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贖罪のミンネ





イタルがセンリから解放されたのは、そろそろ夜が白みかけるころのことだった。かれがシャワーをつかう音だけが、隣の部屋からかすかに聞こえてくる。白いシーツの海に溺れ、イタルはぼんやりと天井を見上げた。もう子供とは呼べない年になり、魂の片割れと引き離されて数年が経ち、イタルを取り巻く世界は随分と様相を変えている。きれいごとを並べたてる心算はないしそれ相応のことはしてきたが、こうして肌の寂しい夜も、たまにはあった。

腕を伸ばし、届く熱はもうセンリしかいない。かれに手を伸ばせばかれは間違いなくそれを取るし、しあわせそうに笑いながらイタルに熱をくれるから、イタルは人の体温が恋しい時には決まってセンリを煽ることにしていた。…かれは、あたたかい。

イタルの世界が変わる前、そんなことは必要なかった。生まれる前から一緒にいた兄と、一緒に育ち、一緒に生きてきたから。同じベッドで眠り、同じものを見て同じことを感じて生きてきたから。けれどあの夜にかれだけがあの男の手の裡に落ち、そして自分はかれの名を叫んで手を伸ばすだけだった。イタルはかれと一緒ならそこが墓場だってなんだってよかったのに、それは叶わなかった。

「…――どうして、どうして兄さんを助けなかった!」
「…おれの力では、あなたを守るだけで精いっぱいでした」

その光景を思い出すたび、イタルはセンリの笑顔を思い起こす。イタルの血まみれの身体をその長い腕で大きな体で包みこむようにしながら、センリがイタルの頬に生温かく粘液の絡みついた手で触れるのを。血や肉やそれに準ずるわけのわからない物体で、イタルの頬を彩るのを。

「…すみません、イタル」

うっとりと目を細めたセンリは、血まみれのイタルを抱いてそれはそれは幸福そうにそういったのだった。ほんとうならば難なく兄も抱え込めたであろう手は、イタルだけを傷つけないよう壊さないよう大切に大切に抱くのに精いっぱいだったのだ。

意識を失い弛緩した兄の身体。それを抱えて笑いながら背を向けた、黒衣の男の姿。何もかもが灰塵と化し血の海に沈んだあの夜。イタルの世界が変わった日。

衝撃と悔恨と慟哭と、そして半身を失った痛みに耐えきれなくなったイタルは、その時そこで意識を手放したのだ。目が覚めたらイタルは、ここにいた。このベッドの上で、いまと同じように天井をぼんやりと見上げていたのを、思い出す。

「…何か、飲みますか?」

服の上からでは分からない美しい筋肉のついた身体を惜しげもなく晒しながら、上半身裸のままでセンリが部屋に入ってきた。その身体には傷ひとつ見当たらない。…それも、当然だったが。

「…」

咽喉が痛かったので、イタルはゆっくりと首肯だけを返した。薄暗い部屋でもかれの若草の瞳が綻ぶように笑ったのはわかる。お持ちします、といって踵を返した足音が遠ざかるのを、イタルはぼんやりと天井を見上げたまま待った。

寝返りを打つと濡れた髪が、シーツの上でぱさぱさと音を立てて跳ねる。頭の芯のほうがぼうっとしていて、ああそういえば結構酒を飲んだな、といまさらながらに思い出していた。そのせいか今日は、やはりひとりの寝台は広くて、寒い。

「どうぞ、イタル」

コップに水を汲んで戻ってきたらしいセンリが、恭しくベッドのそばに跪いてイタルの頬にふれた。かれが差し出すコップを受け取るのすら億劫で、イタルは重い瞼を閉じる。

「…飲ませろ」
「……はい」

従順な犬は、弛緩しきったイタルの身体を抱き起こすとゆっくりと水をその唇に含ませた。温くなった水がイタルの顎を伝い落ちるのを、その舌が追う。熱い。乾いた身体に水が沁みて、イタルはほうっと息を吐いた。重い瞼を持ち上げて目を開くと、センリと目があった。いつもどおり、その目はいかにも善人であるかのようにやわらかくやさしく撓んでいる。かれの手が、ふたたび丁重に柔らかな枕の上にイタルの頭を戻した。

「…おやすみなさい」

そっとイタルの額の際にキスをして、センリの身体が離れた。かれを引きとめようとは思わないし、引きとめることは出来ない。イタルはセンリのことを、よく知っている。かれがスーツに着替え、銃やナイフをたくさんアタッシェケースに詰め込む音は、すぐに意識のなかから追い出されていた。















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