てきすと のコピー | ナノ



割れたガラス





両親に愛情を与えられずに育った俺は、成長するにつれて自他ともに認めるお人好しになった。誰かにやさしくすればかならずそれは自分に返ってくると教えてくれたのは唯一俺にやさしくしてくれた保育園の先生だった。その言葉を聞いて、俺でもだれかにやさしくしてもらえるのかもしれないと思った時、そのときからずっと、俺はそれだけ信じて生きて来たわけだ。

俺のやさしさや人の良さは、そんないびつなあさましい下心に由来するものである。

たとえば重そうな荷物を持ったおばあちゃんを手伝ってやったり、雨の日にぽつんと佇む犬っころを家にいれてやったりだとか、そんなふうな小市民的人の良さがこんなことになるなんてもちろん俺は知らなかったというわけ。

雨に濡れたその大型犬を拭いてやったら青いバスタオルが真っ赤に染まり、ついでにそのほおを赤くした、鋭い端正な顔をした男がありがとうと恍惚に笑み俺の前に跪きまるで映画の中の王子様みたいに手の甲にくちづけを落とすなんて、いったいだれが想像できたろう?

…先生の名誉のためにいっておけば、先生の言葉はウソじゃなかった。俺のちょっとした親切は俺に返って来た。俺をカツアゲしようとしたコンビニの前のヤンキーや絡んで来た酔っ払いをふた目と見られないさまにするような、そんな厄介な刃となって、だったけれど。

「絡まれすぎだろ、あんた」

そんなことわかってた。俺がお人好しだってことに付け上がってパシリやカツアゲをするやつは絶えなかったし笑いながら殴られることにも慣れている。けれど近頃、俺はそれをひどく懐かしんでいた。

血の海という表現は、えてして間違っていない。近所のコンビニで好きなアイスが売り切れだったから足を延ばしたせいで、繁華街を通ったのが運の尽きだった。というのに気づいたのは、俺を見て指を差し笑った男たちがそそくさと足を早めたところを先回りし、肩に力一杯ぶつかって来た時。

「触んな」

薄々勘付いてたけどやっぱり家で待ってられなくてついて来てたらしい例のかれが、そういいながらひとりの背中を蹴り飛ばす。唖然としたのは向こうのほうだったに違いない。そしてそこにあるホストクラブで出たらしいごみ袋に頭から突っ込んでったそのかれに呆気に取られたお仲間の顔面に拳を沈めたかれが、不自然なほどのやさしさで俺を奥に押しやって楽しそうに笑いながら悲鳴を輪唱させるのを、俺はもちろん、見守るしかなかった。

ネオンの下で揺れるその短く切った痛んでいそうな金髪が、数日前買ってきたピアッサーで無理やり俺に穴を開けさせた耳たぶにひかるピアスが、どれもひどく眩しい。眩暈が、しそうなくらいには。

「だから最初から、ついてくっていったじゃん」

だってお前は、たとえばこんなふうな状況になったなら、こうやってひどく楽しげにこんなことをするだろうから。俺は出来るだけ、お前を家に閉じ込めていたかった。善良な一市民として当然のそんな思考ごと飲み干すように、かれは続けた。

「オレ、あんたのこと怖がらせたく、ねえのに」

そう言ってかれは、ほんのすこし寂しげな笑顔を見せる。俺はかれのことをその名前しかしらない。どうしてこんなことをするのか、どうして俺にそれほど肩入れするのか、どうしてそんなに強いのか。俺は、なんにもしらない。ただぼさっと茫然と、かれのその乱闘を見守っている。

全てが片付いてじっと見下ろしていた俺のスニーカーのそばまでその血だまりが広がってくる。思わず身体を強張らせて後ずされば、ネオンの下で金の髪が輝いていた。かれは立っている。ひとりだけ、だ。その拳を真っ赤にして、微笑みながら俺を見てる。お待たせ、と、まるで五分くらい待ち合わせに遅れてきたやつみたいに、いった。

「これじゃ、コンビニいけねえな」

ちいさく笑いながら、かれはじょじょに俺の家に増えつつあるかれの服でその掌をぐいっとぬぐった。立ち竦む俺に近付いて、そうっと髪を撫でてくる。血の匂いがした。

その肩の向こう。動転した白目と、口から溢れている血と、変な方向に折れまがった手足。辛うじて息はあるようだけれど、そこにあるのは俺には刺激が強すぎる光景だった。俺が。俺が、絡まれたから。俺がかれらの目につく場所に、いたから。…俺が、かれを置いて、家を出たから。血だまりが、俺に迫ってくる。

「…う、ァ」

胸をせり上がってくる不快感に思わず咽いだら、かれは心配そうにその眉を潜めて俺の顔を覗き込む。地味過ぎて逆に目立ってしまうような、俺のやぼったい黒髪を心配そうに掻き混ぜて、大丈夫か、と小さく不安げな声を出す。…今の今までその頬を狂気に、狂喜に染めてこの惨劇を作り上げた人だとは思えないくらいの、まるで親に置いて行かれた子供のような顔だった。…幼いころの、俺の顔だ。

血の匂いが、鼻腔に張り付く。殴られ蹴られた俺の口のなかに、いつも広がっていた味が思い出される。腹を蹴られ、踏まれ、そして染み付いた、感覚。

咄嗟にかれの手を振り払って血の海に吐瀉物をぶちまければ、焦ったように俺の名前を呼んだその熱い掌が背中を撫でてくれた。ぼとぼとと跳ねたそれが血を撒き散らす。かれと俺のジーンズの裾に、染みが広がる。

「…ッ」

なにかを堪えるようにへにゃりと顔を歪めたかれが、手が汚れるのも構わずに嘔吐し終わった俺の唇を拭ってくれた。ひくひくと横隔膜がけいれんを繰り返す間、かれは何も言わずに俺の背中を撫でつづけている。口の端からもう何も残っていない胃液と涎の混じったのを垂れ流した俺に、蕩けるような笑みを向けて。

「……」

口元を鉄臭い服の端でぬぐってくれたかれは、俺の手を握った。すでに背後で俺よりもずっとひどい状況になっているかれらは意識から完全に消え去っているらしい。

「…やっぱ、きれいだ」

かれはそうべっとりと血のついた頬をやわらかいあかに上気させて、ネオンの下、静かに俺のてのひらに口づけたのだった。











「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -