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5



「じゃあ、頼んだわ、シルヴァ」
「はい」

アカネがひとしきりスグリと楽しそうにおしゃべりを終えたあと、アザミがそうシルヴァに声をかけた。頷いて、スグリを促して立ち上がる。名残惜しそうにスグリを見たアカネが、それでもにっこりと笑って手を振った。シルヴァと居る時よりもすこし大人っぽく見える表情で、スグリが手を振り返す。兄の顔、といったところだろうか。

シルヴァのきょうだいは姉だけだ。だから、兄というものの気持ちがすこしもわからない。わからないけれどスグリを見ていると、ひどく強いものに思えてしようがないのだった。そっと、けれど確かに見守る、そんな深い家族愛は、姉のそれとはまた少し違っている。シルヴァは、そんなふうに思っている。

アザミの家を出ると外はひどく冷えていた。あたたかい屋内から急にそとの気温に晒されて身を竦めたスグリの手を握り、シルヴァは早く帰ろう、とかれに呼びかける。向かい風に息を詰めながら、なんとか理解したらしいスグリが何度も頷いた。

ぎゅっと強く握った掌はシルヴァのそれにくらべたらだいぶちいさい。確かに骨格に女のような円みはないけれど肩も華奢だし、体重だって軽いから、シルヴァは突然ふいとスグリが消えて無くなってしまうような、あるはずもない恐怖に怯えることがあった。それがいま、たとえば疫病という形を取って目の前にあって、シルヴァは深く嘆息をする。

「シルヴァ?」

掌を引かれ、シルヴァは首を振ってくしゃりとスグリの髪を撫でた。明日からしばらく家からは出られないから、スグリは退屈してしまうかもしれない。けれど病のほとぼりが覚めるまではせめて、かれに外に出てほしくなかった。とりあえずはそれを説得する作業から始めなければならなさそうである。

冷え切った空気と雪が積もった足元は、いやおうなしに身体を冷やす。家について外套の雪を払い、靴を乾かしてしまってから、シルヴァは夜食に幾許かの果物を楽しげに食卓に並べているスグリを不安な気持ちで眺めた。かれは前日まで平気そうに見えたのに朝になったら高熱を出したことがあるので、シルヴァはどうにかかれの不調を見抜こうと思っているのだけれど、やはりどこにも具合の悪そうな様子は見当たらない。けれどなんとなく安心が出来なくて、シルヴァはすっかり支度を終えて長椅子に腰掛けたスグリの隣に座ってぎゅっとその身体を抱きしめた。

スグリは、体温が低い、と思う。

「スグリ、話がある」

蒼い瞳と見つめ合って、瞬き二回。神妙な顔をしていたらしいシルヴァに緊張した面持ちで頷いたスグリに、シルヴァは手ぶりを交えながら三日間の外出禁止を告げた。疫病のことも。…けれどどうしても、かれの故郷のことは口に出せなかった。聞かれたら答えよう、と思ったけれど、スグリにはそれが難しいとしっているから、これはただの言い訳だ。シルヴァは、怖い。スグリが故郷を心配して望郷の念を持つことも、故郷のことを気に病むことも。

けれどかれが疫病、という言葉をなんとか呑み下したところで、その顔に灯ったのはひどく不安そうな表情だった。そのあおいろを彷徨わせて、大丈夫なのか、と言った旨のことを聞いてくる。

「アカネ、…伝染らない?」

暫しの間瞠目して、それからシルヴァは不安げなスグリの頭をぽんぽんと撫でた。まるで子供にするようなそれにちょっと唇を尖らせたスグリは、けれど答えを得るまで引こうとはしない。

「アカネはアザミの後継ぎだからな。手当の方法を見て、それで覚えるのが義務だ。それがアカネの覚悟だから、見守ってやらないと」

けれどその答えはきっとスグリには難しい。単語だけいくつか聞きとって、それでもそれらを結び付けられなくて困った顔をしている。シルヴァのほうもこれをスグリに伝えてやるのはすこし難しそうだった。…スグリはきっと知らない。このムラでは、女であれ子供であれ与えられた職務は全うすることになっている。それが困難や危険を伴うことであっても。それがこのムラで生まれ育ったものの誇りだった。

ましてアカネは珍しい、このムラで生まれ育った娘なのだ。人一倍その誇りへの思いが強い。彼女はいくらスグリの願いでも、疫病を恐れこの家に留まることを良しとすることはない。それがアカネの覚悟であり、そしてアザミの覚悟でもあるのだ。

「…」
「難しいか」

スグリは神妙な顔をして黙りこんでしまった。意味はすべて理解できなかったとはいえども、きっとアカネにも事情があるのだということは出来たに違いない。スグリの言いたいことも分かる。だが、どうにもならないことも儘あるのだった。

「スグリ」

抱えたかれの肩に力を込める。抵抗なくこつんとシルヴァの胸に頭を押し当てたスグリは、暫しの逡巡のあと、小さく頷いた。かれが理解しきれたのかはわからないし、きっとまだかれには、…獣の命を奪うことでしか生きながらえる手段のない狩猟民族でないかれには納得できないこともあるのだろうと思う。けれどそれを全てひっくるめて、シルヴァはこうしてスグリを守っていくつもりでいた。この三日の間に何があるのかは分からなかったけれど、それだけはシルヴァの胸に少しの揺らぎもなくある信念である。

「…うん」

頷いたスグリが、それからちいさくくしゃみをした。はっとして額に手を当てると、少し熱っぽい。慌てた様子のシルヴァに風邪だよ、と笑ったスグリを、とりあえずシルヴァは布団でぐるぐる巻きにして寝台に寝かしつけることにした。








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