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その日のうちに、アル…、アルベルト王は、俺を後宮に据えるなんて発表した。それからのことは小さなパン屋のせがれには荷が重すぎていまいち覚えてない。あまりに非現実的すぎて、何度も何度も夢だと思ったくらいだ。とりあえず放送の次の日にはケロッとした顔で戻ってきた兄貴は、やっぱりあとで殴る。

「なあ、じゃないや、あのう、王様?」

どうやらオヤジとお袋に挨拶してきたらしい(はしゃいだお袋の声がここまで聞こえる。女は強い)アルベルト王に、俺は所在なく声をかけた。変装道具を再び装着しているアルベルトが、首だけ俺を振り返る。やっぱりパン屋の厨房が似合わない男だ。

「…他人行儀だな。いつも通り、アルでいい」
「じゃあ遠慮しないぞ、アル!どういうつもりだよ、何がどうなって俺が後宮なんだよ!」

まだオーブンのところで現実を受け入れていない兄貴が、僅かな沈黙のあとに飛び上がって飛んできた。勢いよく俺の頭を下げさせる。のと一緒に、自分まで凄まじい勢いで頭を下げていた。

「すすす、すみません!すみません!なんて無礼な口の聞き方を!」
「兄貴、痛いんだけど」

その腰骨を蹴っ飛ばして、俺は腕を組んでアルを睨み付けた。どうやら鼻眼鏡をつけおえたらしいアルが、切れ長のひとみで俺を見る。似合ってるところがシュールだ。

「答えろ、アル」

アル自身がいつも通りといった以上、俺に使い慣れない敬語を使う理由はどこにもない。親しい友人だと思っていた男の後宮に据えられるワケのほうがずっと重要だ。

「…好いた相手をそばに置きたいと思うことに、理由がいるのか?」

いや、そりゃそうだけど。お前今までそんな素振りみせたことあったか?ないだろう!俺はまくし立てたかったんだが、腕を掴まれて引っ張られたせいでそれは実行に移せなかった。アルは思ったよりずっと強い力で俺の腕を引く。身構えていなかったせいで抵抗のひとつも出来ずに、俺はアルに引っ張られるまま厨房から引きずり出されていた。

「良かった」

アルが呟いた言葉に、俺は思わず目を見開く。目の前にいるのが、俺のよく知るアルだって、何故かそんなふうに思った。

「…は?」
「エリオットらしくて、良かった」

ふいに、俺は頭のどこがが冷静になるのを感じる。この男はまだ若い。即位したときはたった16才だったはずだ。それからそう長い時は経ってないけれど、評判はすこぶる良い。賢王とまで呼ばれている。なにも、先王の愛人とその息子を立てずとも、賢王が王妃を迎え幸せになれば―――…。

おばちゃんたちの噂話のなかで、何度も議題に上がっていたテーマだ。先王の愛人、すなわちアルベルト王の次の王様の母親は生まれがあまりよろしくないらしい。だから弟王子が現れたのはかれが5歳になったときのことで、しかも母親は公表されなかった。そんな血が混ざった王なんて、と否定的な意見もあるわけだ。全部おばちゃんたちの噂話だけど。

おばちゃんたちも、俺も何度も言ってたもんだ。弟に気なんて使わないで、さっさとかわいい女の子と結婚しちゃえばいいのに!だけどアルベルト王はそうしなかった。

そのタイミングで、跡継ぎ産めない男である俺を後宮にっていうんだぜ?
それって、つまり。

「……ごめん、アル」
「…エリオット?」

この男は、そういうわけで俺という後宮を作りたかったのか!俺はなんだかすべてを理解した気になった。おばちゃんたち、ありがとう!
これなら納得できる。この、不自由なんてないきれいな男がどうして俺なんかを後宮にしようとしているのかも、ぜんぶ。アルはつまり、納得させなければならなかったのだ。俺やおばちゃんみたいなひとたちを、みんな。この方法はかなり強引だけど、まあ、納得出来なくもない。

「俺、気付いてなかった!そういうことなら手伝ってやるよ!」

ぽかんと間抜けな顔をしたアルが、ちょっと黙り込んだあと、なんのことだ?といった。俺はこの数日間で地に堕ちていた俺のなかのアルベルト王の評価が鰻登りに回復していくのを感じながら、力の抜けたアルの手を払って力強くそれを握る。まだなにがなんだか、って顔をしているアルに、俺は自分でもかなりいい笑顔になってるのを自覚しながら言ってやった。

「お前は国のことを考えてるんだもんな!そういうことならこっそり打ち明けてくれればよかったのに」
「エリオット、いったいどういう解釈を」
「みなまでいうな!そうと決まれば色々準備しなくちゃな!」

そうまで頼られたんじゃ期待に答えざるを得ないだろう。そうだ、さっき兄貴を殴ろうとした麺棒やら、ほかにパンを焼く道具を持っていこう。城でだってパンは作れる。それじゃレシピを書き写さなきゃならないな。明日までにやらなきゃいけないことをたくさん見つけてしまった。

だけどさっきまでと違い、俺の胸に燃え盛るのはアルを助けるっていう使命の炎だ。乗りかかった船、困ってるヤツに頼られたらなにがなんでも助けてやる、それがこの下町のルールってもんなわけだし。

「じゃ、明日からよろしくな!」

どーんと胸を張って俺が言ったのに、アルの顔は浮かなかった。俺が首を傾げると、アルは苦しそうに眉を寄せる。美形なだけにそんな顔も様になるのがなんかむかつくぞ!同じ男なのに!

「エリオット、俺は」
「アルベルト様!御政務を投げ出されては困ります!」

なにか言いかけたアルを遮ったのは、勢いよく店に飛び込んできたじいさんだった。だけどなんか身なりのいいじいさんだ。アルに駆け寄ってきて、鼻眼鏡を外す。似合ってたと思うんだがなあ。それでもってじいさんは俺を見て勢いよく頭を下げた。なんかとりあえず俺も頭を下げておく。

「エリオット様、明朝迎えに参りますので、今日は失礼いたしますぞ!」
「失礼いたしてください!」

店のまえには、馬車?が横付けされていた。すげえ。じいさんはじいさんとは思えないバイタリティでアルに口を挟ませる間もなくかれを馬車に詰め込むと、最後にもいちど俺に礼をして土煙を上げて去っていった。すげえ。

「…エル、アルベルト様は?」
「帰ったよ」

腰を撫でながら、どうやら隠れていたらしいオヤジが恐る恐る顔を覗かせた。
またぎっくり腰でもやられたら目も当てられない。みたところ大丈夫そうだと判断して、俺はなんかしらないけど太陽を拝んでるオヤジに生ぬるい目線を向けた。

「…でもよ、エル。ほんとに大丈夫か?」
「なにがだよ」

声をかけてきたのは兄貴だった。厨房から顔を覗かせた兄貴を振り向くと、こっちも腰を押さえている。あれは兄貴が悪いとおもう。

「後宮っていったら、様々な欲望や陰謀が渦巻く魔の園だろ?」

…国民にとって後宮ってのは、やっぱりそんなイメージしかないらしい。まあアルの後宮は存在してないみたいだし、俺はそうそうそんな陰謀やらに巻き込まれることはないと…信じたい…ところなんだけどなあ…。

「さっきまで行け行けっていってたのはどこのどいつだよ」
「いやあ、やっぱり血を分けた弟は可愛くてなあ」
「白々しいわ!」

もう一度腰骨に跳び蹴りをしてやってから、俺はレシピ帳を書き写すという任務を思い出してさっさと店から引っ込んだ。慣れ親しんだこの店を、この下町を離れるのは寂しかったけど、城はそう遠くない。アルに言えばすぐ帰ってこれるだろうし、一生後宮ってことはないはずだ、多分。そんな希望的観測と、あとは噂話のなかの存在だった城に行くってことにちょっとワクワクを感じつつあった俺は、なにか言いたそうだったアルの物憂げな顔なんてお構いなしに使命に燃えて店での最後の1日を終えたのだった。




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