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この間合いなら、避けられる。それは確信だった。シオンは生きたいと思っているし、この命は自分だけのものであるとは思っていない。だから余裕を持てた。―――以前とは、生きる理由が違っているから。

「…ッ!」

チュン、と音を立てて、耳のすぐそばを何かが駆け抜けた。とっさにそれから身を逸らしたせいで、はっきりと何が起こったのか目にすることはできなかった。

「…腕のいいスナイパーだな」

Kが呟くのが聞こえて、はっとする。まさかと思って顔を上げれば、Kの握ったナイフには弾痕がしっかりと残っていた。

「…あ」

思わずかれのいるほうを向けば、ライフルのさきから白煙を立ち上らせたラインハルトが、こちらを呆れたように眺めているのが見える。全身の血液が一気に沸騰したような感覚があった。

「…あたりまえだろ」

どうしようもなく口元が緩んでしまうのを自覚する。かれに見られたら次はこっちが撃たれるな、なんて思いながら、無理やりに笑みを押し殺すために奥歯を噛んで体勢を整えた。一息に距離を詰める。

心というものは、重いものだと言われて育ってきた。お前の身体には、心はきっと重すぎる。そんなものを抱えては、お前は生きてはいけないだろう。―――たしかにそうかもしれない。たとえばシオンはもう、きっと子を守る母を容赦なく斬り捨てることなど出来ないのだろうと思う。それはいけないことだと、そう思ってきた。けれど。

かれが、そんなことをしなくてもいい、と、呆れたようにそれを一蹴してくれたから。

「ケイ!」

一気に劣勢になったKへ、立ちつくす金髪の青年が悲鳴のような声をかけた。なるほどそれがかれの名なのかと、かれが部隊を脱走して以来の五年をその声の向こうに透かし見ようとしてみる。瞳のおくに光を宿したKは…、ケイは、その表情を複雑そうに歪めていた。

「…っ!」

渾身の力で短刀を叩きつける。ケイが苦しそうに声を漏らすと同時、その胴に隙が出来た。思いきりそこに蹴りを沈めると、かれの身体は軽く吹っ飛んで地面にたたきつけられる。追従するでもなく、シオンはふたつ、足音が増えたことに気付いて顔を上げた。

「お二人とも!無事でしたか!」

郁人を先頭に、ふたりがすでに灰燼に呑まれた屋敷の方から駆けてきている。これではあまりにも不利だ。身軽く飛び起きて体勢を整えたケイが、ミシェルのそばまで駆け寄ろうとする。そこに滑り込み大きくナイフで切り払い、シオンは背後の、哀れな青年に声をかけた。

「離れていてください!あなたの身柄は、すぐに保護します!」

けれどミシェルは、その場に立ち竦むことしか出来ないようだった。もどかしく思いながら、俄然勢いを増したケイの剣撃をなんとかシオンが避ける。見かねたように、あのうつくしい剣を手にした洸が加勢をした。

「ったく…、こっちは誰かさんを背負ってロッククライミングしたせいで疲れてるんだけどな!」
「仕方ないだろう、おれにはあんな真似むりだ」

いつも通りといえばいつも通りな気の抜ける会話をしながら、郁人がミシェルのほうへ駆け寄ったようだった。下手に近付いては洸の邪魔になりそうだったから、シオンもいちど距離を取る。

「大丈夫か。…怪我はないね?」

郁人がかれに話しかけても、ミシェルはその瞳を悲痛に見開いて唇を戦慄かせているだけだった。何を信じればいいのか分からない−−−、というのが、現状だろうか。かれを取り巻く環境は、たったこの数日間で、まるで様を変えてしまった。

「…ッ、郁人、シオン、離れろ!」

洸の怒鳴り声がする。はっとしてそちらを見れば、無理やりに洸の剣撃を振りきったケイがこちらのほうに向かってくるところだった。遮二無二、といったその姿勢が、あまりにも痛々しくて、シオンは寸の間眉を潜める。

きっとかれにとって、この青年は、地獄に降りてきた一筋の光だったのだろうと思う。あの地獄は、…シオンも居たそこは、なんの希望も見出せないような場所だった。少なくとも、シオンや、かれにとっては。だから逃げたのだ。そして、外の世界で、居場所を見つけて。かれはどれほど救われたのだろうと思う。詳しいことは知らないが、ケイが今回のような事を起こしたのも、間違いなくかれのためであるはずだったから。

ラインハルトが放った銃弾を、甲高い音を上げてケイのナイフが弾いた。もとよりナイフが抉れようと穴が開いて壊れようと、シオンのように数え切れないほどのナイフを持っているに違いないかれには問題がない。面倒だ、と思いながら、シオンは郁人に声を掛けた。

「郁人さん、離れて!」

立ちつくすミシェルを背に庇い、まだ立ちまわりを出来るほどに回復してはいないだろう郁人にそう呼びかけてから、シオンはナイフを逆手に握る。痛いほどの力でケイのそれとぶつかる。火花が散ったのが、雨のなかに見えた。

「…ッ!」

先ほどの蹴りが、おそらくは肋骨の一本や二本を砕いていたのだろう。先ほどとは比べ物にならないほど簡単に、ケイの剣撃を押し戻すことが出来た。大きく仰け反ったケイへの距離を、一息に詰める。

とった、という確信が、シオンにはあった。その時にはもう、かれへの憐憫や同情は、どこにもなかった。結局のところ、シオンは獣なのだ。飼いならされたにしろ、ただの獣なのだから。

「…待って!」

振りかぶった鋭いナイフを止めるようなものは、何も無いはずだった。例えばいきなり視界に飛び込んできた、金髪の人間の姿だとか、は。









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