トリガーハッピーの溜息 「…お」 彫刻の影に身をかがめ、震えるガキの背を抱えながら俺はスコープを覗き込む。血の海と化したホールで、招かれざる客どもはなにかをキョロキョロ探しているようだった。何かってのはたぶんわんわん泣いてるこれのことだろう。なんだ、子供らしいとこあんじゃねえの。ちょっと笑っちまいながら、こっちに近付いてきそうなやつらの頭に照準を合わせてトリガーを引く。 銃声。世界を空白にする反動。 にやりと頬がつり上がるのが、自分でもわかった。ひどくハッピーな気分に浸れるのは間違いない。トリガーハッピーって名称は、強ち間違っちゃいねえ。和製英語みたいな単純な言葉の癖には、核心をよくついてやがると思う。 弾が切れた。肉片の足元に落ちている銃を蹴りあげ、構える。ほぼフル装填のアサルトライフルだった。39mm弾をばら撒きながら、俺はすでにさっきまでの優雅さのどこにもないパーティ会場を見回す。こんなに楽しいパーティは、久々だ。いくら撃っても敵がいる戦場なんて、なかなかお目にかかれない。 「トオル、トオル…」 ふいに、そう俺の名を呼ぶ声が聞こえた。銃声と空白の間に音が差し込まれるなんて初めてで、俺は驚いて足を止める。指先はトリガーを引きっぱなしのあたり、相変わらずの『狂犬』ぶりだったけどな。 すでにガキを抱えた肩がいてえ。やっぱりもう俺若くねえわ、三年間もぬくぬく暮らしていたせいで、だいぶ太っちまった気もするし。 しばらくすると、銃声があまり聞こえなくなった。 「トオルっ」 あーもう、うるせえよ、ガキんちょ。男だろ。泣いてんじゃねえよ。後でちゃんと褒めてやっから。頬を掠る銃弾の音が俺の身体をいやおうなしに昂揚させるってのに、ぴいぴいと泣くこいつのせいで、俺はいまいちこれを楽しみきれていない。撃ち尽くした小銃を投げ捨てて、次の銃を手に取った。 いつもなら三丁めに入りゃ、もっと高いとこまでトんでた気がするんだけど。やっぱり歳とると駄目だね。なんて思いながら、俺は静かになっちまった戦場を見回した。 「おい、怪我は」 残念なことに俺は冷静だった。こんなこと初めてだ。もっと戦場ってもんは楽しいはずだったのに、それもイマイチで。ガキの頭をまさぐって、マシンガンの爆音から鼓膜を守る耳栓を外してやる。もう一度繰り返せば、ふるふるとその頭が揺れた。 「…ない」 ぐずぐずと泣くガキんちょを床に降ろしてやって、俺はその頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。受け答えははっきりしてるし、どうやらチビッた様子もねえし、さすがは坊ちゃんってやつか。こいつにおべっかを遣いにきた各界の著名人どもはもう生きてんだか死んでんだかも判別つかねえようなありさまで、俺は肩を竦めた。俺が酔えなかったのは間違いなくこのガキのせいだってのに、俺は怒るよりさきに安心してて反吐が出る。なによりも怪我がなくて、よかったと思ってやがる。 「…っ、トオル!」 だから、うるせえっての。 そういうより先に、俺の手にあった最後の銃を――、それは運悪くガキでも扱えるような小せぇ部類のS&Wだったんだが、それをガキがむしり取った。 唖然としてその顔を見上げる。涙の膜が張った翡翠の瞳。ぎり、と食いしばられた、白い歯。 ちゅん、と音がしたのは、次の瞬間だった。 派手に跳ねあがった細っこい腕。反動で倒れかけた腰を慌てて支える。と同時に、俺のすぐ真横の椅子の背が撃ち抜かれるのが、わかった。 「…!」 背後を向けば、同じようなハンドガンを構えた男がひとり、ゆっくりと傾いで倒れるのが見えた。照準から察するに狙ったのは俺の頭だろう。ただその額を、寸分たがわず撃ち抜かれたせいで、その銃弾は少しずれたらしい。 「…あっ、…あ」 ちいさくてかるい拳銃が、なんにも知らないあの子の手から零れて跳ねた。 「あ…」 ぷつん、と何かが切れる音がした。そばにあったマシンガンを手に取る。トリガーを引く。あいつの殺した男にいくら銃弾を叩きこんでも、額の弾痕を判別がつかないくらいにふっ飛ばしても、ガキんちょは茫然と座り込んだままだった。あの見渡す限りの薔薇の花より紅いものが、広がっていた。 まだ生き残りがいたらしい。俺は足元のガキを見おろせないまま、ただひたすらトリガーを引き続けた。苛立ち紛れに火を付けない煙草をくわえてもすこしも心は安まらなかったし、いくら頭を弾き飛ばしてもぜんぜん楽しくなかったし、気持ちよくもなかった。こんなに冷静に銃の引き金を引き続けられるのは、初めてだった。この年になって初めて知ったことがある。それはどうやら、人には誰でも、守りたいものがあるということだった。んでもってもう一つおまけに言えば、それは、俺のそれには真っ赤な手垢が付いちまったってことだろう。 暫くして震えるのも泣きわめくのもやめたガキがハンドガンを握って立ち上がった時、初めて俺は、この世界は狂っている、と思った。 |