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12



「どうだった」

ラインハルトは調書を検め終えたらしい部下に近付くと、そう声をかけた。ひとり宿で黄昏ていたかれは、はっとして振り向く。

「あ、ラインハルトさん。…おかえりなさい」

かれは今まで、長閑な街では前代未聞の三人もの殺人事件を調査する陣頭指揮をとっていた。かれの判断でさっさと宿に戻されたシオンは、こうして現場の状況とにらめっこをしていたのだけれど。

…シオンが人の気配に気付かない、というのは、とても珍しいことだった。ラインハルトは僅かな違和感を覚えながら、窓際の椅子に腰掛ける。いつもなら放っておいてもきゃんきゃんじゃれついてくるシオンがぼうっとしたままなので、ラインハルトはひとつため息をつく。

「シオン、コーヒー」
「あっ、は、はい!」

慌てたように立ち上がってバタバタと飲み物を用意するシオンの背中を見るでもなしに見て、ラインハルトはかれが放っていった書類を拾い上げた。富豪の子らだというかれらが浮気相手の種だということはラインハルトの手許にある資料にも明らかだし、かれらの荷物に拳銃があったことも先ほどの郁人との通信に矛盾はしない。

あちらではどうにも大変な騒ぎが起こっているようだったが、橋が落とされ断絶された交通網では招かれざる客たちだったらしい探偵どもを保護することも不可能だ。郁人たちのほかにどのくらいの探偵が生きて帰ってくるのだか、と物騒なことを思いながら、ラインハルトは隣に腰掛けた部下をチラリと見る。

「おい」

いつも粉っぽいくらい濃いコーヒーは、なんだかひどくふつうの味で、かえって拍子抜けしてしまう。心ここにあらずといったシオンは、真紅の瞳で無感動にラインハルトを見返していた。

「しっかりしろ。どうした?」

軽くかれのほおを張ると、ぱちりとその目が瞬く。そしてはっとした顔になって、シオンは小さく笑った。

「…えへへ」

自嘲気味なその笑顔に、いつもなら胸に飛び込んで来たシオンを容赦なくぶん投げるラインハルトも扱いかねて黙り込む。ラインハルトの胸にすがったかれの背中が震えていた。コーヒーカップに口を付け、ラインハルトは沈黙する。シオンはラインハルトがこういう性格だと、とっくにわかっているからだ。

「凶器のナイフ、なんですけど。たぶんこれと同じ形状です」

ぎゅっとラインハルトの背中に抱きついて落ち着いたらしいシオンが、体を離してラインハルトに見せたのは、刃渡り十センチほどのナイフだった。 小振りだがよく見ると刃の形状が波打っていて、刺されたらさぞ痛いだろうというものである。

「ほんとはもっと大きいでしょうけど。これは郁人さんが刺されたときのやつです」
「…なるほど」
「はい。…あの、ごめんなさい。僕、変ですね」
「元からだろう」
「ラインハルトさんがちょっと頭撫でてくれら治るかな、なんて…」

発言を完全に無視されたラインハルトは解せない顔をしていたが、こんなシオンを相手にする方が疲れそうだったのでため息をついてそれ以上の追及をやめた。ごん、とそのあたまに手刀を落とす。それから申し訳程度にそれを左右に動かすと、シオンはそれでも目を細めて笑った。

「なんかきょう、ラインハルトさん、変なの」
「変なのはお前だ、いつも通り」

ひどい!と言って笑ってから、シオンはそっと息を吐いて話し出した。厄介なことに巻き込まれることに長けた探偵とその助手はうまくやっているだろうかと思いながら、ラインハルトはその言葉を待つ。

「犯人はほぼ間違いなく僕と同じあの部隊の脱走者でしょうね。そんなのがたくさんいるわけないから、犯人はひとりだ。橋を爆破したのもたぶんそいつでしょう」
「そうか」
「でも、なんで、誰がこんな事件に首を突っ込んだのかなって思ったら。ちょっと、昔のこと思い出しちゃって」

でもラインハルトさんが撫でてくれたから忘れました!と安上がりなことこの上ないことをいって、シオンは笑ってみせた。もう一つ嘆息をして、ラインハルトは郁人が言った屋敷にいる人間のリストを見る。名前は偽名だろうから、参考にはならなさそうだった。

「いけるか。…もしかするとそいつと出くわすかもしれん」
「はい」

真紅の瞳がまっすぐにラインハルトを貫く。あの日雨の中震えながらラインハルトを見上げた小柄な影の、ぎらつくような傷付いた瞳とそれは、似ても似つかないいろをしていた。ラインハルトへの確かな信頼に裏打ちされた、それ。

「…前言撤回だ、行って来いシオン」

ラインハルトは表情ひとつ動かさず、そう言い直した。口元を綻ばせて頷いたシオンが、確かに伝えます、と胸を張る。

「早く戻れ。…時間外手当は弾んでやる」
「僕、そんなのよりラインハルトさんにいい子だって褒めてほしいです」

やっぱりいつも通り変じゃないか。ラインハルトは呆れてため息をつき、意気揚々と宿を飛び出して行こうとするシオンの背中をひとつ蹴飛ばしてやった。

齎された静寂の中、残されたコーヒーに口をつける。普通の味のはずなのに、どうも味気なかった。










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