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学級を再生する十の方法
つづき



「…卒業、おめでとう」

卒業式は、あっという間にやってきた。
ちょっと見上げてしまうくらい大きなかれは、僅かにその口元を笑わせると、ぐしゃりとその大きなてのひらで髪の毛を撫でてきた。いやこれ、ふつう逆だよね。と、僕が内心でツッコミをいれたのも無理はないと思う。かれはきょうこの学校を卒業する生徒で、僕は送り出す担任だ。

「決まってんじゃん、センセ」
「…初の卒業生だからね。…だから、セットくずさないで」
「あとで直してやっから」

今日は、この学校の卒業式だ。
髪だってしっかりセットして、スーツだって新しく買った一張羅でばっちりと決めている。初めて送り出すことになった卒業生、僕のかわいい三の三の生徒たちは、まだほとんどが登校してきていない。だから僕はこの慣れ親しんだこの英語準備室で、卒業生たちに贈る言葉を練習したりして。不覚にもじわりと涙を滲ませてしまったりして。

「…かわい」

なんて恥ずかしいことをいって、相沢くんが僕の顔を覗き込む。めずらしく着崩していない制服姿のかれは、なかなかさまになっていた。受験だとかもろもろで最近黒に染めた髪と相まって、なんだかふつうの男子高校生みたいでほほえましい。黒の方が似合ってるよ、と言ったら、耳まで真っ赤にしていたっけ。

さっき、そろそろ早い子が教室に来るかもしれないな、と思って三の三に向かおうとしたときにがらりとこの部屋の扉を開けて入ってきたのは、相沢くんだった。これまでの僕の教師生活のなかで、もっとも印象に残っている生徒。そしてきっとこれからも、一番印象に残りつづけるであろう生徒。三年生になってもかれは学級委員を続けていた。学校祭も、進路の話も、どれも一生懸命だった。

昨今は、やくざやさんも学歴社会らしい。ということで大学を目指したかれは私立の大学に進学が決定している。裏で色々な取引があったらしいことにはかれらの世界では致し方ないことなのだろうと目を瞑ったけれど、ふつうにテストをしたって入学出来るくらいには英語は鍛えてやったし、他の教科もけっこう頑張ってたみたいだし。きっとこれからさきも、ちゃんとやっていけるだろう。かれが居ない学校というのを考えてみるのは、思ったよりも怖かった。かれと過ごした二年間は信じられないくらいめまぐるしくて、いろいろなことがあって、それでも、けっこう、…いいや、かなり楽しかった。

「相沢くん、そろそろ行こう。式の前に、配るプリントもけっこうあるし」
「…まだ何か、仕事あんの」
「同窓会の入会手続き書とか、あともちろん卒業アルバムもだし、それから」
「……」

指折り数えてみれば、ああ今日が卒業式なんだなって、いやおうなしに思い知らされる。今日が最後の日なんだって、そういえばそうだなって思い知る。あの子たちは、…相沢くんは学生で、僕は教師なんだった。

僕はここで、新たな未来に羽ばたいていくかれらのその背中を、手を振って見送る役目なのだ。

「センセ」

椅子から立ち上がったはいいけれど立ちつくしてしまった僕の手首を、相沢くんが掴んだ。骨ばった長い指はもう大人のそれで、その熱と力に驚いて僕は思わず顔を上げる。眉を寄せた、もう前みたいに怖いとは思わなくなってしまった相沢くんの顔が間近に見えた。

「…なんでそんな辛そうなんすか、センセ」

その言葉を理解するまでに、少し時間がかかった。思わず視線を逸らしてから、逸らしてしまえば戻せないことに気付いて相変わらずの自分のチキンさに呆れてしまう。

「……辛くは、ないよ」

これ以上ないくらいに、喜ばしく、おめでたい日だ。そういうのは、教師としての、せめてもの意地だった。僕のかわいい生徒たちは、大人になって、この場所から羽ばたいていく。それはとても素敵なことだと思う。…とても、素敵なことだ。

「じゃ、なんでそんな顔すんの」

僕の手をつかあまえているほうとは違う手で、相沢くんが僕の頬を掴んだ。無理やり視線を合わせられる。おでこがぶつかりそうな距離でひそやかに問われ、今度こそ目を逸らすことも出来なくて、僕は諾々と口を開くことしかできなかった。

「…わかってたけど、やっぱり、寂しいものはあるし」

生徒のまえで、なにを言ってるんだ。そうは思ったけれど、口に出してしまった言葉は決して戻ってはこない。それにもうこんなふうな相沢くんの姿を見ることもないんだろうなあと思うと、余計な言葉まで飛び出した。

「…色々、思い出して」
「……」

少し押し黙ってから、相沢くんは僕の手を解放した。かわりに両の掌でむぎゅっと僕のほっぺを押し潰して、何が楽しいんだかよくわからないけど、十も年の離れた担任教師を至近距離で見つめている。

「…べつに、センセやめなくてもいい」

…。
……?
言われた言葉を理解するまでに、たっぷり三十秒は必要だった。理解したはいいけれど、意味は分からない。呆けて相沢くんを見上げると、かれはその後ろくらい稼業を窺わせる鋭い眼光を幾許かやわらげて僕を見つめている。

「…えっと……、何の、話?」
「…卒業まで待つって言ったけど、どっかにセンセを攫ってくわけじゃない」
「……はあ」

とりあえず相槌を打ってから、僕は記憶を総動員させた。…何をだ。気がつかないところでのっぴきならない負債を抱えて相沢くんに取り立てを猶予してもらってるとか、僕はこれから海外に売り飛ばされて臓器を抜きとられるとか、そんなことはなかったはずなんだけど。…って思ったときに閃いたのは、こんなふうに英語準備室でかれに言われた一言だった。

「……」

卒業するまで、待つし。
それはたしか、かれの愛の告白を、丁重にお断りしたときの台詞だったと記憶している。

「…」

なぜだろう、なんだかとってもいやな予感がする。

「…あの、相沢くん?」

自由になった両手でべりっとかれの手を引き離す。きょとん、とこう見れば確かにあどけない子供の顔をして、相沢くんは首を傾げていた。いつもなら年相応のとこもあるんじゃんってちょっと微笑ましいけど今はそれどころじゃない。なんかかれのなかでとんでもない計画が着々と進行している気がする。

「……せ、先生、きみがなにいってるのか、よくわからないんだけど」
「すぐに分かる」
「そういう問題じゃなくて!」

機嫌よさそうに笑顔になった相沢くんは、卒アル運ぶの手伝う、といって僕よりさきに英語準備室を出ていった。僕はざわざわと心が警報を打ち出しているのを自覚しながら、仕方なくその背中を追う。晴れやかな空は雲ひとつなく、門出の日にふさわしいものだった。

これから待ち受ける卒業式。
…めちゃくちゃ高そうな車が学校に横付けされて、めちゃくちゃ顔の怖い人たちがずらっと並んで僕のまえで深ぶかとお辞儀をして、若をよろしくお願いしますなんて言われちゃったりするなんて。粛々と式が終わったあとボロ泣きしていたらかわいい生徒たちにもみくちゃにされて、クラス会しようねなんて約束して送り出して、ぽつんと教室に残っていたら相沢くんが僕の名前を呼んで、それからあれよあれよという間にめちゃくちゃ高そうな車に押し込まれてめちゃくちゃデカいお屋敷に連れて行かれ、かれのお父さんに挨拶する羽目になるなんて、誰が想像しようか。いいや、しない。…もちろん、それを嫌がるどころか、どこか安心したような気持ちで受け入れてしまう自分がいるなんて、ちっとも僕は思っちゃいなかった。









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