main のコピー | ナノ
1



読みかけの洋書を閉じる。いまいち集中出来なくて、俺は一度キーボードを叩くのを止めて天井を睨みつけた。何が吸血鬼伝説だ、と思う。吸血鬼っていうのはそりゃあロマンもあるし情緒もある、妖怪変化の類としては超A級の存在には違いない。違いないがなんでこんな東京の都会の真ん中に吸血鬼が彷徨い歩かなきゃならんのだ、というのが俺の心情だった。だのに俺がキーを叩いて出力してるのはたぶんそれっぽい感じの都内某所の墓場の写真の下に掲載される吸血鬼にまつわる伝承をそれっぽい感じに簡略化している話なわけで嫌気がさす。

俺の研究者根性ってやつはもっとやっかいで確かな資料もなしに中途半端なデータを出したくないもんだから、わざわざ図書館にいってブラムのドラキュラを借りてきて原書で読んじまってるくらいにして。だから仕事が進まない。一応英文科卒なわけでそれなりに英語は得意なんだが、逆にのめり込んでしまって駄目だった。

目を閉じてぐるぐると渦巻く古い英字を追いかければいやおうなしに俺の意識は俺がまだ大学生だったころに飛ぶ。俺が神話研究にだけ精を出していられたころのことだ。あのころはなにもかもきらきらしてた。

「お前とはずっと友達でいたい」

そうしてふいに脳裏に佇むかれの姿は、あの時のまますこしも変わっていない。祖母に北欧の血が混ざっているらしいかれの透き通るように白い肌も、その不思議な色合いを持つダークブルーの瞳もどれも、俺にとってはまるでお伽噺のなかの伝承のように魅力的だった。海外の古い伝承や神話が好きな俺にとって、ミステリアスという言葉が服を着て歩いているようなあいつの姿は、ひと際目を惹くものだった。だから大学の四年間を友人として過ごして、その人となりに惹かれて、ただでさえ異性にすら興味のない相手に望みなんてないとわかっていて告白をした。

そしてあっさりと失恋をして、もう二年の時が経っている。

最後があんな別れ方だったせいか俺はうまくあいつに合わせる顔が思い浮かばなくて、卒業をしてからというものあいつとはほとんど連絡を取っていなかった。なのに二年経った今、大学の同期で騒ぐのが好きだったやつが同窓会をしようなんて言いだしたことをついでに思い出す。回ってきた連絡のメールには、立花も一応誘ってみて、とあった。あまり人づきあいが好きでないあいつに連絡を取れるのは俺しかいなかったから、俺にお鉢が回ってくるのは当然だった。けれどかりにも告白をして振られた相手なわけで、二年間一度も連絡を取っていなかったわけで、といろいろ悩んでいたら日にちは過ぎて、すでに呑み会は、明日に迫っている。

「…電話、するか」

ヴァン・ヘルシング教授の快刀乱麻の活劇ばかり追っていては、いつまでたっても東京某所に夜な夜な現れる燕尾服の美青年の話を書けないと思い至り、俺はそう自分に発破をかけた。まだ冷蔵庫に貼りっぱなしのメモのところまでわざわざ行って、(そんなことをしなくたってあいつの電話番号は電話帳に入ってるのに)それをわざわざ指で押し込んで、深呼吸をする。出てくれなければいい、と思うけど、あいつの超インドアな趣味の事を重々知っている俺は、おそらくあいつは電話に出るだろうとわかっている。

「もしもし?」

電話口から流れてきた声は、すこしも変わっていなかった。久しぶり、という言葉も挟めないくらい上ずった声で開口一番、俺が口にしたのは。

「呑み会があるけど、来る?」

なんていう突然すぎる一言にも構わずに、かれは相変わらずの平坦な声音で、お前は行くの、と聞いてきた。ほんとうは立て込んでいる仕事(と、ツタヤで借りたドラキュラ伯爵のDVD)があったから俺は行かないつもりだったけれど、その声はどこか期待をしているふうだったから、思わず行くよ、と言っていた。言ったその瞬間に、ばかだ、と思った。

「…じゃあ、行く。」

とだけいって一方的に切られた電話を前に俺が深いため息をついたのはいうまでもない。まだかれのことが好きだった。すごく。何時にどことか、だれがいるのかとか、果ては何の呑み会なのかとか。そういったところをぜんぜん気にしていないあのすっとぼけたところもまったく変わっていなくて、ちょっと安心する。携帯の画面に表示される伊鶴、という文字を見て、通話時間の四十七秒を見て、俺はゆっくりと息を吐いた。

立花伊鶴。日本人離れした容貌に似合わない日本人らしいやつの名前は、俺のなかでずっとそっと大事にしまいこんできたものだった。英文科の天才、と呼ばれたあいつは今は翻訳家として活躍していると聞く。あまり人に触れ合わなくて済むだろうその仕事は、あいつによく似合っていた。大学生のころは俺には読めない難解な専門書を幾度となくあいつに訳してもらっていたから、かれのその翻訳の上手さは俺が身を持って知っている。古い言い回しが使われているずっと昔に発行された神話をまとめた本の翻訳を頼んだ時も、まるで日本語を写し取っているみたいな速さで訳していたのを思い出した。

そんなあいつとくらべて、俺はどうだ。締切が迫っているにも関わらず書きだしで止まったままの吸血鬼のレポートを見て、がっくりとうなだれる。この間は北欧で発見された(らしい)雪男についての記事を書かされた。研究傍らこういったエグい三流雑誌に知識を生かした記事を書いていくらかの金をもらっている俺は、たぶん研究者から見てもライターから見ても鼻つまみものだろうと思うね。情けないったらない。ハウ・ミゼラブル・アイ・アム!…深く、深くため息をついた。







top main
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -