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むかしのはなし


窓の外は、ひどく静かな夜だった。もうすっかり日も落ちて、俺の部活が終わるころにはあたりは真っ暗になる。三年生が引退して、 部活の中心は俺たち二年生になった。来年こそはインハイだって、みんな言ってる。練習は連日学校の施錠ぎりぎりまで続く。その後も自主練をするやつらだって少なくない。

練習が終わったら、自主練のためにボールを取りに戻るやつらや玄関へ殺到するやつらを尻目に、俺は階段を上がる。真っ暗な廊下を歩く。長く反響する足音には、もう慣れた。

学校の隅にある、普段は視聴覚室として使われている無駄に広い部屋にだけ薄く電気がついている。重いカバンを背負い直し、俺はドアノブを捻る。この動作にも、すっかり慣れた。

「…おつかれ」

部屋の中ではスクリーンいっぱいにゾンビが映し出されていた。一瞬ビクッとなってから、その画面のまま停止したそこから視線を巡らせるのにすこし時間が必要だった。薄暗い視聴覚室。明かりといえばゾンビ映画のスクリーンだけ。声の主を探せば座席のまんなかのところに、俺の幼馴染で探しにきた相手である忍が座っている。

映画研究部なんて名ばかりの部活の名ばかりの部長である忍は、この視聴覚室の鍵を自由に取り出せる立場だった。だから、俺の部活が終わるのをたいていはここで、家から持ってきたDVDなんかを見ながら待っている。

抱えていた膝をほどいた忍の手で、ゾンビ映画が停止した。青い画面にスクリーンが染まる。青い光が忍を照らす。

「おう。待たせた」
「べつにいい」

学校に着いた途端に元気になって、下校時間が近づけばすこしずつ落ち込んでいく。そんな忍の様子を見ているのは、ひどくつらい。忍が得体の知れないサラリーマンに付き纏われるようになって、半年近く経つ。警察にも何度か持ってったんだが、男の、しかも男からのストーカーなんてろくに取り合ってくれるわけもなくて。なにか実害が出たら訴えも出せるんだけど、なんて言われたけど、忍が何かされるのを待つなんてそんなのできるはずがない。仕方がないから、俺たちとあのオッサンの我慢比べみたいになっている。

「帰るか」
「…ん」

スクリーンを仕舞うのを手伝って、職員室に鍵を返すのに付き合って、下駄箱の前まで来て忍の動きが止まった。もう一度、帰るぞと促すように声をかけると、のろのろと視線を持ち上げた忍がちいさく頷く。

「おう。…かえろ、りゅうたろ」

いきなり名前も知らない大人の男に付き纏われて、嫌らしい目で見られて、嫌じゃない訳がない。いつもばかみたいに元気な忍がこんなに沈んでいるのを見るのは、生まれて初めてだった。腹立たしい、と思う。あのオヤジ以上に、なんにもしてやれない自分にだ。

初めて忍があのオッサンに声を掛けられたとき、俺も一緒にいた。品定めをするような目で俺を見て、友達なのかと忍に聞いたあの男。忍の手を掴み、それから…、とっさに割って入ったときには俺も一瞬で頭に熱が上っていたから、いまいちはっきりと覚えていない。あとで忍に、こわかった、といわれたことだけは覚えてる。

それ以来、登下校途中や、街中でよくあの男は現れる。自転車のカゴに気色の悪いラブレターが入っていたりする。隣にいるはずの俺のところが切り取られ、切り刻まれて一緒に入っている。危ないのはお前のほうなんだ俺なら大丈夫だから、って忍はいうけど、俺はそんな言葉を聞く気はなかった。どうせ俺にしてやれるのは、登下校をいっしょにしてやることぐらいだ。…いつもと、何にも変わらない。

忍は、俺のすぐ隣を歩く。俺はかならず道路側に立つ。あまり話をしない忍は、家につくとひどく雄弁になった。仕事で家を空けがちな俺の両親のせいで、晩御飯はよく忍んちでご馳走になる。龍ちゃん、いつもほんとにありがとね。事情を知るおばさんに言われるたびに、申し訳なさが募る。

忍のことを、守ってやりたいと思っている。辛い思いなんて、させたくないとも思っている。

「忍」
「…?」

家までの、それほど遠くない道。暗い夜。丸い月。忍のことばかり考えたせいで、部活で疲れたこともほとんど忘れかけていた。

「さっきの映画、何だったんだよ」
「こないだ夜中にやってたやつ、録っといたんだよ。見る?」

いきなり対面したゾンビのことを思い出して、ふいに口に出してみる。すこしだけ笑いを含んだ声で、忍が返事をした。主演の女優が誰だとか、ゾンビに喰われた男優が誰だとか、忍はむだに詳しい。前からテレビとか見るの好きだったけど、最近は特にそうだ。小遣いの殆どをTSUTAYAとゲオにつぎ込んでる。
まあ、あんなのに追い回されてちゃなかなか外に行こうなんて思わねえだろうけどさ。

俺の部活が休みだった夏休みの四日間、ふたりで電車を乗り継いでばあちゃんちに遊びにいった。小さい頃にも何度か連れていったことがあるせいで、ばあちゃんも忍をよく知ってる。冬休みはどれだけ休みを取れるかまだわからないけど、三日くらいあったら、忍を連れてどっかの山にスキーでもしに行こうか。

「…なあ、龍太郎」

俺はスキーのほうが得意なんだけど、忍が見栄を張ってスノボを買ったときにつられて板を買ってしまった。一回くらいしか滑らないで物置にしまったままだったよな、ってのを思い出して、冬の予定にすこし悩む。それで黙り込んだ俺に、恐る恐るってなふうに忍が声をかけてきた。

「ん、どした」

忍は、俺にだけは怯えない。最近はいきなりクラスメートに話しかけられたとき、一瞬だけ顔が強張るようになった。怖い、とか、気持ち悪い、とか、そういう弱音を吐けないやつだから、内心でかなり追い詰められてるんだろう。もどかしくて、忍がなにかをいうのを待つ間、唇を噛み締めた。

「…ごめんな、自主練、まだあったんだろ」
「…いいんだよ、別に、そんなの」
「来年、インハイかかってんだろ。自主練終わるまで、俺、待ってるから」

忍が吐き出した言葉が予想外だったので、返事を返すのにひと呼吸が必要だった。バカなやつだ、と思う。どうしようもなく、ばかだ。俺には勉強より、部活より、レギュラーより、ずっと大事なものがあるってことを、わかってない。

「いいんだって。お前はそういうの、気にすんな」
「…なんだよ、それ!俺だって、いろいろ考えて…」
「アホ」

短くそう言って、俺は硬く握り締められていた忍の手をつかんだ。滅多に直接声をかけてくることはないあのサラリーマンを、今も闇の向こうでこっちを見ているかもしれないあいつを、挑発するみたいにして。一晩中家の前で張ってたら、何かの現行犯押さえれるんじゃないか、なんて思う。

「り、りゅうたろ?」
「次あのオッサン見かけたら、二度と立ち上がれないようにしてやる」
「…お前がいうと、冗談に聞こえないんだけど」

ためらいがちにてのひらを握り返した忍の、ようやく笑った横顔を、たまらなくいとしく思った。












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