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雨上がりの霹靂





乱暴に扉を開けて、部屋に入ってきた男はひどいものだった。確かこの男は今日、新しく始めたとかいうコンビニのバイトに行っているはずではなかったか。それなのになぜ、一般な善良なる市民ならば間違いなく存在を知るはずのない廃ビルの地下二階にこの男がいるのか、説明がつかない。
しばらく、俺は悩んだ。

「…ただいま」

ひどいもの、というのは、その手指から新鮮そうな血が滴っていることをいう。その手におそらくは数十分前まで生きていたであろう人間をぶら下げていること、でもある。男自身は、シャツにすこし血のはねたあとがあるだけだった。使い方を教えてやった銃は、どうやらあまり得意にはなれなかったようだった。やはり使い慣れたナイフが一番だ、とでも言いたげに、どさりととっくに息絶えた男が放り投げられた。コンクリートの床に、血溜りが広がっていく。

次は、血を流さない殺し方を教えてやらなければならないかもしれない。

「…アルバイトはどうしたんだ?」
「ちゃんと、行ったっつーの」

シャツで手を拭った男は、髪を乱雑に掻き上げるとそういってそっぽをむいた。見たくもないのに目に入った死体の顔には見覚えがある。…先日、俺の縄張りに手を出してきた麻薬の密売人だった。

「重くて、そいつしか持ってこれなかった」
「…」
「……ほんとはもっと、やったよ。そこらへんに捨ててある」
「……」
「見たいなら、持ってきてやらないことも、ないぞ…?」

こちらを窺うような素振りを見せて、ちらちらと男は俺を振り向いた。気まぐれに餌をやったら居ついてしまった野良猫は、真っ当な一家の真っ当な末っ子であったはずなのに、俺の飼っているヒットマンの何十倍も役に立つ。
だがそんな一般人を、例えば俺のこの部屋みたいな日の当たらない地下に引きずりこんでしまうのも罪悪感が募ったから、俺はこいつに職を与えてみたりこいつを遠ざけたりと出来ることはやってきたつもりだ。ちっとも役に立たなかったけどな。現に今現在、バイトの帰りに死体をぶら下げて帰ってくるような、そんな男になってしまっているわけだから。

プライドの高い野良猫みたいに、ふいといつも姿を現す男。なあんとひと声鳴いて、それから身体を擦りつけてくるように、こいつはこうしてネズミの代わりの鼠を持って俺のところを頻繁に訪れた。それは俺の命を狙うはずだったライフルを持った男であったり、俺の腕を引いてホテルに入ろうとした、豊かな胸元にハンドガンを忍ばせた女であったりする。今日は、どうやら俺を邪魔しにきた麻薬の密売一派だったらしい。

「…待て、いらん」

俺の気を惹こうとしているのかそれとも褒めてほしいのか、男はいそいそと立ち上がってほんとうに他の死体をこの部屋まで運んでこようとしたらしい。きっと一番見た目のきれいなのを選んで来たんだろうから、それでもあそこで転がっている程度のレベルの死体だ。他のやつらのことを考えただけで気が滅入る。
まだ昼下がりなわけで、俺は肉片なんか見たくない。丁重にお断りすると、振り向いた男はなんで?とでも言いたげな、突き離された子供みたいな顔をした。

「十分だ、おいで」

おのれの業とこの男の無邪気さに眩暈がしたのを無理に押し隠すように微笑んで、俺は腰掛けていた革張りのソファの隣を叩いてやった。なんだかんだ言って甘やかしてほしいらしいあの猫は、寸の間足を止めてから、ふいとまたそっぽを向いた。どうやら他の戦利品を持ってくる気はなくしたらしいと胸を撫でおろしてから、俺は長く息を吐く。

商売柄血の匂いには慣れている。臓物の放つ奇妙な匂いも、死臭も。生まれたときからそばにあったものにいまさらいちゃもんを付ける気はない。

だがこの男は別だ。この男は俺と出会うまで、ごく普通の学校に通い、ごく普通の交友関係を持っていた、ごく普通の一般市民であったはずなのだ。俺と出会い俺を知り、…そして何故だか俺に依存をしてしまったこの男は、何処からか猛獣の牙を生やしてきた。この男を狂わせ、堕としたのは、紛れもなく俺だ。

「…はち、きゅう、じゅう…、ににん?」
「十二人か。…こいつを入れて?」

視線だけは逸らしたまま、ソファに座らず冷たいだろうコンクリートに腰を下ろした男は、俺の膝に頭を寄せてどこか甘えた声で無邪気に指折りなにかを数えていた。間違いなく、今頃この廃ビルを血だまりにしている人間の数だろう。

「ううん…」

甘えた声で返事をした男は、俺の方を見ようとはしないくせに、その全身で俺を感じようと精一杯だ。たったいま十三人の人生に終焉の烙印を押したとは思えない顔で、いまにも咽喉を鳴らしそうな声で、その指通りのいい健やかな黒髪を撫でている俺の手を甘受している。

「…」

忙しく、なる。薄情なもので俺の頭は既に、そこで身体のいろいろなところに銃弾を受けている男のボスとどうやって話をつけようかと考えていた。ここまで派手に暴れたのなら、いっそ目ざわりだった鼠を根絶やしにしてやってもいいかもしれない。部下に連絡を入れようとポケットの携帯に手を伸ばした俺に、寂しげに鳴いた猫はその身体を擦り寄せた。きっと俺たちは寄り添っちゃいけなかったんだ。言い聞かせるにはもう、この猫は育ち過ぎている。













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