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それから



時刻は丑の刻を少し回ったころ。夜も遅く、もちろんこんな時刻に妖怪どもを恐れずに出歩くもの好きなんて、この京にはいない。まあ、たったひとり、俺の目の前の馬鹿を除いては。

どれだけ遠く離れてもすぐにそれと分かる甘い霊力の気配。夜のなか手燭だけを提げて歩くその背中から少し距離を置いて、俺もまた、欠伸を噛み殺しながら奴を追いかけているわけだった。

俺のよわっちいあるじ様は、これだけ霊力を迸らせてるってのにちっとも俺に気付いちゃいないようだ。思いがけない御馳走をその頭っからぱくっといっちまおうと狙ってる妖どもが俺のちからに中てられて逃げてくのでさえ気づかない。ただわくわくとその胸を高鳴らせ、朱雀大路のどまんなかを歩いてやがる。大方修行をしようとここらへんに棲むあやかしどもを調伏しにでも来たんだろうが、俺が睨みを効かせているせいで、だれも静馬に近寄ろうとはしなかった。

先のあのいけ好かねえ陰陽師との邂逅以来、静馬はこれまで以上に修行に乗り気になっている。けっきょくあいつの兄貴はあいつに、半妖であるという事実を伏せておくことにしたようだった。頭を下げられ懇願されたもんで、俺もそれを受諾してるってわけである。…どうせ、いつか気付いちまうけどな。少なくともいまはまだ知らせずにいたい、ってのがあいつの兄の考えのようだった。

「…お前には、特別な才能がある」

そしてあの男は、そう言葉を濁し、先のあの事件であいつが狙われた理由を説明した。それを聞いてにわかに、静馬は自分にもまだ陰陽師としての才能があるんじゃねえかって思って修行に明け暮れているわけである。

正直言って、迷惑この上ない。いちいちついて回って守ってやらなきゃなんねえ俺の身にもなれ。…いや、それ自体はいいんだが、目を醒ましてあいつの姿が見えないと、流石に俺もちっとは焦るわけだ。

「…!」

なんて気を抜いていたら、道を歩く静馬のまんまえに朧車が停車をした。牛車のかたちをした妖怪だ。あのまま静馬を攫ってねぐらでゆっくり貪るつもりなんだろう。簾の下に、無数の悪意が蠢いているのがわかった。ため息を吐き出すのといっしょに、地面を蹴って加速をする。

「り、臨、兵、闘、者…」

慌てて静馬が九字を切るけど、如何せん遅すぎる。あほか。こんな場面でそんな呪を唱える時間があるわけないだろう。簾が捲れて、なかから何本も伸びた腕が静馬に襲いかかる。それと同時に追い付いて、俺はその肩を引っ掴んで飛びのいた。

「…」

しっかり静馬を抱えてから、俺は朧車を睨みつけた。まだ耳も尻尾も出しちゃいないけど、俺の霊力は隠しちゃいねえから、やばいってのはすぐに分かったらしい。退こうとしたらしいが、勿論許してなんざやらねえ。だけど真言を吐くのもめんどくさくて、かわりに伸ばしてきた腕を引っ掴んで朧車ごと引き寄せた。

「…く、葛葉」

呆けたような静馬の声。と一緒に、勢いよく車輪が転がって飛び込んできたその本体を、俺は思いっきり蹴飛ばした。叩きつけられた霊力に耐えきれずに霧散したそれを手で払い、狩衣の合わせに縋って目を見開いている静馬を見下ろしてやる。

「阿呆」
「……」
「いい加減に懲りろっつっただろ」
「………」

みるみるうちに頬をふくらまして拗ねたらしい静馬は俺の胸倉をべしっと離すと、そのまま踵をかえして来た道を引き戻ろうとした。まあこれ以上先に進まないってだけで進歩だろうか。…それにしてもまあ、かわいくねえあるじ様である。

「…あの位なんとかなった」
「どの口が言うんだ、どの口が」
「九字を唱えただろう!」
「間に合うわけねえだろ阿呆が!」

その首根っこを捕まえて、俺はしぶしぶといったふうに俯いて黙り込んだ静馬を見下ろした。甘い霊気が惜しげもなくその肌から香っている。報酬代わりにひと口くらい貰ってもバチは当たんねーだろうと思ったけど、静馬が目に見えてしゅんとなっているので、やめておいてやった。俺はいい隷属だと、自分でも思う。

「第一、修行だなんだってしょっぱい真似しなくても、俺がいるだろうが」
「うるさい!……僕だって、お前に見合う陰陽師になろうと…」

そこまで口に出して、はっとしたように静馬は黙り込んだ。居心地の悪い沈黙が、夜の朱雀大路に広がる。じわじわとその首元が赤くなっていくのが、残念ながら夜目の効く俺の目にははっきりと見えた。

…前言撤回だ、可愛いとこもあるんじゃねーの。

「ほうほう、それで?」
「な、なんでもない!にやにやするな!」

静馬は俺の腕を振り払うと、家のほうへと駆け出した。大股でそれを追いながら、俺はなんとなく愉快な気分になって、笑いだしたくなるのを必死に堪える。そんなことをしたら、あいつは拗ねて目も合わせてくれなくなるからな。

「静馬!あんま走ると、転んで泣くぞ!」
「泣かない!」

俺のだいじなだいじなあるじ様は、相変わらず、非常にからかい甲斐のあるやつである。









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