「みいつけた」

ひどく弾んだ声がすぐそばでした。俺は咄嗟に身体を強張らせる。咄嗟に振り返れば、そいつは俺の肩に両のてのひらを置いて笑う。まだ、なにも言ってないのに。まあだだよももういいよも、なんにも言ってないのに。

「さすがの俺でもだいぶ探したぞ。ここより向こうの公園のたこちゅう滑り台のほうがあったかいのに」

笑いながらそいつは俺の腕を引いて立たせる。ベンチに俺を座らせて、そのとなりに座って満足げにそういった。

そもそもこんな夜中に公園のブランコに座り込んでうなだれてる男に何の用なんだこいつ。俺はまだこいつに、 つらいもくるしいもたすけても言っちゃいないはずだってのに。暗くて寒い公園には、こいつはあまりに似合わない。夜に空に浮かぶ天体は、太陽であってはいけないのだ。都会の空じゃ、星も見えない。夜空は少しも、きれいじゃなかった。

「…ルール違反」
「うそ。もういいよ、って言った」
「いってねえし。いい年してかくれんぼなんてしてねえし」

手にしていた半分くらい残っている冷めた微糖の缶コーヒーを取られた。走り回っていたらしくまだ息の荒いそいつが、隣に座ってそれを飲み干すのがわかる。俺は呆然と、その横顔を見つめた。俺のなけなしの財産を使って買ったってのに。

「お前かくれんぼ上手過ぎ。覚えてるか?ずっとまえにさ、カケル、ひとんちのゴミ箱んなかに隠れたじゃん。マリコちゃんお前がいなくなっちゃったって大泣きだったしタカシは神隠しだとか言い出すし」

そうして息を整えたそいつは俺の動揺なんてお構いなしに話し出す。相変わらずよくしゃべるやつである。俺の頭は思考を放棄して、ただそれだけを思った。それはまだ俺たちが十にも満たないガキだったころの話だ。俺がなにも知らないで笑ってられたころの話。今は遠い昔の話。

「そんときもさ。ちゃんと見つけたろ」

よそんちのゴミ箱に入り込んで、いくら待ってても誰にもみつけられないもんだから退屈で爆睡してた俺に、泣き笑いの声でみいつけたといった幼い声を思い出す。小さなあいつが、寝起きで機嫌の悪い俺の手を引いて涙目で公園に戻ったことを思い出す。きれいな夕焼けだった。

「だから、俺はかくれんぼなんてしてない。なんなんだよ、お前」
「なんなんだよって…、お巡りさんに職務質問された俺の身にもなれよ。このツンデレめ」
「わけわかんねえし。…呼んでねえし」

うそ。本当はずっと待ってた。こんな真冬の公園で薄っぺらいコートいちまいしか着てない俺が夜を越せるわけもなくて所持金は千二十円マイナス百二十円でたった九百円ぽっちで漫喫にだっていけなくて、このままじゃ死ぬのかもってちょっと思ってた。 でもどこに行く気にもなれなかったのは、こうして息を潜めていたら、こいつが見つけてくれるんじゃないかって思ってたから。

「呼んだじゃん」
「呼んでない…」
「呼んだ。テレパシーで」
「ばっかじゃねえの…」

やっぱりこいつ頭湧いてる。知ってたけど。ふつうの人間はテレパシーを受信したりはしない。しかもこんな素直じゃない人間のひねくれたテレパシーなんて。

「終電なくなっちゃったかな ー、ちょっと遠いけど、歩くか」
「…、なに、いってんの」
「タクシーよぶ?ちょっと待って俺サイフ持って来たっけ」
「そうじゃなくて!」

こいつがなにいってるかなんてわかってた。三駅向こうのきったねえ安いアパートまで俺を連れてこうって思ってることくらい。けど、だけど俺は。

「…いい、帰る」

これ以上こいつの迷惑にはなれない。血の繋がってない俺の義理の母親が、家を出た親父によく似た俺を探して半狂乱になっているはずだから。きっとこいつのバイト先までまた押しかけて、狂ったようにあることないこと吹聴するに決まってる。涙ながらに警察に訴えたって、あの女の演技にあいつらはころっと騙されるだけだ。あの女は狂ってる。頭が、おかしい。それは確実だった。訳の分からないうわごとをいいながら、俺のことを殺そうとする。

まだ父がいたころのように、猫なで声で媚を売られてしなだれかかられたほうが、訳の分からないことを叫びながら包丁向けられるよりはいくばくかはましだ。昨日はついていなかった。やっとあの家から逃げ出して一人暮らしをはじめたのに、ゆうべ家に帰ったらあの女がいたのだ。心臓が止まるかと思った。なにも持たないで逃げ出して、あの女の影に怯えながら街をさまよって、疲れ果ててここで休んでいたら、これだ。

本当は、夜が明けたら家に帰ろう、と決めていたんだけど。背中に背負ったカバンを妙に重くする鈍い銀色をあの女に突き立てて、それでぜんぶ終わりにしようって、そう思ってたんだけど。

「行こ。」
「…だめだ、ってば」
「言ってなかったけどさ、あの人俺んちに来たよ」

俺の腕を掴んだ手のひらを、振り払おうとした手が止まった。呆然としてあいかわらず笑ってるお人よしの馬鹿を見上げる。ほんのちょっとだけ苦笑いしてから、あいつは俺を立ち上がらせた。

「おまえが匿ってるんだろうって。だからお前は、俺のところにまっすぐ来なくて正解だった」
「っ…!ジン、けが、怪我は!?」

目の前でこいつがあの女に花瓶で殴られた記憶がまざまざと蘇った。息が出来なくなる。思わずその手を掴んで叫んだら、ジンはますます苦笑いを深めるだけだった。

「大丈夫大丈夫。…そんでさ、それが今朝の話なんだけど。叔父さんに無理いってさ、マンション一部屋貸してもらったんだよな。そこならあの人にもばれてないし、お前のバイト先とも近いし」

だから大丈夫、とジンは笑った。息が出来なくなる。もうこいつに迷惑をかけるのはいやだったのに。だから、だからつらかったけどなんにも言わないで引っ越して、それからずっと息を潜めていたってのに。

「叔父さんはさ、あの人から逃げるには国内じゃちょっと危ないかもって言ってたよ。だからさ、遠いけど海外いって結婚しよっか。そしたらもう戸籍も調べられないし、大丈夫だろ?」

そしてなにいってんだこいつは。なんでそんなに面倒ごとばかり背負いたがるんだ。あのまま俺のことなんて放っておけばふつうに暮らしていけたのに。マゾなのか。腕を引かれるままに歩き出しながら、俺は呆然とその背中を見ている。

「…おまえ、ばかなの?」
「ひっでえ!ちゃんといろいろ調べたんだぞ!」
「ますますばかだろ!」

辿り着いた結論がそれかよ!まずいい加減幼馴染と縁を切るって最短かつ簡単な方法に気づけ!言いたかったけど声にならない。嗚咽を漏らさないようにするだけで精一杯だった。ばかじゃねえの、ほんと。ばかだ。…そんなんだから好きになるのに。俺にそんな資格ないってわかってて、俺はお前を不幸にするってわかってて、好きになってしまうのに。

「でさ、どうなん。俺のプロポーズは」 「…プロポーズだったのかよ」
「指輪はちょっと待ってください」
「…やっぱ、おまえバカだわ」

立っていられないくらいボロボロ泣いている俺の背中を、ぽんぽんとあいつが叩く。お前はほんと、お人よしすぎんだよ。ばか。

「…だめだ」
「やっぱ指輪なきゃだめ?」
「そうじゃなくて!」

涙が喉に詰まってまともに声が出せない。なんでこんなばかなんだろうこいつ。俺に、ほかでもないこの俺に、こいつの可能性ってやつを全部潰させる気だなんて。覚えてないのかな、こいつ。高校の進路希望調査に思いっきりマッキーでヒーローになるなんて書いて職員室に呼び出されて、わりとくわしい計画表を提出して認められちゃったくらいに色んな可能性のあるこいつの未来は、俺にとって何があっても守るべきものだった。俺の希望はこいつだったから。

俺はこいつを不幸にしちゃいけない。こいつを守れない俺が、こいつと一緒にいちゃいけない。それは俺の胸に根強く根付く思いだった。こいつのことが大事だから、だからこそあの女が生きている限り、俺はこいつといっしょにはいられない。…いちゃいけないんだ。
 


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