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恋教え鳥の歌のつづき


カザハヤさまのお屋敷に住まわせていただくようになって、すこし経った。カザハヤさまとおなじ狼族の執事さんに頼まれた仕事のお手伝いや、案外に自宅でするお仕事の多いカザハヤさまにお茶を出したり、あとはちかごろ腰が痛いらしい執事さんに変わって家事の一切を取り仕切ったりと、春華楼にいたころと同じように忙しい毎日を送っている。 
 
カザハヤさまは約束どおり、お仕事のないときは俺をいろいろなところに連れて行ってくれた。そのおかげで俺はすっかりこのへんの地理を覚えたし、カザハヤさまには内緒だけれど、一人で買い物に出かけることも良くあった。執事さんが腰を壊してからというもの、かれを買い物に連れ出すのは憚られるし、かといって庭師さんやコックさんにはかれらの仕事がある。なので、俺は帽子を目深にかぶってよく出かけるのであった。カザハヤさまにはけっこう「おまえはどうしてそんなに無鉄砲なんだ!」と怒られる俺なのだけれど、なんとなく、獣人ばかりの世界を怖いとも思えないせいもある。カザハヤさまいわく、もうすこし獣人を怖がったほうがいい、ということなのだけれど、当のカザハヤさまがお優しいから、あんまり危機感とかはなかったりする。
 
人間の世界でも犬猿の仲、という言葉があるように、犬族と猿族はとても仲が悪いらしい。ほかにも猫とねずみとか、いくつか仲の悪い種族があるらしいことを、カザハヤさまに教わって知った。たぶん俺が春華楼にいたころのことが原因だろうけど、カザハヤさま個人も狐族をひどく嫌っているし。
 
そんなこともあって、自分の種族を隠すような格好をしている人はたくさんいる。帽子をかぶって耳を隠したり、尻尾を服に仕舞ったり。一見すると人間にしか見えないひとが、この街にはたくさん歩いている。だから俺がそれに交じっても、あまり目立たないわけだった。
 
「その紅茶を二箱と、あとは…」
 
蛇族のおじさんがやっている紅茶専門店はカザハヤさまに連れて来てもらったこともあるから馴染みで、まわりにいるのもみんなどこかのお屋敷の奉公人さんばかりだから怖くない。
 
「まいど。お使いお疲れさま」
 
その目をゆっくりと細めて、種族を伺わせる長い舌をちょろりと出したおじさんは、紙袋に入れた紅茶を俺に渡しながらそうやって笑った。お、おつかいって…。でもとりあえず愛想笑いを返してしまうから、人間というものは本当に弱い生き物だと思う。カザハヤさまはよく、人間はすごく強い、なんていうけれど俺からすれば全然そんなことはない。
 
つぎは、商店街のはずれにある雑貨屋だ。カザハヤさまの使う万年筆のインクと、新しい書類入れを買いに行く。下町に近いからすこし怖いけど、すぐに済ませて戻れば大丈夫だろう。人間にしたって小柄な俺は、帽子をかぶれば獣人のなかでもちいさい体格のねずみ族とかに見えるらしい。へたにボロを出さなきゃ大丈夫だろう。  
 
それに、そろそろ日が傾くから、早くしないとカザハヤさまが帰ってきてしまう。それまでに帰らなきゃ心配させてしまうし、きっと怒られるから、ぐずぐずしているひまはなかった。
 
右を見ても、左を見ても獣人だらけの商店街。カザハヤさまのお屋敷にはたくさんのお客様が来るから、だいたいの種族は覚えてしまった。狼族とは友好的な虎族の女の人が買い物袋を下げている。このあいだカザハヤさまの会社と提携をしたっていう鷹族の人がはるか上を飛んでいくのも見える。…獣人のなかでも、こまかく鳥人に分類されるひとたちは、ほんとうにすごい。俺も空を飛んでみたいな、といつも思う。
 
「この書類入れと、あとは一番いいインクをみっつ」
 
俺が入ったのは、牛族のおばさんが店番をしている雑貨屋だった。 ほかに客はいない。たくさんの雑貨が乱雑に積まれている。翼専用のシャンプーとか、角磨き用の研磨剤とか、いろいろある。面白いな、とか思いながら見回しているあいだ、とても緩慢な動作でおばさんがインクを探してくれる。 だけど牛族っていうのはかなりのんびり屋さんが多いので、その動作はスロー再生みたいにゆっくりだ。
 
「はい、インクと、書類入れね」
 
しばらく人の往来を眺めていると、ようやくおばさんがインクを揃え終えたようだ。お礼を言って代金を払い、俺は雑貨屋を出る。思わぬ時間を食ったせいで、すでに夕暮れになってしまっている景色を見回した。
ここからお屋敷までは遠くない。なんとかカザハヤさまのお帰りには間に合いそうだと安心をする。
 
もう下駄ではなくて靴を履くようになったから、とても歩きやすい。今更ながら自分が春華楼を出たんだな、と強く思うようになった。俺の世界はとても狭くて、いままではあの廓の中しか歩いたことのないような俺が、この街を歩いている。不思議な気分だった。俺には獣人の爪もなければ牙もなくて、なのに、こんな広い世界が見られる。カザハヤさまのおかげだ。

「……!」

なんて思いながら弾んだ思いでカザハヤさまのお屋敷に帰ったら、門のまえに、お仕事で着るスーツ姿のカザハヤさまそのひとが立っていたものだから。

「…マヒロ」

びっくりしすぎて立ち尽くしてしまった俺の名前を、不機嫌この上ない声で、カザハヤさまが呼ぶ。…み、見つかった……。今日に限ってカザハヤさまはお帰りが早かったらしい。いつもならこの時間に帰ってくることは滅多にないのに、たぶん社長さんが春華楼に遊びに行くってダダをこねたとか、そういう理由だ。なんて呑気に思っていられたのはそこまでで、ほんとならカザハヤさまの三歩で詰めてしまえるような俺とかれの距離をいやにゆっくりと歩いて縮めたカザハヤさまの顔が、怖い。頭からがぶりとやられそうな顔だ。

「…マヒロ、話がある」
「は、はい……」

…なんて言い訳をしようか。








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