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9



失恋するためにまたな、という言葉を使ったのは、二回目だった。

最初は、大学の卒業式の日。
友達でいたい、と言って寂しそうに笑った伊鶴の頭を撫でて、俺はわかった、ごめん、またなっていった。それは、嘘だったけど。
…けれど、残念なことに、二度めはそう簡単にはいかないようだった。

「…」

伊鶴の表情が苦しそうに歪む。だから俺は、そんな伊鶴を見たくなくて手を伸ばす。二年前にそうしたように、ぐしゃぐしゃってその髪を撫でて、それで笑って見送るために。二年前と同じように、俺は失恋をしようとした。半ば儀礼に則ったようなもんだ。形式美ってやつ。

「……」

膝を握りしめている伊鶴の手が震えている。目に入ってしまったそれに後悔をする。唇を噛んで笑うのは少し難しい。いささか乱暴なくらいに伊鶴の髪を撫でまわし、俺は立ちあがって布団にもぐろうとした。駄目な大人感満載だけど、まあしょうがない。

けど。

「……っ」

伊鶴の伏せられた、陽の光を透かすと銀にも見える長い睫毛から涙の粒が滴ったのを見て俺はひどく驚いた。と同時に、立ちあがりかけた膝を思わず床についてしまう。伊鶴が泣いている。それは、初めてみる伊鶴の涙だった。酔ったら泣いたり暴れたり笑ったりする俺と違い、伊鶴は感情の表現のしかたがひどく希薄だったから。

それを拭ってやる権利なんて俺にはなくて、でも手を伸ばそうとするまえに、伊鶴の拳がぐいっとそれを乱暴に拭った。あまりに乱暴なそのしぐさに、俺は思わず仰け反って伊鶴をまじまじと見る。それから顔を上げた伊鶴は、濡れた瞳でふたたび俺を睨みつけた。

「…」
「……」

…まさか、泣かれるとは思ってなかった。びっくりしすぎて言葉が出ない。
伊鶴はじっと俺を睨みつけている。どうすればいいか分からないから、とりあえず笑ってみた。で、失敗した。無理だ、これだけずるくなっても、やっぱりまだ笑えない。伊鶴が好きだ。もうたぶん、二度と会わない。けどずっと好きだと思う。だってこんなに好きなんだから。

「伊鶴」

帰宅を促すつもりで声を掛ける。俺まで泣いてしまいそうになって辟易をする。けど、もう会わない、と思うと、胸の奥がきゅーっとなった。ずっと会っていなかったのに、会ってしまったらもうだめだ。伊鶴はすこしだけ変わっていて、けれど伊鶴のままだった。俺のことを気にかけてくれていた。それだけですこし報われたような気がした。

「…また、嘘ついた」
「……」
「…まえも、またなって言った」
「…そうだっけ?」
「……覚えてる、くせに」

伊鶴は平坦なうえに濡れたぼそぼそとした声で怨みごとを言う。とぼけて返事をしても、許してはくれなかった。観念をする。俺の負けだ。伊鶴はけっこう頑固だし、俺はけっこう決心が弱い。

「…ずっと好きだったよ」
「……」
「まだ好きだし、…きっとこれからも好きだ」
「……健斗」
「だからもう会いたくない。…ごめんな」

けっきょく正直に暴露した俺に、けれど伊鶴は驚いたような顔を見せることはなかった。清々しい気持ちを俺も感じることが出来た。いろいろ姑息な手段は使ったけど。伊鶴と会わないことに理由をつけることが出来た。もう俺は卑怯じゃない。最低だけど、少なくとも、卑怯ではない。

「…」
「……伊鶴」

立ちあがって、座ったままの伊鶴の膝に、そばの机の上に置いてあった鞄を乗せた。もう会わないんだろうなって気持ちが静かに胸に沁みていく。冷蔵庫のメモを剥がそう、と思った。伊鶴の電話番号の書いてあるメモは、年季が入って黄ばんでいる。

「……」

そうやってぼんやり冷蔵庫を眺めていた俺の横で、伊鶴が立ちあがる。煩く波打つ心臓の音が鬱陶しくて、ともすれば泣いてしまいそうな自分がいやだ。二年越し二度目の失恋は、思ったよりもつらい。

鞄が床に落ちる、派手な音がした。

「…っ、おまえは、やっぱりずるい!」

その音にびっくりして視線を落とす。無造作に転がった伊鶴の鞄から携帯電話が飛び出ているのが見えて、ああやっぱり携帯持つようになったのかって、また胸の奥が引っ掻かれるような感覚がある。

「なんで、…なんでそうやって…!」
「…伊鶴?」

鞄を掴むべきだった伊鶴の両手は、勢いよく俺の胸倉を掴んで揺さぶった。ちょっと見ないうちに随分アグレッシブになったもんだ、と戸惑いを通り越してうっすら感動しながら、俺は早くもせり上がってくる不快感に慌てて伊鶴の手をホールドした。俺が二日酔いだってことを、もう少し考慮してほしい。

「二年前だって、…俺は、おれは、…」

整った顔をぐしゃぐしゃにして泣く伊鶴は、大学生のとき好きになったあの感情の表現が下手な伊鶴とはぜんぜん違っている。こんなふうに感情をあらわにすることが出来るなんて、思ってなかった。…でも、やっぱり好きだ。俺の好きな伊鶴だ。

力の抜けた伊鶴の両手から手を離す。そのかわりに、両手を伊鶴の背中に回して思いっきり抱きしめた。離したくない、と思った。









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