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13



「愛してたよ」
「…うん」
「…終わりにしよう」
「…うーん」
「……僕たちは一緒にいるべきじゃなかったんだ」
「……超訳」
「スイマセン」

伊鶴は大学時代と同じマンションに住み続けている。電車で三駅先のそこで、大学時代と同じ定位置に座りながら、俺は二冊の本とパソコンの画面とにらめっこを続けていた。

そしてヴァンパイアをでっち上げる時みたいにやけになって恋人同士の別れのセリフを作っていったわけだけど、パソコンの前に座った伊鶴についにストップをかけられた。

ジュテームだけが埋まらない小説。伊鶴の訳は相変わらず綺麗で、楽しかった。英語版とはまた違う雰囲気がある。もちろん筋は同じだから、俺もこのジュテームが意味する場面はわかってる。英訳者は正しい。

さよなら、だ。

俺が口にしたのと同じ。このフランスの優男はキザだから、俺が言えなかった愛してる、を、またな、のかわりに言い置いた。それだけ。

伊鶴にはたぶん、わからない。俺だってそんなこと、いえない。だからそれに似た模範回答を探してる。

「…英語版に敬意を示したら?」

遠回しにグッバイ、を示唆したら、ちょっとだけ拗ねたように伊鶴が俺を振り向いた。

「俺は、これ、グッバイじゃないと思ってる」
「…え。じゃあ、なに」
「だってこいつらはまた恋人に戻るだろ。グッバイ、なんていったら、どうやってまた恋人になるの」

伊鶴は言いながら、不貞腐れたようにキーボードを叩いた。ジュテームのあった場所に、さよなら、が踊り、また消える。

やっぱり、と思う。伊鶴に恋人同士の機微はわからない。

「お互い好きだったら、別れたあとだって、よりは戻るだろ」
「一度恋人じゃなくなったのに?」
「それでも好きだったら、好きな気持ちが消えなかったら、そうだろ」

妙な気持ちだった。好きだったから、好きな気持ちが消えてくれなかったから、俺は諦め悪くこの恋にぶら下がってる。伊鶴にはわからないジュテームの意味が、いまははっきりわかる。諦めたくなかったんだ、こいつも。

「恋人って、よくわかんない」

伊鶴はため息をついて吐き出すと、キーボードから両手を離して大きく伸びをした。飲み物持って来る、といって、立ち上がる。この部屋には俺のとちがって、ちゃんとした広いキッチンがついている。

勝手に手が、キーボードに伸びた。なんにもわかってない伊鶴が、それでも俺は愛しかった。好きだって気持ちは、二年間経っても、すこしも変わらずに俺の胸の中にあった。

ジュテームを消す。短い言葉を打ち込む。男の言葉を代弁する。

ともだち、がやることじゃないってことはわかってる。だけど俺は、伊鶴の知らない答えを知ってる。初めて伊鶴に、仏語で勝った。

冷えたチューハイを二つ持ってきた伊鶴がソファに座った。在宅の仕事の特権だ。かれの瞳がディスプレイを見るのを、チューハイを煽りながら眺める。酔えそうにない。

「…」

居心地のわるい沈黙。こういうときフランス男なら、その肩を抱いて髪にキスして、ジュテームなんていうんだろう。そして彼らは、恋人に戻る。

「…健斗」

かれの指はデリートボタンを押すことなく、かわりにその膝を握りしめた。小さい声が、俺を呼ぶ。自然と喉がなった。ずいぶんと暗喩的で、遠回しで、散文的な、三度目の告白。

「俺は、ずっとお前と一緒にいたかった。そばにいて、すごくたのしくて、しあわせだったから。健斗のこと、すごく、すごく好きだったから」

饒舌になった伊鶴のかわりに、俺はすこし無口になったのかもしれない。何かをいうのは、怖い。さよならも、久しぶりも、愛してるも。

「だから、恋人には、なりたくなかった。いつか終わって、こんな風に離れ離れになって、…あんなふうに、疎遠になるから」

ずきり、と心臓が痛む。杭を打ち込まれたみたいに。でも、ちがう。痛いのは伊鶴の方だ。俺の言った嘘。いま、伊鶴が見つめている、「愛してる」のかわり。俺が伊鶴に、つけた傷そのもの。

でも、と、伊鶴が、吐息のように吐き出した。

「好きな気持ちが、消えなかったら、ずっと一緒にいられる?」

伊鶴の瞳が俺を見る。俺の好きなダークブルーの瞳。不安げに揺れている。変わらずに、すこしの遠慮もしないで、とうとつに話の核心に迫って来る。追い詰められた俺は結局正直に本心を吐き出す。この間と同じだ。

「…好きだったら、相手のことがすげー好きで、好きで、何年経っても忘れられなかったら、きっと何回だってやり直せるよ」
「…ほんとに?」
「俺は、そう思う」

恋は時間に殺されたりしなかった。俺の、失恋でさえ。二年経ったってしぶとく生きてた。今じゃ前よりうるさいくらいだ。

「恋人でも、恋人じゃなくなっても、ずっと一緒にいられる?」
「好きだったら、好きなだけで、一緒にいられるよ」

世間体とか、相手の得ただろうしあわせとか、そんなのも、全部埋めてやろうって思うくらいに、好きだったら。俺は自分の持論を自分で否定した。世間体とか気にするような、そんなずるい大人になったと思ってた。けど、いま、伊鶴を思う気持ちはそんなことすこしも考えてない。俺は伊鶴が好きだった。好きだ。どうしようもないくらいに。好きだって気持ちだけで、なんでもできる気がするくらいには。初めて伊鶴に恋をしたときと、なんにも変わらないで、その好きだって気持ちは、俺のすべてを埋め尽くした。

「健斗」

伊鶴の声が、震えていた。

「俺が、…俺がずっと健斗のこと好きなままでいたら、恋人になっても、健斗が俺のことを嫌いになっても、いつか恋人じゃなくなっても、それでもまた、一緒にいられるようになる?」

チューハイのなくなったコップを机に置く。かわりに伸ばすべきものに手を伸ばす。伊鶴の身体を、精一杯の力で抱きしめた。

「好きだ、ずっとずっと好きだし、恋人じゃなくたって、友達でも、他人でも、それでも好きでいる。昔も、今も」

二年間。
長かった。あまりにも、長かった。伊鶴のこの胸を、恋の機微ひとつしらないそれを、わからないままの恋への不信で傷つけてしまうくらいには。

お前とはずっと友達でいたい。

俺はこの言葉を訳し間違えていた。これは拒絶の言葉ではなかった。伊鶴の、精一杯の、アイラブユーだったんだ。

「…俺は、…健斗と、ずっと一緒にいたい」
「…うん」
「……好き、俺も、健斗のことが、好きだ」

二つの瞳が、じっと俺を見上げていた。どうしようもなく撓む目を、自分でも自覚する。それから俺は、そっとその目を閉じた愛しいひとにキスをした。









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