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「…あれ?アキだ」

危うく白雪姫のドレスの試着をさせられそうになったところで、リオンはそうそうに教室を抜け出してきた。どうして魔女が白雪姫を着なければいけないのかと、首謀者である椋に詰め寄ったら笑顔で萌えのためだとかなんだとかわけのわからないことを言われて頭痛を感じた。とりあえず蹴っ飛ばしておいた。

教室を飛び出したはいいもの行くあてもなくて、窓の外を眺めていたら道着姿の秋月を見つけたのは、偶然だった。リオンはてっきり秋月が教室でハムレットを演じているのではないかと思っていたから、あとでからかいに行くのもいいかな、と思っていたところだったのだけど。

弓道場へと続く細い道の脇にあるベンチに座っているのは、間違いなくかれだろう。ひとりで練習に励んでいたのか、周囲には人の姿は見えない。なにをしているのかとまじまじとかれを見つめ、リオンは思わず息を飲んだ。

かれの表情は、いつもとはまるで違う。かれは少なくともこの学園で、あんなふうな暗澹たる表情をする人間ではない。あれではまるで、裁きを待つ罪人だ。…何かあったのだ、と確信し、リオンは躊躇わずに階段を駆け降りた。

「…アキ!」

駆け寄ってきたリオンの姿に、秋月はひどく驚いたようだった。びくりと跳ねあがった肩に、驚愕に見開かれた瞳に、やっぱりらしくないな、とリオンは思う。かれはひとの気配に敏感だったし、どこかいつも底のところで冷静な雰囲気を漂わせていたから、この反応は新鮮だった。

「…リオン」
「どうしたの。死にそうな顔してるけど」
「はは、相変わらず容赦ないな」

生徒会長である悠里の親衛隊の規模は、無論小さいものではない。あくまでもこの学校において蝶よ花よと持て囃されているリオンひとりでは到底まとめきれないだろう組織が今日まで円滑に機能しているのには、秋月の力ぞえが多々あった。ひとつ年上の同級生は悠里の親衛隊にはちょっと居ないタイプだし、かれ自身もとても慕われている人だから、かれが副隊長として取りまとめてくれることに、リオンはとても感謝をしている。あまり人が好きではないリオンにとって、悠里は別としても自分のテリトリのなかに入れるのは秋月や椋くらいのものだし、だからこそ困っていたら力になってやりたいと思う。

「…」

秋月は、寸の間黙った。かれが何を考えているのかはリオンにはわからないし、たぶん、これから先もずっとわからないままだろうと思う。けれど話すことで楽になるのなら、聞いてやろうと思っていた。秋月には、いつもいきなり長時間愚痴を聞かせてばかりいる気がする。どんな言葉でも受けとめてくれるような気がしてしまう安心感が、かれにはあった。

「…聞きたいのかよ?」
「聞いてあげないこともないよ」
「つまんない話だぞ」
「僕はただ、ちょっと文化祭の準備サボってるだけだし」
「…じゃあ、俺もちょっとひとりごと言ってもいいか」

いいよ、と笑うと、秋月は大きく仰のいた。その横顔を、リオンは見ない。

「どうやら俺は、失恋したらしい」

まるで、咽喉に詰まっていたものを吐き出すように、その言葉は無造作にころりところがった。予想だにしなかった言葉に少し驚いて、リオンは思わず姿勢を正してしまう。となりで秋月が伸びをする気配がした。

「気付かなかっただけで、ずっと好きだったみたいなんだけど。…やっぱり、だめだった。怖かった」

疲れたように笑った秋月の言葉はひとりごとだから、リオンにはなにかを尋ねることは許されない。リオンもまた、水を差してやりたくはなかった。かれのひとみの奥の奥にある、たとえるならば泉のそこに沈んだきり燻っていたとても重いもの、それに気付いていなかったわけではない。秋月は自分の事をあまり語らなかったし、自分を前に押し出すことを不自然なほどには望んでいないように見えた。かれのなかにあるかれをこんなにも真っ直ぐに視認するのは、初めてだ。

「…ひとを、好きになることは、こわい…」

塞ぐことの出来なくなった秋月の「ほんとう」は、ぼろぼろとその口から溢れだしているようだった。かれがうしなってしまったらしい恋がその口を噤ませていたことは容易に分かって、けれどだからこそリオンは、黙ってそれを聞いていることしか出来ない。

「好きになって、愛をして、それで喪ってしまうなら」

秋月の声は掠れていた。見たことのないかれの激情がそこにあった。かれはただ、失恋の痛手に呻いている。

「それだったらいっそ、…ただ見守っていられたら、そばにいられたら、それで」

よかったはずが、なかった。

「…愛なんて幻で、恋をしたって喪われて、本物なんてないって」

ぐしゃりとその大きな手が、かれの短い髪に割り入った。そこをぐしゃぐしゃと掻き混ぜて、なにかに怯えるように、秋月はその大きな体を小さくする。

「…うそだってわかってるくせに、まだ怯えてる」

リオンはたまらず、その背中に掌を乗せてやった。まるで小さな子供がそうするようになにかに怯える秋月の姿はびっくりするほど頼りない。普段のかれとの違いにかさねがさね驚いて、かれが怯えるものの正体を透かし見ようとした。いったい、なんだというのだろう。これほどまでに秋月を怯えさせ、その恋を死に至らしめたものとは、いったいなんだというのか。
「……あれはもう、死んだのに」

ぼそり、と秋月が吐き出した言葉が、冷たい風が吹き抜けてゆく、舗装のされた道路を舐めていく。枯れた葉を巻き上げてゆく一陣を眺め、リオンはぽん、とその背中を叩いた。

「…ほんとに好きだったのか、わからない」

それに押されるようにして、秋月は吐息のように吐き出して、ゆっくりと抱え込んだ頭を離した。それから身体を起こし、こちらを覗き込んでいるリオンにぎこちなく笑みを向ける。

「…好きになってたなんて、知らなかった」

―――もう一度なにかを喪ってしまうことは。

―――――もういちどかれをうしなってしまうことは。

「だから、失恋をすることにした」

とてつもなく、こわい。












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