main のコピー | ナノ
8



――夢を見ていた。

ずっと昔、ちょうど葛葉と出会ったころの夢だ。頻繁に静馬のところに遊びに来ていた静馬によく似た青年が、何度も静馬に話をしたこと。

「いつか、お前に災厄が降りかかるその時、きっとお前を救おうとする手がある」

いっしょに住んでいた乳母には見えないらしいその青年は、静馬をつれて縁側に腰掛けて干し柿なんかを食べながら、よくそんな話をした。本家に住む兄が陰陽師の修行を始めたことでなかなか会いに来られなくなって、静馬は暇を持て余していたのだ。そんなところに現れた、恰好の話し相手。顔は静馬によく似ているのに、性格はあまり似ていないかれ。ひどく適当で、それでいて人を惹きつけてやまない、そんな魅力のあるひとだったことを、幼心に静馬は記憶している。ちょうど葛葉を家に連れ帰ってきたころから姿を見なくなった、久しく忘れていたあの不思議なひとの夢だった。

静馬はそこで、幼いころのように縁側に座っている。となりにはかれがいて、おんなじ言葉を繰り返している。静馬はそれを心地よく眺めていた。懐かしいなあ、と思いながら、どうして自分が夢を見ているのかも思い出せずにぼうっとしていたのだ。

「―――ほら、静馬」

干し柿を口に放りこんでしまってから、そのひとは立ち上がる。烏帽子をしていい匂いのする高値そうな束帯を着ているから、きっと殿上人なんだろうなあ、とぼんやりと静馬は思っていたのだが、かれはおもむろに静馬を振り向いて微笑んだ。きれいな笑顔だ。

「探しに行っておいで」

かれは何も無いはずの、幼い日の静馬の過ごした家の庭にそういいながら手を翳す。まるで鏡が割れるように、空間に罅が入った。そこからがらがらと崩れていくそらを、茫然と静馬は見上げている。座っていた縁側も干し柿の皿も庭の池も崩れてしまうから、慌てて立ち上がった。微笑みながら青年は、その手から五芳星の方陣を展開させている。見たことがないような大きくはっきりと目視できる五芳星は暗く静まった周囲のなかで、ひときわ異彩を放っていた。

辺りは一面、闇である。

「…貴様、この後に及んで邪魔をするのか」
「相も変わらず人相の悪いことだ。…さあ、行きなさい静馬」

その五芳星の結界に、幾重も闇の蔦が絡みつこうとしている。けれど青年の唇がほころんで何か言葉を吐き出すと、それらは光の粒子となって昇華してしまっていた。月のない夜のような暗闇に散るそれがとてもきれいで、思わず静馬はそれを見上げていたのだけれど、その言葉に慌てて走り出す。青年を威嚇した男の声はひどく恐ろしく、静馬はそれから逃げないといけないような気になったのだ。

静馬は走った。暗く長い道は、道の両脇に浮かぶ蒼い狐火が照らしてくれた。走っていくうちに最初はまだ童形をしていた静馬はいつのまにか前髪を切り、纏うものも大人びて、背が伸びている。けれどまだ道は薄暗く、青年の言った「静馬を救おうとする手」は見つからない。

たくさんのものが道にはあった。初めて退治しようとした、深窓の姫君にとりついた猫又の姿があった。行楽に訪れたさきの川で因縁を付けられた河童の姿も見える。夜の朱雀大路を歩いた静馬を寄ってたかってもみくちゃにした百鬼夜行の幾人かも。けれど狐火がうまく静馬を導くから、静馬はそれらに捕まることなく道を駆け抜けることが出来る。

暗闇を行くうち、静馬はすこし、静馬を眠りに誘った声のことを考えてみた。弱く、無力で、何の役に立たない。そう静馬の耳元で、言ってほしかった言葉を囁いたあまく暗い声のこと。静馬はほんの少しもあの場で役に立たなかった。普段なら出来ることすら出来なかった。―――はて、それは、どんなことだったか。ふいに思い至り、静馬は足を止める。

胸に入りこんできた暗くあたたかく甘美な闇。それがじわじわと、静馬の胸を這いまわっているらしい。なにか大事なことのはずなのに、どうにも思い出せなかった。どうして静馬は、無力であることを厭うのか。弱いことを嘆き、役に立たないことを憂うのか。思い出せないで、立ち止る。

すると道を照らしていた狐火の光が、ゆらゆらと揺らいでいくのがわかった。静馬はそれを目で追う。すっかり蒼のひかりが消えてしまうと、静馬は真っ暗闇のなかにひとり、取り残されてしまったようだった。

「…おやおや静馬、どうしたんだい。こんなところで道草を食って」

ぽつねんと立ちつくして、なんにも考えられないでいた静馬に声をかけてくれたのは、やはりというべきか先ほどの青年だった。どこかに隠し持っていたらしい干し柿を齧りながら、背後から静馬に声をかけてくる。不思議なことに暗闇の中で、かれの姿はふわりとやわらかな光を纏って浮き上がって見えた。

「…あなたは?」
「残念だけど、僕はおまえの光ではないよ、可愛い子。まああの気持ち悪い男につけまわされるのは僕のせいだから、露払いはしてあげる」

静馬とよく似ているのにどこかが明確に違うその青年は、そうっと静馬のほおを指先で撫でた。びりびりと身が引き攣るような力が、身体に満ちるのが分かる。身を浸していたあのやわらかな闇が薄れていく。静馬はようやく、ともかくどこかへ進まねばならないことを思い出した。狐火が照る。

「さあ、行きなさい。…耳を澄ませて、もう声は聞こえるよ」

頷いて、かれに背を向けて再び走り出す。やはり辺りは暗かったが、行くべき先は見えていた。









top main
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -