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ファレノプシス



森のムラから攫ってきた青い目の少年は、まだ目覚めない。

シルヴァはため息をつき、その枕元に腰掛けていた。十数年ぶりの周辺のムラへの侵攻も一夜明け、集会場では男たちが集っての成果報告会が行われているところだろうが、シルヴァはそれどころではなかった。ムラでは最も医学に通じているアザミに回診に来てもらったものの、この少年はいま、とても不安定な状態にいるらしい、ということしかわからなかったせいだ。このムラに連れてくる間、ひどく苦しそうだったということ。連れ攫ってきてすぐ意識を失い、それから一度も目を開けないこと。アザミも首をかしげるばかりで、原因がわからない。昏々と眠り続けるその横顔に苦痛の色は無かったが、アザミが肩を揺すっても、頬をかるく叩いても、少年に目覚める気配はなかった。

「……」

だから、シルヴァにできることといえば、いつ目覚めてもいいようにその横顔を見守っていることだけだ。アザミには、急に体温が下がったり、脂汗が出たりしたら呼びなさい、と言われている。いまのところ、どちらの気配もなかった。眠っている様子はいっそ健やかなくらいなのに、かれは目覚める気配を見せない。

ひどく軽く、ちいさな少年だった。栄養があまり行き届いていないのがすぐにわかる痩せた手足が痛々しい。あの花畑で出会ったときのことを、シルヴァは思い出している。
あの時は、ただただ弓を向けて驚かせてしまったことへの謝罪で頭が一杯だった。あきらかに怯えた風をしたかれが、それでも笑ってくれて、花をーーー、大きな白い花を差し出してくれたことを思い出す。枕元の花瓶に活けられたそれは、うつくしい純白のままだった。めずらしそうにそれを見たアザミは、あと三日くらいはもつでしょう、といっていたけれど。

「…ん」

ちいさく少年がむずかるような声を上げたので、シルヴァははっとしてその顔を覗き込んだ。栗色の髪が散って、うっすらと眉間に皺がよっている。苦しいのだろうか、と思ってはらはらと見守っていると、かれはその不機嫌そうな顔のまま、布団を蹴り飛ばして押しやってから、ひとつ寝返りを打って、また健やかな寝息を立て始める。

「……」

……少なくとも、元気そうだ。そう判断して、シルヴァは知らず詰めていた息を吐いた。それから簡単に折れてしまいそうな細い足がむき出しになっているのに、蹴り飛ばされた布団を申し訳程度にかけてやる。少年の顔は丸まった背中に隠れて見えなくなってしまっていたが、その背中は規則正しく上下していたので、シルヴァはすこし安心をした。



三日経っても、少年はまだ目を覚まさなかった。
さすがにシルヴァも他の仲間に侵攻の成果を報告しなければならず、シルヴァが連れてきたのが痩せた少年だということが明らかになり、仲間たちには笑われ、もう一度行こうか、などと言われたが、もちろんすべて断った。シルヴァが求めていたのは、家族だった。三日もじっと見守っていると、いい加減少年に愛着も湧くし、シルヴァはあの花畑で出会った時からなんとなく少年に親しみを感じていたから、シルヴァとしては新しい家族としてこの眠ったままの少年に、なんの不足もなかった。

ところで、この少年は、まだ健やかに眠っている。

寝相は、相変わらず悪い。集会から帰ったら、こんなに広い寝台なのに隅のほうまで移動して落ちそうになっていたのにはほんとうに肝が冷えた。もし寝台から落下していたら目を覚ましただろうか、とも思うのだけれど、けっして低いわけでもない寝台なので、慌てて真ん中のほうに移動させておいた。やはり、少年は軽い。

腹が減らないのだろうか、と思う。何か口に入れたほうがいいのではないかと思って集会のときにアザミに聞いたところ、もしも咀嚼をするようなら飲ませなさいとなにやら丸薬を貰った。口に入れてみたところ、あまり気に入らなかったようで、また例のように眉間に皺をよせ、寝返りを打って背中を向けてしまった。きちんと食べたのだろうか、と心配しているのだけれど、少年はやはり起きる様子がない。


五日経って、枕元の花が駄目になった。少年が花を摘んでいたことを思い出して、シルヴァは花を持ってこよう、と思い付く。このムラには花を摘むような風習は特になく、あるとすれば攫ってきた女たちの心を少しでも開かせようと使うくらいのものだったが、どうせ少年は起きないのだからシルヴァも手持ち無沙汰である。

五日ぶりにムラを出て、山を降りた。仲間たちには相変わらずおまえのところの子供は起きないのかとひととおり冷やかされ、こっちの女もちっとも意思の疎通をしてくれないと聞きたくもない愚痴を聞かされ、シルヴァは辟易としてさっさとひとりで花畑へと向かった。向かったはいいがあの時の少年のように花籠を持っているわけでもないことに気づいて愕然とする。仕方なく不器用に千切った花の山を抱えてムラに戻ったら、アザミといっしょにムラを歩いていたアカネに指を差されて笑われた。

あまり、花というものと触れ合う機会はなかった。

シルヴァの母は早くに死に、父もシルヴァがまだ狩りを経験するよりもさきに獣に襲われて死んだ。年の離れた姉は降って湧いたように飛び込んできた縁談の山に嫌気が差してムラを飛び出し、シルヴァは一人きりになった。

ほんとうなら父に教わる狩りをムラの長老たちに叩き込まれ、それに熱中するうちに、シルヴァは若者のなかで一番の狩人になった。けれどいくら鹿を狩っても、ひとりで食べ切れるはずもない。殆どを仲間に分けてやって、それでも有り余るような、そんな暮らしだった。

だから、あの青い目の少年が目を覚ますのを、シルヴァはひどく心待ちにしている。眠り続けるところを見ているだけで飽きないようなあの少年が、あのうつくしいあおいろを開いてくれたら、どれだけ楽しいだろうと思う。

だからシルヴァは、周りの仲間の声も、すこしも苦ではなかった。

家に帰り、寝室に近付いて、シルヴァはそっと中を覗き込んだ。寝台の上では、やはり掛布だけしかすでに掛かっていない少年が、ぼんやりと天井を見上げていた。霞が掛かったようなあおいろのひとみが、こちらを見て、何度か瞬きをする。

……目を、覚ましたようだ。

寄っていって顔を覗き込む。少年はほんの少し表情を綻ばせ、まん丸い瞳でシルヴァを見上げる。警戒感のかけらもないそれに、すこし驚いた。抱えていた花を、かれの上にばらばらと降らせる。噎せ返るような花の香りに、青い瞳がぱちぱちと瞬いた。

「……」

なにかを言ったようだったが、シルヴァにはそれは聞き取れない。けれどそんなことも気にならないくらいに、シルヴァの胸は一杯だった。少年は見た限り元気そうだ。

「…具合はどうだ?」

通じないと分かって、かれに声をかけてみる。狭い額に手のひらを当てると、そこは満月の夜とは比べ物にならないほど落ち着いた体温をしていた。大丈夫そうだ、と目星をつけて胸を撫で下ろせば、少年はシルヴァを安心させるようにして微笑んだ。つられて笑い返して、それから、腹の音が響いたのに、もうひとつ笑う。やはり腹が空いたらしい。何か作ってくる、という動作をして、なんとなく理解したらしく恥ずかしそうに頷いた少年を見て、シルヴァは踵を返した。

なにを食わせてやろう、と思う。ひとりの味気ない食事と違い、他人に、それも、これから家族になる少年に食べさせるものとなれば自然と心は弾んだ。

ーーーそういえば、俺はまだ、あの子の名前も知らないのだ。
そんなことを思って、シルヴァは自分に驚いた。勝手にひどく親近感を感じていたけれど、まだ、シルヴァはかれのことをなにも知らない。けれどそれも、かれが目を開けたいま、なにも問題ではなかった。手早く料理を作りながら、シルヴァは気づかないうちに、ちいさく笑みを浮かべている。何が好きなんだろう。どんなふうに笑うだろう。どんな名前なのだろう。そう考えるだけで、心が弾んだ。

ーーシルヴァがその名前を知るまで、あとすこし。






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