳に座り込んだ相棒は、あきらめたようにため息をついてから、俺の手をてのひらで包んだ。俺より小さく、綺麗で、傷の無い手。身体中の裂傷や火傷を負った細胞が、じわじわと再生していく気配がする。いつもかけてもらってる、回復の魔法だ。…腰が痛いのは、治してくれなかったみたいだけど。


これで、一件落着だな。

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