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18



「…」

音もなく眼前に着地した気配に、洸はすっと息を吐いた。隠しようもない殺意が、目に見えるようだ。

「…ケイ、なんで。どうしてだ」

郁人の腕を振り払ったらしいミシェルが、ケイに駆け寄っていくのが見えた。待て、と郁人の声が追うが、もう間に合わない。ケイの間合いに入ったミシェルが、音もなくくず折れるのが見えた。煙のせいでここからはまだ、ケイの姿は見えていない。

「…ごめんな、ミシェル」

気を失ったらしいミシェルを抱え止め、ケイがそう呟いたのが聞こえた。どこかで屋敷が崩れる音が聞こえる。エントランスは吹き抜けになっているからすこしは崩壊までに時間がありそうだったが、この分では熱さと煙とで、もう持たないだろう。

「待て!」
「無理だ、下がれ!」

飛び出しかけた郁人を手で制し、洸は剣を構えてケイの顔を睨みつける。黒い覆面の下のかれの瞳は、人間のそれだった。暗殺部隊の、感情のない人型兵器などでは決してない。生を謳歌し、生きることのうつくしさを知っている瞳だ。

きっと、それを教えてやったのは、ミシェルだったのだろうと思う。

「こんな方法を取る必要は、なかったんじゃねえの」
「……こんな屋敷に、あんな男に、ミシェルを縛らせたりは、しない」

ミシェルを火の回っていない階段にそっと横たえて、ケイは静かにそういった。火の回りは思ったよりも早い。脱出までの時間をカウントダウンしながら、洸はゆっくりと息を整えた。

「…まずは老人を刺し殺し山の下まで降りてミシェルの兄たちを殺して、戻ってきたときに橋を落とす。あの時お前があんなに濡れていたのは、傘も差さずに走り回ったせいか」
「……」
「そして昨夜。お前はこの屋敷を歩きまわっても怪しまれないからな。…暖炉の秘密に近付いたあの探偵を殺め、死体を動かして暖炉の前の血を拭いた」

郁人の口はとつとつと過去の出来事を紐解いている。それに耳を傾けながら、洸はケイの瞳をじっと見据えた。何を思うのだろう。雨のなか走るとき、かれはなにを考えたのだろう。

「…どうしてだ。どうしてそこまで、する必要があったんだ」

くっと咽喉の奥で笑ったのは、ケイではなかった。洸は郁人の腕を掴み、自分の後ろに引き戻す。ケイはきっとその口を開かない。自分でも何が正しいか、わからないでいるに違いない。かれの正しさは、その傍らでぐったりと目を閉じているから。

「いいか、郁人。動くなよ。…お前は、逃げ道を探してくれ」
「…あとで、全部話せよ」

自分には及びもつかないだろうケイの行動の理由に、ついに郁人は匙を投げたらしかった。洸がそれをわかっている、というのも相まって、いささか機嫌のよろしくない顔で頷く。その目が今度は脱出経路を探すためだろう、窓を、壁を見るのを確かめて、洸はじっとケイの瞳を睨みつけた。

「…よくわかんねえけど、家を継がそう、財を継がそう、ってのは、親なりの愛情らしいぜ?」

最近、それに、ようやく気付いた。だけれど洸は、あの日郁人の手を掴んで走ったことを後悔はしていない。これからさきも、きっとずっと、後悔することはないだろうと思う。洸はいつだって、あの日の自分を褒めてやれる。

だからケイも、そうであるのだろうと思う。洸とケイが違うのは、ケイがそこに、屍で道を作ってしまったことだけ。…ケイはそのやり方しか、知らなかったから。

「それが、どうした」
「…いうと思った」

そうでなくちゃ。口のなかで呟いて、洸は数時間後には灰塵と化すだろう絨毯を蹴って駆けた。叩きつけた剣撃がナイフで捌かれるのは予想済み。反対側の手で、ケイがもう一本のナイフを抜くのも。

「…ッ」

身を捻ってそれを避け、洸は腰に下げた短刀を掴んだ。それでケイの首を薙ごうと、左腕を一閃させる。

「…」

ぎりぎりのところでかわしたケイは、そのまま身軽に背後へと跳んだ。どうやら洸相手では時限のある戦闘では分が悪いと踏んだらしい。横たえていたミシェルの身体を抱き上げると、階段を蹴って跳んだ。目指す先は、唯一火の回っていない玄関だけ。

「っ、…!」

揺さぶられたせいかミシェルの意識が、戻ってしまったらしい。かれの悲鳴が上がる。ケイの足が、勢いよく扉を蹴り破る。洸は剣を下げ、その背中を見た。かれは躊躇わないで駆けていくのだと思う。ミシェルが泣いても、叫んでも、怒っても。

…かれは、いつかミシェルが自分を許してしまうと、しっているから。

「郁人!」

舌打ちをしてそれを追いかけようとした郁人の肩を、洸はとっさに掴んだ。もう脆くなっているこの屋敷で、熱膨張していた扉を蹴り開けられたのだから、起こることは決まっている。とっさにその腕を掴み、一息に階段を駆け上がる。

がらがらと音を立ててエントランスが崩れ落ちたのは、まさにその瞬間だった。燃え盛る木材が、完全に扉を塞いでいる。掴んだ腕の先で、郁人がひとつため息をついた。

「…考えていた逃げ道は、すくなくとも三つ潰れたな」
「……で、残りは」
「一つだけ。…おまえが空を飛べるなら、可能性はもうひとつ増えるけど」

肩を竦めた洸を見て、郁人はすこし笑ったようだった。天井が抜けたおかげで酸素の心配はすこし減ったけれど、このままでは丸焼きになる以外に末路は見いだせない。

「煙は上へと上がる。下から逃げるのが一番安全だ。だが、もう無理だな」

郁人の冷静さはいつも通りで、洸はすこし毒気を抜かれてしまった。額に手を当てたかれは、まったく焦った様子を感じさせない。

「ちなみにこの状況でどこかの部屋の扉を開けた場合、ほぼ間違いなく小爆発が起こる。それは大抵が個室においての」
「だあああ、そういうのは今はいいから!さっさと逃げるぞ!」

すでに肌を舐めるほどに気温が高くなっているのに、このまま放っておけば郁人の講座が始まりかねなかったので洸は慌てて止めた。郁人は不服げに眉を寄せると、しかたがないな、とでもいうふうに肩を竦めて。

「ここは煉瓦造りの洋館だからな。…いまならまだ、外壁のレンガは無事だ。つまるところ、二階の窓から外に出るしかない、ということになる」

結局それかよ!と、洸が叫びたくなったのも、無理はないと思う。









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