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俺を連れた渡里が辿り着いたのは近所の自然公園だった。民家の明かりもたどり着かないような、薄暗い森をずんずんと渡里が進む。ちらりと空を見上げると、家よりもずっと明瞭に冬の大三角が見えた。
「あれはヘカー。あっちは大三角のベテルギウス。オリオンの三つ星に、あれはタビト」
俺の手をとった渡里が、そう言いながら星々をなぞった。俺は、びっくりのあまり声が出ない。 冬の夜空には無数の星がある。いくらオリオン座が目立つからって肉眼じゃ全部は見えないし、見える星がどれかなんて、俺でも望遠鏡なしには即答はむずかしい。
「あれは御者座のカペラ。全天で六番目に明るい星だ」
呆然と黙り込んだ俺を前に、渡里はカバンから大きなシートを取り出した。そこまで来てやっと、渡里がなにをしようとしているのかわかる。昔親父が小さい俺を肩車して、同じようなことをしていたのを思い出していた。
…これは、流星群の観測だ。
「 …渡里」
「今まで何かに熱中したことなんてなかった。ずっと。…でも、昴はさ、夢中だっただろ。お前の話きいてて、ああほんとうに好きなんだなって。すげえって思った」
広げられたシートに渡里が寝っころがる。促されるままに、俺も隣で横になった。 頭は混乱しっぱなしで、渡里の言葉を噛み砕いて理解するまでは思考が追い付いていない。ただ思うのは、星がきれいだな、って、それだけだった。
こんなふうに外で天体観測するのは、まだ親父が生きてた時以来だった。冬の風が寒い。
「すごい楽しそうに話すから、俺は昴の話を聞くの好きだったよ」
渡里の声がする。涙が風に冷やされて、俺のほおをひりつかせた。いつのまに泣いてたんだろ。なんかほんと、渡里のことになると、俺は泣いてばっかりだ。黙りこんだ俺の沈黙のなかに渡里の声だけがする、静かな夜だった。まえとはちがうな、って思う。いつも、話すのは俺だったから。
「…ごめんな。でも確かに、話の中身はわかってなかった」
謝らなきゃならないのは俺なのに、渡里はそういってちょっと笑った。笑い声なのに、くるしい。胸がいっぱいになる。何も言葉が出なくて、俺はただただ黙っている。相変わらずコミュニケーション力がない。
「俺さ、好きだったんだよ。昴のこと」
星が落ちたのが、涙でにじむ視界でもわかった。冬のダイヤモンドのそばを、流星が駈けていく。息が止まった。
「話聞いてるだけでよかった。昴が楽しそうだったから。でも、なのに、傷付けてた」
「…な、」
なにか言いたかったのに、言葉が出なかった。それって、つまり、つまり。頭の中で答えが出そうで、でも見つけちゃいけない気もしてる。
俺は、渡里の好きなものを知りたかった。渡里がどんなことを考えているのか知りたかった。俺が渡里に大好きな星の話をするように、話してほしかった。俺は、それが友達だと、そうやって思っていたから。
「…あれから色々勉強した。お前が言ってたこと、いまは全部分かるよ」
噛み殺しきれなかった嗚咽が漏れた。 隣で渡里は、どんな顔をして星を見上げてるんだろう。やっぱり俺は自分勝手で、自己中で、ひどいやつだった。なのに渡里は、ゆっくりと息を吐いて笑うだけ。
「だからさ。…な、また今度、話聞かせてよ。」
こんなに俺のこと考えてくれてるひとがいたってのに、俺はずっと渡里から逃げることばかり考えていた。俺の言葉が渡里をどう変えたのか考えるのが怖くて、だから逃げ出したかった。けど渡里はこうやって、何度だって俺に手を差し伸べてくれる。なのに、…なのに。
俺は来週、アメリカに渡るのだ。 渡里はどんな顔をするだろう。なんて言ったらいいんだろう。
「…わたり」
大きく息を吸い込んだ俺に、渡里が言葉を切った。星がまた降る。三大流星群のなかでもこれは、一番の規模と言ってもいいものだった。双子座流星群。また、双子座だ。…いつもの俺ならなんにも考えないで熱中してるはずだけど、いま、俺はそれどころじゃない。
「…俺、渡里に会って、話聞いてもらって すごい楽しかったよ。星の話できる友達なんて初めてで、浮かれてた。学校に通ってたんじゃなくて、渡里に会いに行ってたようなもんだった」
涙声はひどく聞き取りづらい言葉になった。ほんとカッコつかないなあ、と思う。なんで渡里は俺なんかを好きになったんだろう。もったいない。
「ひどいことばっかりしたのに、ごめんな、ありがとう」
星なんてなんにも見えないぼやけた視界が、ふいにいろを変えた。瞬きを何度かすると、渡里が俺を覗き込んでるってのがわかる。
「…すばる?」
冬の夜空には、プレアデス星団がよく映えた。流星群とは違う輝きがぼんやりと空に見える。すばるだ。澄んだ冬の蒼穹によく映える星。
「俺さ、来週、アメリカに行くんだ」