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トリガーハッピーの溜息





例えばあるところに大富豪の息子がいたとしよう。長男坊だ。幼少のころから英才教育の限りを尽くされた、言わば生まれついての帝王の子だ。
例えばその子供に、妾腹の兄がいたとしよう。本来ならば莫大な財産を受け継ぐのはその男であるべきだった。けれど可哀そうなことに、その母は大富豪を裏切って使用人と出奔した。その男には莫大な財のひとかけらも与えられなかった。
例えば今日が、本来なら次男であるはずだった長男の、後継ぎとしてのお披露目の日だったとしよう。

紫煙をくゆらす。お高い調度品に安い煙草の匂いがつくからと屋敷ではあまりおおっぴらに吸えないもんだから、俺はぶら下げたサブマシンガンに肘を乗っけてさっきから存分にこのお安い煙草を楽しんでいた。煙草の匂いはガキには良さが分からないらしいから、俺は庭先にしゃがんで束の間煙草を楽しむなんてせせこましいことをする羽目になっている。

きらきらと着飾られた長男坊はまだ十かそこらのガキんちょだ。莫大な財を継ぎ、何十万といる関連企業の社員とその家族を背負うにはまだあんまりにも若い。だのにこんなに早く後継として世間にしらしめられたのは、あいつの親父、つまり現在の財閥の長が老い先短い身だからである。末期の病に冒されている、と聞いていた。土気色の顔はどう見ても重病人のそれで、息子の晴れ姿に目を細めている様は痛々しいことこの上ない。

ふいに目があった。生意気なガキんちょのきらめかしい翡翠の瞳が、俺を捉えて笑う。肩を竦めてそっぽを向けば、どうやらあいつは笑ったらしかった。

あのガキはなんでか、一介の用心棒に過ぎない俺によく懐いた。まだあのガキんちょがもっとガキだったころ、あいつはあいつの父親が支配している傭兵市で俺を見て、あいつは親父に俺を買うことをねだった。提示された金額は破格だったから、俺に逆らう理由はひとつもなかった。そして俺は、三年間の契約であのガキ付きの用心棒になったわけである。三年のはずだった契約はつい先日五年延長され、さらに莫大な金が俺の口座に振り込まれた。薬莢も銃も爆薬も支給されるから、口座の金は減ることはなかったが。

「お前の目が、気に入った」

ガキはお高いスーツに身を包んでこうしてマシンガンをぶら下げた俺にそういうと、俺の腰くらいしかないチビな身長でこっちを見上げて不敵に笑ったものだ。仏頂面の俺を怖がらねえし俺の目付きなんて完全によくある傭兵上がりの鋭いそれなのに、睨めばきゃいきゃいと笑うから、俺のほうも拍子抜けした。俺はまだあのときのことを、よく覚えている。それまで無頼の用心棒として色々な戦場を渡り歩いてきた俺は一か所に留まることなんて初めてで、最初はひどく戸惑ったものだ。

これまで軍のレーヨンしか食ったことがなかったような俺がいきなりテーブルマナーだなんだと言われたって一朝夕で身につくわけもねえ。年とってから何かを覚えるなんてのはひどい苦痛だと、俺はいまさらに思い知っていた。銃の扱い以外に覚えなきゃなんねえことがあるなんて、俺は傭兵としてはそれなりに長く生きてきて初めて知った。

そんでもって俺のあるじ、見たことねえくらいの見渡す限りの薔薇園のなか、たったひとり俺だけ連れて散歩をするのが好きなあのガキは、やっぱりどう見てもガキだった。

「…これ一輪で、何人の命が買えるんだかな」
「おい、トール。向こうまで見えないぞ!」
「トールじゃねえ、トオルだって何遍も言ってんだろうが」
「どっちも同じだ!」

俺が感慨深く呟いた言葉に興味も示さず、生意気なガキは俺のスーツを引っ張って、肩車をしろとのたまった。てんでガキだと親子ほどに年の離れたガキを担ぎあげながら、俺はため息をついたものだ。

戦争は、金持ちのするもんだ。それは金持ちがさらに利益を生むために仕組むもので、たとえばこんな、この薔薇が両手にひとかかえもあればきっと飢えた人間を百人は救えるだろうっていうふうな暮らしをしている人間もいる。この何にも知らない坊ちゃんに買われて、初めて俺はそう知った。

怒りは不思議と沸かなかった。俺を戦場での通り名でなくずっと昔棄てた祖国のファーストネームで呼ぶこの子供は嫌いではなかったし、過ごす時間は不快じゃあなかった。煙草が煙いと言われるのには辟易したし毎朝きちんと髭を剃ってスーツを着なきゃならんのも面倒なことには違いなかったが、俺はこのぬるま湯にすっかり溺れ切っていた。

ぱん、と破裂音がした。

一瞬遅れてこの、何処までも広いこの国でも著名なホールにざわめきが広がる。壁や天井に描かれた宗教画や窓に施されたステンドグラスの装飾を見上げ、俺はとっさに人混みを掻きわけた。

例えば今日が過ぎれば、もう莫大な財産はあのガキんちょの手に渡るとしよう。
例えば今日が過ぎれば、存在すら隠しとおされているあのガキの腹違いの兄が日の目を見ることが二度とないとしよう。
例えば俺がその可哀そうな兄貴だったら、一体何をするだろう。

ぱん。

ヤバい、というのは、まだ死んでなかったらしい俺の野生の勘が告げていた。もうそんなに若い頃みたいに駆け回れる身体じゃないってのに、超高級店のオードブルが乗せられた机を蹴り飛ばし、奥の席で茫然と立ちつくしているあの子供の名を叫ぶくらいには、俺はなにが起こるか分かっていた。

「…ッ、トオル!!」

紅葉みてえにちいさな手が、俺の方に伸ばされた。その手首を掴んで引く。ぱん、という破裂音はまるで大きな花火大会のラストスパートのような勢いで、幾重にも重なって聞こえた。頭上ではシャンデリアが揺れている。落ちて来る、と思った刹那、爆音と共にシャンデリアが落下した。あれでは下にいた人間はただでは済まないだろうと思いながら、俺はガキの手を強く握る。

「走れ!」

華やかだったお披露目会場は最早阿鼻叫喚の地獄だった。オードブルが乗せられた丸いテーブルが跡かたもなく吹っ飛んでいる。時価数億は下らねえだろう彫刻の首が吹っ飛んで、小規模な爆発が起きている。ホールごとぶっ飛ばないのが不思議なくらいだった。

逃げようとしても会場がバカに広い。どっちに逃げりゃいいか分からなくて、俺は煙草を吐き捨てて舌打ちをした。細い腕をぐいと引いて、何が起こってんだかわかってねえガキを肩に担ぎあげる。ホントならランドセルでも背負って駆け回ってるはずのガキんちょは、心配になるくらい軽々と浮いた。

そして皆が絶叫しながら駆け寄った出入り口から雪崩れ込んでくる人間はどう考えても堅気じゃねえ。そいつらの身のこなしは軍隊上がりか傭兵のそれで、俺は思わずたたらを踏んだ。懐かしい感覚が身を焦がす。これほど小規模な戦争は初めてだった。

「寝れなくなるからお目目瞑っとけよ、坊ちゃん!」
「…トオル!?」

狙いはこいつか。答えは明白だ。ほかのボディーガードたちが揃ってもみくちゃにしてるこいつの父親は放っておいてもすぐに死ぬ。狙うんなら未来のあるこっちだ。サブマシンガンの安全装置を放り棄て、俺はスーツのポケットにいつも突っ込んである耳栓を取り出して肩の上のガキに手渡した。

「これを耳に突っ込んどけ、外すなよ」

俺の分が無くなっちまったが、まあしょうがねえ。こいつを抱えた状態じゃ照準をちゃんと合わせるなんて無理だと端っから分かっていた。狙いがこいつである以上、俺は周り全てを撃てばいいだけだ。

銃声を聞いて黙っていられるほど、俺はまだあのあったけえ場所に溺れきっていなかった。

明日は筋肉痛間違いないな、と思いながら、サブマシンガンのトリガーをステンドグラスに向かって引いた。面白ぇほどの音を立てて、色とりどりの光の洪水。降る音が耳を劈いて悲鳴を一瞬打ち消すが、んなもんはもうどうでもよかった。

戦争をするのは、三年ぶりになる。もう若くねえしトレーニングは欠かさずやっていたから鈍っているとは思わなかったが、如何せんなんかを抱えて戦うのなんて初めてだ。

昔は一度スイッチが入れば、周りのものを無差別に撃ち殺すトリガーハッピーだった。新兵なんて年はとっくに過ぎてんのにやたらめったら銃を撃ちまくるもんだから、『狂犬』なんて呼ばれていたっけか。ずっと忘れていたけれど。ここ最近、俺は「トオル」だったから。














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