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「…ごくろう」

そうやって無事に部屋に辿りついた洸を待っていたのは、さっきと同じ体勢のままで考えごとをしている郁人のそんなねぎらいの言葉だった。かれは洸の到着を待ちわびていたかのように振り返ると、布団の上に放り投げられたマザーシップを手にとって目を眇めている。

「俺がそれを手に入れた時、だれかが三兄弟の部屋に向かって来てたぞ」
「…何?誰だ」
「知らん。逃げた」
「……どうやって」

なんとなく新しいおもちゃを前にした子供のようだ、と思ってそれを眺めていた洸が口を開いたら、郁人は勢いよく顔を上げた。洸の返答に目を丸くして、ひくく誰何をする。

「窓から。多分バレてねえよ」
「…おまえ、ほんとうに騎士学校で何を習ってきたんだ」

郁人はしんそこ呆れたようにそういうと、けれどくすぐったそうに笑っていた。教えてもらってねえし百パーセントお前のせいだぞ、と言いたかったのだけれど、洸は言っても無駄だと悟って止める。

「たんに頭の切れる他の探偵か、それともこの事件の鍵を握る人間か」
「…失敗したな。顔見ときゃよかったか」
「いや。お前の行動は正解だった。…もしも後者なら、戦闘は避けられなかったろうからな」

盗聴器の表面をするりと撫でた郁人が、そうあわく吐き出した。かれの亜麻色の瞳が持ち上がり、じっと洸を見据える。長い睫毛に彩られた瞳は、安堵を映し出しているように洸には見えた。

「負けねえし」
「…そんなことわかってる」

拗ねたようにいった洸にちいさく笑って、それでも郁人はほっとした表情をしたままだ。それだけかれのなかで、この事件の犯人を恐れる気持ちが大きくなっているということだろう。なんとなく面白くない気持ちになりながら、洸はベッドの上にごろんと横になった。

郁人はといえば、さっさと盗聴を開始しているようだ。危なっかしくもない手付きでそれを操作し、地図の上に、盗聴器が仕掛けられていると思しき場所の印がつけていく。声だけでこの屋敷の人間の名前と一致させるのには、なかなか骨が折れそうだった。その手元を覗き込むとけれど迷った様子もなく人物の名前が書きこまれていくから、さきほどの会話のなかで郁人が探偵たちの間を走り回ったのはさっそく生かされているらしい。

「あとは?」
「ひとまずのところは、探偵たちが集めて来た情報をまとめるだけだ。暗号についても考えなければならないな」

郁人がそういいながら地図の上に丸をつけたのは、応接間にある暖炉だった。本来なら今頃資産家の老人から説明を受けているはずだったその暗号は、もはや他の誰の気にもとめられていない。

「今の状態は、ミシェルに不利すぎる。遺産はすべてかれの元へいくし、それに異議を唱えていた邪魔者は死んだ。得をしたのは、ミシェルなんだ」

けれど、と郁人は息を吐く。盗聴の合間に聞こえてきたミシェルと老執事の、葬式の手配についての会話に耳を傾ける。どうにもかれが犯人だとは、どうしても思えなかった。

「おれは、かれではないと思う。現に三兄弟を一人で殺害するのが出来そうには見えない。遺産だって、そう遠くない未来に手に入ったはずなのに」

洸はじっと郁人の言葉を聞いている。かれの翡翠のいろをしたひとみが、雨が打ち付ける窓へと向けられた。

「探偵じゃなさそうだって、いってたよな」
「ああ。そもそも単独犯なのか、複数なのかもわからない。複数であれば共犯者が三兄弟を殺し、この館の犯人が老人を殺したのだとも思えるが、誰がなんのためにやったのかはさっぱりだ」

郁人の視線も、一緒に窓の外に向けられた。雷が鳴り響く。嵐はまだ、止みそうにはなかった。はあ、とかれのくちびるが、嘆息。

「かれに面倒をかけたくはなかったが、お手上げだ。あまりにも情報がなさすぎる」

まさかこんなことになるなんてな、と言いながら郁人が取り出したのは、拳大の魔石だった。あわい黄色の輝きを放つそれに見覚えがなくて洸が首を傾げると、郁人が簡単に説明を寄越す。

「ラインハルトに連絡をいれる。シオンなら、こちらにも来られるだろう」
「…まあ、橋が落ちてても、あいつならなんとかしそうだな」

さきの政変以来、シオンは見回りのあいだによく探偵事務所に遊びに来る。かれの超人的身体能力なら、きっと郁人の望む情報を運ぶことも容易いだろう。

郁人が魔石を介してラインハルトと連絡を取るあいだ、洸は郁人が書き込みをいれた地図をざっと眺めてみた。ミシェルに、メイドが二人に、執事に、庭師。コックがひとり。あとは通いの奉公人らしい。従って犯人はこの中にいるらしいということになってくる。

遺産分与の争いについても知っている人間ばかりだ。誰が見てもミシェルはこの騒ぎで、大金を得るための要素をすべて手繰り寄せた運の良すぎる青年である。

「すまないね、それでは明日」

そういってどうやら交信を終えたらしい郁人が、洸の手元を覗き込んだ。なにか変なところがあったか、と聞いてくるのを、わずかに逡巡してから口に出す。

「ミシェルでないなら、誰なのかと思ってな。なんで三兄弟とじじいを、両方殺したのかって」
「そこなんだよ。明らかに利害が一致していない。言っては悪いが三兄弟が老人を殺してからでも、遅くはないはずだった。この館の人間が犯人であるのなら、そちらのほうが大義名分も立つ」

やはり外部に内通者がいるのか、とつぶやいた郁人は、そうそうに思考を放り投げたらしかった。ごろりとベッドに横になり、痛み止めの薬を飲み下す。

「今日のところはお手上げだ。明日は、暗号を調べよう」

ああ、と答えて、洸は部屋の電気を落とした。雷だけが時折部屋を白に染め上げる。窓に寄ってカーテンを閉めた。窓の向こうには、天然の要塞が聳え立っている。

「おやすみ、洸」
「おう。おやすみ」

一足先に眠る郁人に声をかけ、洸はソファに座ってランプをつけた。昔ながらの、油圧式ランプである。あたたかなひかりに手元を照らされながら、洸は砥石を取り出して剣を砥いだ。海の国の伝統工芸品でもあるこの剣は騎士にとって誇りそのものであるし、洸はなによりこの斬れ味と手に馴染んだ振りごこちを気に入っていた。物騒な事件であるから、準備をしておくに越したことはない。

洸が携帯しているのはこの長刀だけではない。ナイフと呼んで差し支えのないサイズのものも、念のために持ち運ぶようにしていた。そちらもついでに研いで、それでなんとなく安心した気持ちになる。

山奥の洋館では、不気味な一夜が更けようとしていた 。









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