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13



「郁人、起きろ」

翌朝、といってもまだ窓の外が白み始めたような時刻のことだったが、ふいにそう名を呼ばれ揺り起こされ、郁人は緩慢に目を開けた。そばでは腰のホルダーに剣を下げた洸が郁人に上着を放ってきていて、寝ぼけていた郁人は顔面でそれを受け止める羽目になる。

「なんだ?」
「女の悲鳴が聞こえた。…あれで寝てられるおまえは鈍すぎる」

洸はそういうと、郁人を急かして部屋を出た。上着に腕を通し目を擦りながら、けれど意識は覚醒したらしい郁人がもどかしく部屋に鍵をかける。

「おい、早く」
「罠かもしれないだろ。戸締りは大事だ」

寝起きでもまったく冷静な郁人にそう言い返され、洸は黙った。罠かも、という発想が出てくるのは物語に慣れたかれらしい、とは思うのだけど、ちょっと感心していたら身を翻してさっさと飛び出して行ってしまうのはなんとも無鉄砲で、相変わらずというか。

「どこからだ?」
「わからなかった。そう遠くはなさそうだが…下かな」

三階にあるのはこの館の主人たちの自室だし、殺人現場でもある。近寄りたがる人間はあまりいないだろう。

「あそこかな」

エントランスに降りる螺旋階段のしたには、ちょっとした人だかりができていた。はっとして顔をあげ、郁人は洸を振り向いて先にいけという合図をする。こう言った場合は、やはり探偵が先にいくのが定石なのだろうか。

「なにがあったんだ?」

ひとだかりから少し離れてへたり込んでいるメイドがいた。さては先ほどの悲鳴は彼女かな、と思って、洸は彼女に声をかけてみる。恐怖に引きつった顔をした女性は、それでも震える声で答えてくれた。

「応接間で人が、人が死んでいて…」
「なんだって?誰です、どのように」
「男の方です、たぶん探偵の…、部屋の中央に、うつ伏せで倒れていて、血が…」

郁人は洸と顔を見合わせ、かれにひとつ頷いてみせる。意志を汲んで一足先に人混みをかきわけたかれを見送ってから、郁人は再び口を開いた。

「すでに息は?」
「ございませんでした。かのじょの悲鳴で私が駆けつけました時には、もう冷たく…」

そういったのは、洸と入れ替わりでエントランスに抜けて来た老執事だった。かれの方が冷静そうだと判断をして、郁人は質問をする相手を変える。

「どなただったんですか?」
「ええ、ジェイキンス探偵でした。…おそらくは胸をナイフで一突き、旦那様のときと同じ手口です」

かれか、と郁人は昨日話した探偵の顔を思い返した。助手はいないと言っていた。おそらくはゆうべ遅くまで探索を続けていたのだろう。或いは知ってはいけないことを知ってしまったか。

「休ませてあげてください。教えてくださってありがとう」

郁人は老執事にメイドを任せそういうと、洸を探して大広間のなかに入った。探偵たちが取り囲んでいるせいで、かれの遺体は見えない。洸を見つけ、かれのそばまで寄っていった。

「先生、なにが…」

なんて口先でそれらしい芝居をしながら、素早く遺体に目をやる。うつ伏せだったという遺体はすでに顔の確認のためか仰向けにされていた。息のない蒼白な顔は死後硬直が始まっているようだ。老人と違うのは、胸にナイフが突き立っていないことだろうか。どす黒い血の痕が広がったシャツが凄惨だった。なんてことだ、とか、何があったんだ、とか、周りで探偵たちがざわめき合っている。郁人は洸の腕を引き、口元を押さえて小さく嗚咽を漏らしてみた。

「っ…」
「見ない方がいいといったのに。…ほら、来い」

洸もそれなりに板についたらしい演技で、吐き気を催したふりをした郁人の方を抱く。そのまま郁人の足が進む方へとかれを連れて行って、顔を覗き込んでやるふりをして耳打ちを待つ。郁人は真剣な顔をして、一点に目を凝らしているようだった。

「暖炉のそばをみろ」

そんな小芝居をしなくとも洸たちに注意を払っているものはいなさそうだったが、犯人があの中にいると限定されているわけではない。郁人は、あくまでも死体を見て気分を悪くした助手を装うようだった。しゃがみ込んだ郁人のとなりに、洸も膝をつく。

「傷の位置はどうだった」
「うつ伏せに倒れていたから、刺されたときの角度はわからねえ。ただ、どうにも真正面からじゃねえ気がするんだよな。抵抗したあとがない。変な感じがする」

ごくごく小さな声で会話を交わす。目を凝らして暖炉のそばをみていると、不審に気付いたのは洸だった。飾り細工のついた暖炉の前、ほんのわずかに違和感がある。

「拭き取ったあとはあるが、殺害したのはあそこだろう」
「暖炉の目の前、か。暗号をといていた、というわけかな」

光の下でわずかにその色を沈ませている、紅い絨毯。わざわざ部屋の中央まで死体を動かしたということは、間違いなく暗号を解かれることは犯人にとって好ましくないということだろう。

「部屋に戻ろう。話がある」

頷いた洸が、郁人の肩を強引に抱き起こした。具合の悪くなった助手に辟易をした探偵の顔をして、足早にエントランスを出る。

「郁人さん、どうかしたんですか?」
「…血をみて具合が悪くなったらしい。部屋に戻るよ」
「わかりました。…こんなことに巻き込んでしまって、ほんとうに申し訳ありません」

老執事に伴われたミシェルとすれ違う。顔色が悪いのはかれもだった。郁人は口元に手を当てえずきながら、殊勝にすみませんと言っている。ふたりが広間を出てエントランスの階段を上がっていく最中、ミシェルを追いかけるらしいケイとすれ違った。

「…あれがケイか」

洸が間近でかれを目にするのは初めてだ。なんとなく違和をおぼえながら正体を探せなくて、洸は早々に諦めた。部屋の鍵を郁人に手渡され、鍵穴に突っ込んで開く。部屋の扉を潜ったとたん、郁人はすぐに元気になった。

「動いたな」
「ああ。…暗号に、なにが隠されているんだか」

それにしても弱々しい助手の役が似合うこと、と思いながら、先程の死体をみて思ったことをかれにどう伝えるべきか少し悩む。

「なあ、郁人。死体のことなんだけど」
「ああ。なにか気づいたのか」

洸の隣に寄って来た郁人が、僅かに表情を輝かせる。頷いて懐からナイフを取り出し、その刃をかれに見せてみた。

「普通のナイフは、これみたいに両刃だろう? きのうのじいさんの胸に立ってたのもそうだった。でも今日は違った気がする。傷口の形が、もっと複雑だった」

それを聞いて、郁人はじっと考え込むそぶりを見せた。眉間に指を当て、目を閉じうつむいている。ぱっとかれが顔を上げたとき、その表情はどこか強張っていた。

「こんなふうにか?」

シャツを捲る、その腕。腹部にはまだ引き攣れた傷跡がのこっていた。さきの政変で郁人が受けた、ナイフの傷跡だ。

「!」

はっとして洸が息を呑む。あの僅かな違和感。それはもしかしたら、一度あの傷跡をみたことがあるせいだったのかもしれない。

「それだ。…傷が深くなるナイフ、多分おまえを刺したのと同型状のやつ」
「きのうのうちにシオンを呼んで、正解だったかもしれないな」

そっと傷跡を手のひらで撫で、郁人は嘆息をする。もしこの傷が腹でなく胸だったなら、間違いなく死んでいたということだ。肝が冷える。

「いよいよ、わけがわからなくなってきた」

郁人が苦笑いしていったセリフに、洸は思わず失笑する。かれがここまで弱気になるなんてらしくもない。…自分がどうにかしないと、と思って館の地図を手にとってみたはいいものの、わからないことだらけだった。










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