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かれは悠里の腕が解放されるまで、引き絞った弓矢の照準をぴたりと黒服の額に合わせたまま微動だにしなかった。…練習用の弓とはいえ、この距離で頭を狙われたらただでは済まない。秋月には、微塵も躊躇はなかった。そんな、声をしていた。

「悠里」

秋月がそして、悠里の名を呼ぶ。かれが立ちあがり、自分のそばまで寄ってくるのを、秋月は待っていた。そろそろと男たちの腕が悠里を解放する。

またその声に違和を感じながらも、悠里は慌てて立ちあがってその傍まで寄った。おそらく悠里を見かけて飛び出してきたのだろう、とは思ったけれど、かれがこんなとんでもないことをするなんて思ってもみなかったから、悠里は酷く驚いた。

かれは弓道部の主将だ。弓道とは、決して人に弓を向けていい競技ではない。こんなところを誰かに見られたら、ただではいられないだろう。秋月、と震える声でその名を呼ぶと、秋月はけれど、静かに笑うだけだった。その手はまだ、鋭い鏃を前にして、矢を番えたまま。

その横顔は、違う。
悠里の知っている、秋月では、ない。

あの、明るい兄貴分のようなかれの姿は、どこにもなかった。その瞳は悠里を映している。…それはあの悪夢を見た夜の、激情のかけらを悠里に見せたときのかれと、同じ色をしていた。

燃えるような激情。その瞳には、ありありとそれが浮かんでいる。

「今すぐ警備を呼ばれたくなかったら、さっさと行け」

その言葉を合図に、じりじりと引きさがる様子を見せていた男たちが早足でフェンスの外へと走り去っていく。その音が聞こえなくなるまで秋月は微動だにしなかったし、悠里もただ、その少し後ろで立ちつくしているだけだった。

「…あき、つき」
「…ん。大丈夫かよ?」

ようやっとその弓を降ろし、かれは悠里を振りかえった。いましがた練習をちょっと抜け出してきました、というような格好で、そんなふうな声色なのに、悠里はそれ以上何も言えなくなってしまう。

―――秋月は、なにか、悠里に隠している。

秋月は知っている。悠里が、悠里のほんとうが『氷の生徒会長』ではないことを、知っている。
それは予想ではなく、実感だった。違和を覚えつつ、薄々は感づきつつも認められなかったその事実は、もう目を逸らせないほど近くにやってきている。立ちつくしたまま、目を瞠って動けない悠里に、秋月は静かに笑いかけた。

「ほら、後ろ向け。制服、ひどいぞ」
「え、…あ」

黒服たちに地面に押さえつけられたせいで、制服は砂や草で汚れてしまっていた。反射的にのろのろと後ろを向けば、肩に手をかけた秋月がぱんぱんと背中のごみを払ってくれる。自分でも適当に草やなんかを払いのけながら、悠里は熱いくらいの秋月の手の感覚にひどく戸惑った。

こわい。

「…ッ」

秋月の口から、なにかを聞くのが、どうしようもなくこわい。

「…なあ、なあ、秋月」

けれど悠里は、口を開かなければいけなかった。悠里は、歩き出さなければいけなかったから。そのままでいいそこに居ればいいと言われながら優しくされて愛をされて恋をされて、それに甘んじることが出来ないくらいには、悠里は周りの人間のことがすきだった。今が楽しくて、しあわせだった。

だから。

「…お前は、誰なんだ……?」

秋月は、悠里のことを知っている。悠里が『氷の生徒会長』を演じていることも、悠里がその下で何を思っているのかも。悠里が、愛や恋を恐れていることも。あの夢の事ですら。―――秋月は、知っている。

秋月は、「面倒を避けるために生徒会長の親衛隊の副隊長をやっている」わけでは、決してない。見てしまったのだ、悠里は、かれのその仮面の下、その素顔を。

その激情。あの、切なく悠里を呼んだ声。垣間見た表情。秋月は、悠里を知っている。

「…お前の親衛隊の、副隊長だよ。悠里」

僅かに表情を暗くして、けれどどうやら悠里の制服を整え終えたらしい秋月は、そうやって殊更明るく言った。悠里はどうすればいいか分からなくて、けれど何かをしなければいけないことだけは知っている。

「秋月!」

悠里から身体を離し、背を向けてしまったかれに追い縋る。その腕を掴むと、秋月は困ったように首だけで悠里を振り向いた。

「……」
「………」

居心地の悪い沈黙。秋月は、どこか悲しげな目でじっと悠里を見つめていた。悠里よりもいくらか背の高いかれの瞳が、ふいに悠里から外して逸らされる。

「…お前は、俺なんかしらない」

ぽつり、と秋月の声が、遠くから、まだ練習を続けているらしい野球部の掛け声に紛れて零れた。ひどく小さい声だったから、悠里はそれを聞きとるのにひどく苦労をする。

「…」

悠里に愛も恋も与えない、かれ。この学園で唯一、『この学園らしくなさ』を与えてくれた、その声。悠里の弱さを知る、ひどく居心地のいい声。かれの辛そうな表情を、見るのは辛い。

「…知らなくていい、悠里」

強く居たいと思うのに、いつも支えてくれるひとたちを支えたい守りたいと思うのに、悠里は空回ってばかりだ。
正体の見えない恐怖に怯えてばかり、逃げ回ってばかりで、立ち向かおうとしては失敗をしている。この学園で過ごした日々は確実に悠里を強くしているはずなのに、それでも駄目で。

そんな自分に嫌気がさして項垂れた悠里の肩に、秋月の手指はひどく迷ったすえに触れる。怯えるような、そんな触れ方だった。そしてそれに弾みをつけて強く悠里の肩を握った秋月の指先は、震えているようにすら思える。

「…、愛をするのは、怖いんだ……」

え、と思って顔を上げた悠里の唇に、秋月は何の温度も灯らない、触れるだけのキスをした。








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