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「…健斗は、変わった」

ついに伊鶴が俺から目を逸らすのを、俺は三十八秒の沈黙のあとに見た。見て、確認して、そして安心をした。俺は伊鶴に嫌われてしまいたいのかもしれないと思った。ずるい自分に大概いらいらしてる。

ほんとはもっと話したいことがたくさんある。このアパートからは桜が見えるとか、ヴァンパイア伝説について調べていたこととか読めなかった仏語の小説のこととか、あとこのチャラく見えるギリギリの金髪はブリーチの量を間違えたことによる大惨事をなんとか美容室のお姉さん(自称Dカップ)と相談してここまでまともにしたんだよってこととか、二年前までの俺だったらきっと流暢に語れた。

でも、そんなことをしたら、きっと俺はまた健斗の友達になれる。定期的に会って遊ぶような、そんな仲に戻れる。伊鶴の態度からそれが透け見えたから、怖かった。それを望んでいるはずなのに踏み出せない。俺は素直じゃない。まえみたいにはいかない。まだ伊鶴のことが好きだ。けれど今の俺はきっとそれを隠し通せてしまう。ずっと友達でいられる。それはとても苦しいことのように思える。でもきっと耐えられる。俺はおとなだから。

もう、俺は伊鶴が友達でいたいと思ってくれる俺じゃないんだってことを、俺はきっと周到に隠しとおすことができる。

「伊鶴は変わんないな」

そうやってへらへらと笑える。それは世間話を始めるテンプレートのような一節だ。最近どう?とか、彼女いるの?とか、まるで何もなかったように言える。編集部に仕事を持ってくとき、お茶請けを食べながら話すように言える。吐き気と頭痛は、すこしおさまっていた。

「変わったよ」
「…」
「変わったよ、ぜんぜん」

伊鶴の平坦な声は、そんな俺の目論見を一言のもとに斬り捨てた。伊鶴の目は真剣だ。俺は半笑いを引っ込める。どうすればいいかわからない。こんなときに自分もコミュ力ねえなって思う。まあ、コミュ力が十分にあったらもっといい仕事してるだろうけどさ。

「俺だって変わった。…二年もあったんだから」
「伊鶴」
「あのとき俺が、あんなふうにいわなかったら。…健斗は」
「…、伊鶴!」

容赦なく話を本題に持っていこうとする伊鶴に戦慄する。二年前の失恋を掘り起こされるのは困る。…俺が伊鶴のことが好きで、好きでしょうがないんだと伊鶴に言ってしまったことは、俺たちが「友達」になるのには大きな障害だ。…だけどそこに容赦なく割り込んでくるところが、伊鶴らしいといえば、らしい。やっぱりお前、何にも変わってないよ。少なくとも俺みたいに、ずるくなってたりはしない。清々しいほど正々堂々だ。

じょじょに力を失って俺のスウェットに引っかかってるだけになってしまった伊鶴の手を外し、その膝の上に置き直してやった。伊鶴の手は相変わらず冷たい。ふとした拍子に触れるたびに、胸が高鳴ったものだった。忘れたくても忘れられないあの恋は、まだ温度も質量も帯びている。

「…もう、俺と一緒にいるのは、いや?」

こんなに饒舌な伊鶴なんてすごく珍しい。好きなことについて語るときも言葉が少ない伊鶴を思い出し、珍しいなって思ってしまうあたり俺は重症だ。…変わったんだなって、そうやって伊鶴への違和感を飲み下せない。未練たらたらで、笑える。

「そんなことない」
「じゃあなんで…」
「なんでもないよ」
「なんでもないわけないだろ!」

泣きそうな顔で伊鶴が声を荒げる。びっくりして思わず身体を引いた。動揺を隠せずに、俺は思わず視線を逸らす。どれだけ臆病なんだと自分を笑いたくなるけど、伊鶴に怒鳴られたのなんて初めてだから。

逃げ切れない、と思った。

なんでもないふりして、何にも答えないでなあなあで、それでいてもういちど友達としてやり直そうだなんて独りよがりで身勝手だ。ただでさえ友達でいたいと望む相手に、恋人になれないなら友達でもいられないなんて言うなんて、ひどすぎる。だから嘘をついた。友達でいようって嘘をついた。もっとひどい。最低だ。そんなことわかってたけど俺は伊鶴を諦められなかった。好きだから。こうして顔を見合わせたら、それがよくわかる。友達になんてなれない。きっと苦しくて、苦しくて、俺は死んでしまう。

「なんでだよ…、なんで、そんな」
「…伊鶴」
「…俺が、あのとき」
「……なあ、伊鶴」

白い指がその灰色の髪に割り入り、ぐしゃぐしゃとそこを掻き混ぜる。困ったときの伊鶴の癖だ。変わってない。心臓がすごく痛い。でも俺はそれを押し殺して笑った。へらへらとした表情を作って、ちゃんと言おう。だめだ、やっぱり何食わない顔をして笑いかけるなんてこと、出来ない。これ以上伊鶴を困らせて、悲しませるんだったら、俺がまたこの恋に重い年月って蓋を被せたほうがましだ。

これ以上伊鶴を苦しめるんだったら、いっそ伊鶴に嫌われたほうがまだましだ。

「…ごめん、やっぱちょっと体調悪いわ。飲み過ぎたし。…悪いけど今日は寝かせてくんね?」
「…」
「…だから、またな?」

二回目の失恋は、とても苦い味がした。









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