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「…しらないうちに、…健斗は変わってるし」

何も言えなくなった俺には構わず、腕のなかでもぞもぞと伊鶴が喋りはじめた。伸びてきた手が背中にひっかかる。拒まれているふうはなかったから、俺は息を潜めて伊鶴の言葉を待った。

「きのう、呑み会じゃまえとおんなじだったのに。…まえみたいに、色んなこと話してたのに。…俺とふたりになったら黙るし、せっかく携帯買ったのにアドレス教えてくれないし、部屋ついたと思ったら寝るし…」
「…、ご、ごめん…」
「……起きたら起きたで冷たいし、嘘つくし、…もう会いたくないとか、いうし…」

相変わらず、日本語でたくさん話すとすこし拙い喋り方になるのは変わっていない。懐かしくて、ほんのすこしだけ笑ってしまった。息を詰めていたせいか、笑ったことが伊鶴にも伝わったらしい。

「……何がおかしいの」
「…いや、伊鶴、よくしゃべるな、と思って」
「……おまえが、しゃべらないから」

伊鶴はそういうと、ぐいと俺の背中を引き寄せた。ますます距離が近くなって、俺には伊鶴のつむじしか見えなくなる。心臓の音が聞こえた。すこし早い。

「…俺のしらない間に、…健斗は変わった。それはすごく、いやだ」
「…」
「あんなふうに、疎遠になるなんて、考えてもみなかった」

ぽつぽつと吐き出される言葉はまるで俺を責めてるみたいだった。なのに俺の胸はどうしようもなく高鳴ってる。伊鶴がこの二年間、少なからず俺のことを考えてくれたんだと思うと、申し訳なさより嬉しさが先に立つ。ひどいやつだと思った。

「…そばに居られなくなるってちゃんと言ってたら、俺は、あんなふうに言ったりしなかった」
「……、なんの話」
「…とぼけるなよ」
「いや、とぼけてない、何の話だよ、わかんないよ」

暗喩的な伊鶴の表現はわかりにくい。また怒ったように言われたけど、ほんとにわかんなかったから、俺はそう聞き咎めた。そろそろと伊鶴の吐いた息が熱い。胸元で凝ったそれに、火傷してしまいそうになる。今更ながらに伊鶴とぎゅうぎゅう抱き合ってるってことに気付いて、俺はひどく動揺している。

「…いっしょにいられなくなるなんて、思わなかったのに」

…そこまで聞いて、伊鶴が何を言っているのかようやく合点がいった。二年前。好きだ、と言ったとき、友達でいたい、と言われたとき。そのときのことだ。ずるい俺が、逃げた時の話。

「…それは、その…、だって、どんな顔して会えばいいのか、わかんなくて」
「それだったら、俺だって、あんなこといわなかった!あのとき頷いてたら、まだ一緒に…!」

なにか言いかけた伊鶴を、慌てて突き放す。手放してしまってからあの熱が恋しくなったけれど、もう手遅れだった。これ以上聞いたら、きっと俺は黙っていられなくなる。期待してしまう。…そんなのは、苦しすぎる。

俺だって、何回も、何十回も思ったさ。あのときあんなこと言わなかったら、まだ一緒に居られたんじゃないかって。

「やめろよ、…俺はそんなこと、望んでない」
「…」

そんな理由で俺を受け入れてほしくない。どんなことに伊鶴を巻き込むのか、一応俺はわきまえているつもりだった。俺も男で伊鶴も男で、好きだっていって頷くのは、男女がそうするような気楽なものではない。ただ一緒に居たいからとか、そんな理由で、好きなわけじゃない俺のために伊鶴をそんな目に合わせるのは、俺が一番許せない。

相変わらず階段を一段飛ばしで駆けあがるような伊鶴の思考をむりやりストップさせて、突き飛ばすようになってしまったから一歩よろめいたまんま固まってしまった伊鶴に無理やり笑いかけてやる。ずるい大人の笑顔だ。

机の上には伏せっぱなしの『ドラキュラ』があった。ドラキュラ伯爵がしたように伊鶴を閉じ込めてしまうには、このアパートは狭すぎる。俺はしがない三流ライターだ。なにかあったときに伊鶴を守ってやれる金も力もない。そんなことを考えないと恋愛が出来ないくらいには、俺は大人になっている。

「だから」

きっと俺が、お前が頷きさえすればずっと一緒にいてやるといえば、きっと伊鶴は頷いてくれる。俺のこの恋は書き損じの原稿みたいにぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱にポイされることもなく成就するだろう。けどそんなことすることは、もちろんできない。伊鶴が好きだし、大事だから。
だから、もう、いいんだ。そう言おうとした。

「…いやだ」

けれど伊鶴は、断固たる口調でそういうと、踏みとどまった足を前に出した。この後に及んで俺との距離を詰めようとする。もう今日、何回突き放したかわかんないってのに、それでもまだ寄ってこようとする。なんにもわかってない。二年前から、…いや、もっと前から伊鶴は、ばかみたいに無防備だ。

俺の腕に伸びてきた手を掴む。それを無理やりに引っ張る。机の上に伊鶴を引き倒して、力づくでそれに覆いかぶさる。驚いて見開かれたダークブルーの瞳を、きっといま、とても恐ろしい顔をしているんだろうなと思いながら見下ろした。

―――伊鶴は、俺がどれだけ伊鶴のことを好きかしらないから、こんなことを言える。

冷たいものが、背筋のあたりを湧き上がってくる。戸惑ったように逃げようとする伊鶴が動いたせいで、『ドラキュラ』が床に落ちて固い音を立てた。怯えた動物のようにこちらを見上げる伊鶴に、ふと出会ったころのことを思い出す。警戒心まるだしの目で俺を見てた伊鶴。俺は伊鶴に笑ってほしかった。頭のなかでそんなことを思いだしながら、俺はむりやり伊鶴にキスをした。








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