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一先ずは静馬の身体を内裏の奥まった小部屋に運び、先ほどから都でも有数の陰陽師たちが集まって静馬の身体に巣食ったあの呪詛を呼び戻そうと術式を展開させていた。そばには九尾の狐が、ああかれは大妖なのだというような圧倒的な霊力の強さを隠そうともせずに不機嫌な面持ちで座っている。

葛葉は、幼き日の静馬をぼんやりと思い返していた。烏天狗の縄張りを気まぐれに横切ったときにかれらに襲われて、なんとか逃げおおせたもののかれらの操る風に脇腹を裂かれて蹲っていたとき、紅葉のようなちいさなてのひらに背中を撫でられたときのことを。そこからあまく芳醇な霊力が惜しみなく注がれて、傷がたちどころに癒えたこと。大丈夫か、と鈴の鳴るような声でいった童が、かれとかれの乳母が住む庵に葛葉を、…まだ「葛葉」でなかった葛葉を連れて帰ってくれたこと。

静馬と名乗った幼子の周りには、悪意のある妖たちがわらわらと群がっていたものだ。まだ七つ八つの、半分を霊界に浸かったままの年齢であったからこそ静馬は無事だった。かれが完全にひととなったとき、周りの悪かしき妖たちはその身の裡の霊力を寄ってたかって喰らおうと、そう思っていたようである。それは九尾の狐にも、容易くわかった。そして運のいいことに、九尾はそれほど霊力に飢えておず、そしてその童に恩を享けていた。それらを蹴散らすことに、九尾としては何の異存もなかったわけである。

「名がないのは不便だな」
「そうか?」
「そうだ。ぼくが、お前に名をやる」

まったく周りの不穏に気付いていない鈍感な童にそう言われたとき、九尾は拒むことをしなかった。その気高き孤高を契約というもので縛るとわかっていても、かれが自分に名を付けることを、そして自分がその名を受け入れることを、すこしも拒みはしなかった。

「お前の名は葛葉だ。きれいな名だろう。」

そういって笑ったこどもと、初めて自分の「名」というものをつけられた九尾は、従属の契約を交わしたのだ。…もう、十年以上前の話である。そのときからずっと静馬はその身に宿す眼を瞠るような霊力を、どうしようもなく妖を引き寄せるそのちからを、ただ自分の裡にばかり溜めていた。静馬はどんなに頑張っても、紙の式ひとつ、邪祓いひとつ出来はしなかった。…それが、かれの身体に流れる血のせいだったとしたら?

かれの母が、たとえば安倍清明の母がそうだったように、狐狸や妖怪の類だったとしたならば、すべての説明は簡単についた。半妖はひとであってひとでない存在だ。葛葉のように自在に霊力を操ることはできない。清明のように規格外の存在でなければ、数馬のように霊力でもって妖怪の類を調伏せしめたり、式神を操ることもかなわない。どちらにも属さぬ、宙ぶらりんの存在だ。

「っ…、ああ、あァ!!」

布団に寝かされた静馬が、低くくぐもったうめき声を上げた。はっと我に返り、葛葉は静馬の顔を覗き込む。眼は閉じているものの、その表情は苦悶に歪んでいた。

「静馬!」

名を呼んでその手を握りしめると、静馬のなかで脈打つ呪詛が葛葉を拒絶するように唸った。手を灼く霊力はたしかに静馬のそれだ。煙を上げる手のひらに舌打ちをして、葛葉は苦しそうな静馬をじっと見る。

「くそ、どうすれば…」

どんな術式も悉くを無効化されているらしい数馬がぐしゃぐしゃと髪を掻き回す。あまり静馬に似ていない精悍な顔をしたかれに、となりの陰陽師が気の毒そうな眼を向けた。

「…数馬殿、楽にしてやったほうが……」
「ふざけんな!静馬に手ェ出したらぶっ殺すぞ!」

数馬が何かを言うより先に、その男の胸倉を葛葉が掴みあげて怒鳴る。九尾の狐に一喝されて、男は完全に萎縮してしまっていた。そんな状況を見かねてか、そばで事態の推移を見守っていた帝が声を上げる。

「無駄じゃよ。仮令どんな剣を以てしても、既にその子は殺せまい。その身ごと儂を殺す呪具になり果てても、な」
「…しかし、それでは」
「何、打ち破ればいいのだ。その呪をな」

葛葉はその金色の眼で、今上帝をねめつけた。かれは微動だにしない。じっと葛葉と見つめ合っている。

「こいつはてめえほど丈夫じゃねえんだよ」
「それはどうだかな?…曽祖父にも血が混ざっておるのなら、儂より幾分お前に近かろう」

その会話に僅かに違和を覚えた数馬がふたりに言及するよりさきに、静馬の身体が布団のうえで大きく跳ねた。苦しげな声がその喉を漏れる。

「四縦五横、吾今出る、我に中るものは死し我に背くものは亡ぶ…」

その胸に九字を切り、数馬は必死に弟を蝕む呪詛を取り除こうとした。父から言い含められていたことを思い出す。…きっといつか静馬が苦しんだとき、お前が守ってやるように。それは思えば、この事態を予言していた言葉なのかもしれなかった。

「―――急々如律令!」

術式の発現を命ずる呪を、数馬が唱える。静馬の胸がひと際大きく跳ねた。一瞬解呪が成功したと思われたその時、ゆっくりと静馬が眼を開く。その目は、爛々と紅く輝いていた。

「…久しいな、春宮」

そしてその唇を滑り出したのは、まさしく地の底から響いてくるような、そんな声だった。視線は真っ直ぐに帝に向けられている。葛葉がその眉を不穏に潜めた。けれど静馬を取り押さえようとした蔵人たちは、静馬を取り巻く邪悪なちからに大きく後方に弾き飛ばされていた。びりびりと空気が引き攣っている。何もしていないのに、その圧倒的な力でもって、控えていた陰陽師を何人か昏倒させていた。

事態をじっと見守っている帝の表情が、僅かに歪む。葛葉はなんとか冷静を取り戻すと、静馬に巣食うものを見極めようと目を細めた。力づくでも呪詛を、静馬から引き剥がす心算でいる。

「…蘆屋道満、それは清明ではないぞ」
「呵々、知っておるわ。よう似ておる。…実に居心地がよい」

帝の低い誰何に、静馬の身体に巣食うそれ、清明の仇敵にしてかれに術比べで負けて命を落とした悪しき陰陽師の亡霊は笑い声を上げた。にやりと笑った顔は静馬のものなのに、似ても似つかない表情をする。それがひどく腹立たしくて、葛葉は道満に自身の存在を悟らせまいとすることにひどく気を使った。すこしでも気を抜けば、この部屋を吹き飛ばしてしまいそうなほどには霊力をほとばしらせてしまいそうだったからである。

「狙いは何だ、蘆屋道満!」

流石というべきか圧倒的な静馬のその力を借りた蘆屋道満の禍々しい圧力を前にしても、数馬は屈しなかった。弟の身体に触れようとして、そしてその霊力に指を灼かれて眉を顰めている。傷口が真っ黒になっていた。おそらくは、そういう呪詛なのであろう。

「清明の血筋か。…この身体とは似て非なるな」

道満の意志がそう嗤う。支配した静馬の腕を持ち上げて、その爪で薄い皮膚を抉った。滴り落ちる赫に舌を這わせ、不穏に頬を歪めている。

「素晴らしい霊力だ。これならば、貴様だけでなくこの都、日の本を支配することも容易かろう」

葛葉は静かに呼吸を整える。…なんとしてでも救ってやらなければ、と思っていた。その類まれな霊力をちっとも使いこなせていないうえに、あの蘆屋道満にやすやすとそれを使わせてやっている、まったくもってどうしようもない、かれのあるじを。







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