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耽溺アブソリュート



「重そうだな」

という声と一緒に、腕にかかっていた重みがいっぺんに軽くなった。僕はそれに驚くよりも、目の前にいるそのお方の存在に衝撃を受けすぎて、なにも言えずに立ち尽くしてしまう。この長くただ広い廊下には放課後ということもあってか、果てから果てまで、なにもなかった。来週から季節外れの転校生がやってくるだとか、そういった噂がたまに学園を沸かせるほかは、いつもどおりの帝豊学園だ。放課後になれば部活だの、同好会だのに精を出したりする人間が多い。それのひとつに含まれるのが、僕が所属、主宰をしている生徒会長の親衛隊である。

生徒会の方々の親衛隊の仕事はいろいろある。中でも僕の敬愛する悠里さまは生徒会長になられたばかりでお忙しいから、そのお仕事がはかどるようにお手伝いをするのももちろん僕たちの仕事なのだった。僕は少しでも悠里さまのお役に立ちたいから、こうして書類を運んだり、備品の移動をするのだとかを庶務の人たちに頼んで手伝わせてもらっている。

今日の荷物は少し多かったけれど、小さい頃からおもちゃとしてS&Wの拳銃や、もっと大きくて重たい重火器を取り扱ってきた僕にとってはほんの軽いもので、もちろん簡単に運ぶことが出来ていた。

だけど、きっとあのお方の瞳には、僕の腕には余って見えたのだろう。ご自身だってきっと忙しいのに、手を差し伸べてくれたらしい。

「ゆ、悠里さま…」

ようやっと、声が出た。僕らしくもなく震えた声を、きっと僕のほんとうを知る人間が聞いたら嗤うだろう。それ以前に、言葉も出ないだろうか。

「無理に重いものを運ばなくてもいい」

悠里さまはそう言うと、その瞳の奥の方を、ほんの少しだけ笑わせたようだった。きっと傍から見れば、いつもどおり、口さがない有象無象がいうように悠里さまの表情は「氷の生徒会長」だったのだろうと思う。けれど、悠里さまはいつもそうだった。こうやって、僕や親衛隊を気にかけてくださるとき、その目の奥のほうが、ほんのすこしの困惑と、そして僅かな微笑に綻ぶ。僕はそれを見るのが好きだった。悠里さまの表情が動くたび、どうしようもなく胸が高鳴る。

「い、いえ、ですけれど」
「資料室までなんだろう?」

抑揚のない、静かな声。整ったそのお顔も、あまり目立った表情を映さないところも、もしかしたら、冷たく見えてしまうのかもしれない。けれどこうやって、僕に向けてくれる優しさは紛れもなく、そんなものがかれの本質ではないと教えてくれる。

どんなパーティの主役になったって、こんなしあわせを感じたことはなかった。逃げるように遠縁のこの国に渡ってしばらく経って、僕はふつうのしあわせ、に近いものを、感じているような気がしている。

「ありがとうございます、悠里さま」

けれどこんな万感の思いを、悠里さまにぶつけてはいけない。だから僕はしあわせを噛み殺して、そうやって笑うのだ。…マフィアには似つかわしくない、いいや、だからこそ面白い、なんてそんな尺度で測られ続けてきた、この顔で。母の生き映しと言われるこの顔は、長年僕のコンプレックスだった。けれどこの顔と、裏の世界で生きるにはマイナスすぎるこのちいさな身体のおかげで、悠里さまはこうやって僕のことを心配してくれる。それはたくさんの虚構の上に成り立っていたから、僕はすこしだけ胸が痛かったけれど、それでもかれが僕に向けてくれる優しさを感じることができたから、それでいい。

悠里さまはほんの少しだけ、また困惑と、それから微笑を瞳の奥に浮かべて、小さく頷いてくれた。




「…重くないのか?」

あれから、もう半年ばかりたつだろうか。めっきりと秋が深まり、学園は少しずつ様を変え始めていた。僕にとってその変化は、ひどく喜ばしいものであったのだけれど。

「大丈夫です!」

この書類を抱えて歩くと、うえはお隣の悠里さまと同じくらいの背丈になる。心配そうに声をかけてくださるのを笑って返して、僕はひどく弾んだ気分で歩くのだ。

悠里さまが、笑ってくださるようになった。それはまだかれが「氷の生徒会長」として振る舞うときの中であることもあれば、こういった、僕とかれしかいない空間のことでもあったりする。かれはこうやって、僕のことを知ってくださったし、僕もすこし、かれのことをしった。

「もっと重くたって平気です!」
「そ、そうか…」

ほんとなら僕は、この上にあなたを抱えてたって余裕です。なんて胸を張ってみたかったけれど、きっとかれがまた困ったように、それでも微笑を浮かべてくれると僕はもうわかっているから、やめた。いまはもう、かれはそれをその瞳の奥に隠したりはしないから。







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