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暖炉の前にしゃがみこみ何かを話しこんでいる探偵たちと、その後ろに音もなく迫る黒衣の影。ホールに踏み込んだところで目に飛び込んできたその光景に、郁人が鋭く洸を呼んだ。

「…任せとけッ!」

強く絨毯を踏みこんだ洸が、そう吼えて疾駆する。背後から迫る気配に気付いたその男、おそらく洸の殺気に中てられなければ今頃探偵たちの首を掻いていただろうかれは、ナイフを抜き合わせて叩きつけられた洸の斬撃を防いだ。

「逃げろ、ここはおれたちが引き受ける!」

郁人はぎりぎりと鍔迫り合いが続くそこの脇を駆け抜け、茫然としゃがみこんだままの探偵たちをそう怒鳴って蹴散らした。先ほどまでの気弱な様子とまるで違う自称探偵助手の姿にも、もちろん目にもとまらぬ速さで打ち合いをしているふたりの男の姿にもあっけにとられている探偵たちが、それでも後ろを振り向き振り向きしながらホールから脱出するのを、郁人は息をついて見た。

洸が背後にいる。それだけで郁人は、安心して暖炉の前に膝をつくことが出来た。今しがた探偵たちが解いていたらしい暖炉の暗号を見る。

これを目にするのは、初めてだった。十桁ほどの番号を入力する捩り鍵がぶら下がった、重苦しい金庫。一体何が詰まっているというのだろう。郁人はてっきり、これは探偵たちを呼び集めるための騙しだと思っていた。

けれどそれならば、ケイは昨日、ジェイキンスを殺す必要はなかったはずだ。これ以上目立つような真似をしても、いいことは何も無い。なのに現にここであの探偵は殺された。

「…悪いけどこっちは、てめえの手の裡なんて分かってんだよッ!」

背後で甲高い金属音が響く。郁人の遥か右のほうに捩くれたナイフが突き立ったから、きっとかれは郁人が腹にナイフを喰らったときのようにそれを投擲したのだろう。洸はそれを知っているから、問題なく攻撃を捌き切った。…やっぱりあいつは、なんだかんだいって強い。そんな、本人に聞かれたらなんだかんだってなんだよ!とげんこつのひとつやふたつ落とされそうなことを思いながら、郁人は暗号の鍵になりそうなものを探す。

―――十桁の番号を、手がかりもなしに解くことなんて不可能だ。ジェイキンスだって、一晩でそれを解けたとは到底思えない。ではなぜ、殺した。過剰すぎる反応だと思わずにはいられない。

まさか、それだけ大事なものが、このなかに入っているとでもいうのだろうか。郁人は僅かに思案にくれた。背後ではまだ、鋭い金属が打ち合う音が響いている。

「ミシェルか」

ふいに、郁人の脳裏を煌めくものがあった。洸も、かれがミシェルのために動いていると断言している。そんなケイが、必死になって隠そうとしているもの。このお粗末すぎる陰謀劇の終焉を、彩りそうなもの。

「…遺言書」

あの、ミシェルに遺産を継がせるため、死んだ老人。かれが用意したに違いない、この開かない金庫。もしもかれが死を予期し、その上でなお『保険』を掛けようとしていたなら?
既に郁人へと送った遺言を、この中にもう一枚潜ませておいても、違和感はない。

…ならばなぜ、かれは、それを解かせまいとしている。ミシェルを守るために、暗殺部隊で培ったらしいその技を幾度となく使ったかれ。庭師でいることに何も不満を持っていなかったはずのケイが、再び『昔』のかれに戻ってしまった理由。

郁人には、わからない。

「…!!」

ホールに、誰かの足音が聞こえた。同時に剣戟が止む。はっと顔を上げ、郁人は見た。駆けこんできたのは、老執事とミシェル。きっと逃げた探偵たちが呼びにいったのだろう。

覆面をし、顔こそ隠してはいるけれど、きっと聡いミシェルは気付いてしまう。その長身、見開いた瞳や、褐色の肌。

「…ケイ?」

立ちあがった郁人に手を貸した洸が、とっさに口を開こうとした郁人を押しとどめた。茫然と立ちつくした黒衣を油断なく見詰めたまま、郁人を背後に無理やり押し込める。

「…!」

ケイは、音もなく疾走した。屋敷の外に面した窓を蹴り抜き、そのまま外へと飛び出していく。外は、雨が降り続いていた。

ホールのなかに、雨の音が満ちる。

「…うそだ、まさか、ケイが」

よろめいたミシェルを、慌てたふうに老執事が支えた。ふっと緊張の糸を切り、洸が詰めていた息を吐く。沈痛そうな表情をした郁人の肩を叩き、かれがミシェルへ歩み寄るその背中に続いた。

「…ミシェル。聞きたいことが、いくつかある」

かれにしては珍しく、歯に物のはさまったようなものいいは、茫然とその瞳を揺らしているミシェルに向けられたものだった。かれは緩慢に瞳を動かして、郁人を見る。

「…十桁の数字に、心当たりは?」

酷だとわかっていてそう尋ねる。時間がなかった。ケイが何をするかわからない現状では、かれのことを気遣ってやる余裕はない。

「…」

大きな翡翠色の瞳を見開いたミシェルが、郁人の顔を見返した。何度か瞬きをして、かれはその瞳の色を暗くする。

「…十桁?」
「ああ。間違いなく、あなたに関する数字だ」

かの父は。ミシェルを愛し、ともすれば自らの死後に命を狙われかねないかれを守るために、その命を投じたかれの遺した暗号は、最早用済みだった。

未だ、郁人にはケイの真意が読めていない。

「…坊ちゃん、まさか」

先に動いたのは老執事だった。何かをミシェルに囁いて、暖炉のそばに膝を付く。そしてかれは捩り鍵に手を伸ばし、十桁の暗号を入力した。

かちり、と音がする。ミシェルが茫然と注視するなか押し開かれたそこにあったのは、一枚の紙切れだった。…血塗られた館とその財産の遺言書。それは郁人の予想通り、悲しくなるほどのちっぽけさで、重厚な作りの隠し棚のなかに納められていた。ミシェルにそれを手渡して、郁人はその瞳を細める。洸の姿を探して、それがすぐ後ろにあることに気付き、首を伸ばしてかれに囁いた。

「…ケイはどう出るか」
「…間違いなく、危ないのは確かだな」

言いながら半身を落とした洸はまだ手に抜き身の刀を提げていた。先ほどケイが蹴り破いていった窓からは、ざあざあと雨が降り注いでいる。

「私が、継ぐのか。この屋敷を」

あまりに軽い、けれどその双肩に重責を乗せるに違いない一枚の遺言書。かれの、おそらくは友であっただろうケイのした、惨劇。人里から離れたこの館で育ったミシェルには、刺激が強すぎたに違いない。そう蒼白になった唇を震わせたミシェルの姿は、いまにも膝をついてしまいそうなほど儚かった。

「…かれは、なぜあんなことを」

茫然とミシェルが零した言葉に、郁人は洸と顔を見合わせる。聞きたいのはこちらのほうだったのに、やはりかれもケイの真意は知らないようだ。思案する素振りを見せる郁人の横顔を複雑な気持ちで眺めながら、洸はミシェルに声をかけてみた。

「…なあ、ミシェル」

郁人にも、老執事にも聞こえないような、ちいさな声で。

「…あんたは大富豪の跡取りじゃなかったら、何になりたかった?」

弾かれるように顔を上げたミシェルに、ずっと昔の感傷が胸に落ちた。まだ洸が非力で、なにひとつ守れず、郁人に守られてばかりだったころのこと。きっとあの青年は、洸ととてもよく似ている。

何を言っているんだかわからない、といった顔をしたミシェルが、それでも躊躇ったように瞳を彷徨わせた。聞いても何も変わらないと分かっていて、洸は頭のどこかでこれからなにが起こるのか理解しているような気がしながら、その言葉を待つ。剣を強く握り直し、郁人の位置を確認して。

「―――私は」

……館を震撼させる爆発音が響き渡ったのは、まさにその瞬間だった。










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