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「…―――戻らねえって、言ってんだろうが」

悠里は低く低い声に怒鳴られて、思わず身体を竦ませた。…もちろんこの怒鳴り声は、聞いたこともないような怖い声は悠里にぶつけられたものではない。屋上までの扉を挟んだ向こうで聞こえるそれですら、悠里には十分恐ろしかったけれど。

…雅臣が居城をかまえているはずの、屋上。そこに続く階段に、悠里は書類を抱えて立ちつくしている。

「ですが、雅臣様――」
「くどいんだよ。…もう一度言うぞ、帰れ」

聞いてはいけない会話だ、ということはすぐにわかったのに動けなかったのは、ひとえに悠里がこの異様に緊迫した雰囲気に呑み込まれてしまったからだ。怖い。指一本動かせなくて、逃げ出すことすら出来ないで立ちつくしている。

僅かな沈黙が広がったのち、がちゃりと音を立てて屋上に繋がる扉が開いた。咄嗟に悠里が避けたから、そこから弾かれるように飛び出てきた人物とはぶつからずに済む。明らかに悠里よりもだいぶ年上の、スーツを纏った大人の二人組だった。一目見ただけで悠里には想像もつかないような高いスーツだとすぐにわかる、仕立ての良いそれ。明らかに一般人でない身のこなしをしたかれらは悠里に一瞥もくれずに、そのまま階段を駆け下りていく。

「…悠里」

茫然とした声で名前を呼ばれて、悠里はなんとなくスーツの背中を追っていた目線を持ち上げた。屋上の扉を閉めようとしたらしい雅臣が、逆光で悠里を見下ろしている。

「…あ、その、悪い。盗み聞くつもりじゃなくて…」

聞かれたくない内容だったろうことはすぐにわかったから、悠里はとっさに謝っていた。けれど雅臣はその口元にちょっとだけ自嘲気味な笑顔を浮かべて、ちょいちょいと悠里を招き寄せる。

「いや。…びっくりさせて、悪かったな。上がって」

その声は先ほどの、身体が射竦められるような強烈な圧迫感など微塵も感じさせない、いつもの雅臣の声だった。ほっとして頷いて、悠里は残り数段の階段を上がる。雅臣はとりあえず悠里を風紀委員の根城である小部屋のなかまで入れると、鍵を閉めてソファを悠里に指し示した。

「…どこから聞いてた?」
「いや、とくには…」

そっか、といって、向かいに座った雅臣が深く嘆息をした。悠里は罪悪感に身体をむずむずさせながら、おずおず雅臣を見上げてみる。かれは気難しそうな顔をしていたが、悠里の視線に気付いて表情を笑み崩した。

「いい男には秘密の一つや二つあるもんだろ?」
「…わるい、ほんとうに、聞くつもりじゃなかったんだ」

俯いた悠里に苦笑いをして、雅臣はちょっと頬を掻いた。しゅんとしてしまっているかれに何から説明していいものか、少し悩む。

「さっきの奴らは俺の実家の関係でさ」

悠里になら、雅臣は、自分の実家のことを話してもいいと思っていた。あんなふうに言い争う場面を見せてしまっては、悠里のほうも聞きだしづらいだろう。自分から話を切りだすことで、少しは悠里もほっとしたようだった。

「…まあ、色々めんどくさいわけよ。親父とお袋が、王子と人魚姫くらいに身分違いだったわけもあってさ」

悠里にはたぶん、縁のない話だ。読ませてもらったあのマニュアルにも、さすがに登場人物のバッググラウンドまで詳しくは載っていなかったから。ぱちぱちと不安げに瞬きをした悠里は、続きを促すようにきゅっと自分の膝を握りしめた。雅臣はそれを目を細めて眺め、それから口を開く。

「前に、リオンんとこの親と色々あるって言ったろ?うちの親父はリオンの親とは商売敵でさ。で、さっきの黒服はそっちじゃなくて、お袋の実家の関係。財閥のひとり娘が堅気じゃない人間に惚れて駆け落ちってんで、相当に揉めたらしいな」

そうして雅臣が語ったかれの家庭の事情は、悠里の眼を瞠らせ、言葉を失わせるには十分すぎるものだった。氷の解けたアイスコーヒーで唇を湿らせ、雅臣は続ける。

「母方も父方も、跡を継げって煩くてよ。…全寮制のここに入ったのも、そういうのが鬱陶しくなったからなんだけど」

学校のなかにまで突っ込んでくるようじゃあな、とかれが笑うと、悠里はその人の善さそうな表情を僅かに歪めた。何と声をかけていいものか、迷っているような、そんな表情である。

「…で、そうだ。悠里は何の用?」

見かねた雅臣がそう助け舟を出してくれたのに、悠里は盛大に口ごもった。…学校内に入り込んでいる、不審な人影。もうすでにその正体を、悠里はさきほど眼前で見た。知ってしまっている。そんななか、それをどうにかしろとかれに言うことは、どうも雅臣には出来そうにない。

―――悠里は生徒会長なのだ。自分の力で、出来ることだって、きっと必ずある。

「…あのさ」

だから悠里は嘘をついた。そっと抱え込んだ書類に力を込める。それから目を細めて、笑った。

「台本も決まったことだし、ダンスの練習に付き合ってほしかったんだ」

雅臣はそんな悠里を見て、ほんのわずか逡巡したあと、いいよ、と破顔してくれた。











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