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ようやくシルヴァが役目から解放されたのは、夜が更けて鋭い月が空に浮かんでいる刻限のことだった。仲間たちと別れ、アザミの家へと向かう。彼女には疫病の報告もしなければならなかった。薬の知識に乏しいこのムラにとって、女たちに薬草の処方や怪我の処置の仕方を教えるアザミの存在は、こと病にかけてはかけがえのないものである。

灯りのついた家に着くと、かるく扉をノックしてからシルヴァは中を窺った。アカネといっしょにこのムラの文字の勉強をしていたらしいスグリが、扉を開けたシルヴァに気付いて顔を上げた。その顔がシルヴァを認めてぱあっと輝くから、シルヴァも表情を笑み崩してしまう。

「シルヴァ」

あまり文字を書く習慣のないこのムラでも、失われてはいけない伝統的な儀式の方法や薬の調合法なんかを書き残すためにこの文字が使われているのだった。いずれはアザミの跡を継ぐだろうアカネにはもちろん継承されるべきものだが、スグリにはすこし難しいかもしれないとシルヴァは紙に綴られた言葉を見て思った。シルヴァも正直、そこに書かれてあるすべてを理解できるとは思えない。

「アザミは?」
「ごはんつくってるよ。用事?」
「ああ」

スグリの頭を軽く撫でながら、シルヴァはちょっとだけ残念そうな顔をしたアカネに声をかけた。シルヴァを始めムラの男にはまったくといっていいほど懐いていないアカネが、これほどスグリに懐いたというのは凄いことだと思う。姉妹がたくさんいたから、とスグリがいっていたから、きっとそれだ。このムラは何の因果か女が生まれることがひどく稀だ。幼い少女の扱いに慣れている人間など、このムラには居ないのである。

「スグリ」

アカネは椅子から立ち上がりながら、スグリの言葉で何事かをかれに告げていた。笑いながら頷いたスグリに顔を輝かせ、アザミを呼びに駆けていく。

「なんて言ったんだ?」

そうスグリに尋ねてみると、スグリは考え込む素振りを見せた後、続きはまた今度ね、とでもいうふうな感じのことをいう。スグリをシルヴァにとられたような気分になっているらしいアカネを微笑ましく思いながら、シルヴァは椅子を引いてスグリの綴っていた文字を目で追った。

どうやら薬草の精製法について書いているらしい。森の中で暮らしていただけあって、スグリの薬草の知識はなかなかなものだ。実際に作ったり手当をしていたのはかれの家族だったようだが、最初こそ見よう見まねだったスグリもこのムラで暮らすようになって、怪我人の量が段違いに多い状況のせいか随分と上達したようである。

シルヴァは暫し、かれのムラのほうからこちらへと迫り来ているらしい疫病についてスグリに話そうか迷った。心配を煽るだけになることは確かだ。シルヴァは無論、スグリをムラに帰してやる気はない。けれど黙ったままでいるのも罪悪感を覚えることにかわりはなかった。

「シルヴァ?」

紙を手に取ったまま黙りこんだシルヴァに、スグリがそっと声をかけた。はっとして首を振り、シルヴァはスグリに笑い掛けてみせる。自分を信じきった瞳は、それだけで安心したように綻んだ。アカネがアザミを連れてきたから、とりあえずシルヴァはスグリの件を保留にしてかのじょに件の話を始めることにする。

「今日、行商人から、疫病の話を聞きました」

スグリにはまだすこし、難しい話であるようだ。けれどアカネにものを尋ねることもせず、邪魔にならないようにじっと話が終わるのを待っていた。疫病は山の向こうから迫ってきていること。風向きを鑑みると、ほぼ確実にこのムラにも飛び火するということ。薬がまだないらしいこと。アザミは難しい顔で考え込んでいる。

「どうしましょう。…今夜あたり、おそらく天気が荒れるわ。風に乗って疫病がやってこなければいいのだけれど」
「ねえ、最近へんな風邪を引いたひとが多いよね」
「…ええ、そのとおりね。もしかしたら、もう流行りはじめているのかも」

そう言ったアザミに、アカネが心配そうな顔をした。もし疫病が流行れば治療を一手に引き受けるのはアザミだ。女たちに指示を出すとはいえ、最も病気に触れる機会が多いアザミがいちばん危険に晒されるからである。

「しばらくはそれぞれ家から出ない方がいいでしょうね。…シルヴァ、皆に伝えてもらえるかしら」
「わかりました。嵐が去ったあと、何日くらい見ればいいですか?」
「二日…、いいえ、三日ね。明日から数えて三日、外出は極力避けるように。体調が優れないものはすぐにここに集めてちょうだい」

スグリも、会話の内容が不穏なことはなんとなくわかったようだった。隣に座った肩が、小さく身震いするように揺れる。机の下でその手をぎゅっと握ってやると、驚いたようにスグリの目線がそよいでシルヴァのほうを見た。

「…あたし、ちゃんと手伝うから」
「ええ、お願いね、アカネ」

随分と大人びたふうにアカネが言って、アザミは微笑ましそうに頷いた。その横でアカネがスグリに何かを話し掛けているけれど、内容まではシルヴァにはわからなかった。アカネは流暢にスグリの言葉を操るが、どうにもシルヴァにスグリと話す内容を教える気はないらしい。完全に敵愾心を抱かれている。ちょっと苦笑いしてから、話がまとまったのを確認して、シルヴァはアカネとスグリの話が終わるのを少し待った。

――アカネは、シルヴァとよく似ている。両親を失い、たったひとりで育ってきた。ただアカネはこのムラではごく稀な女だったからアザミに引き取られ、シルヴァはひとりで生きるために狩りをして、実力を示して今日まで来た。けれど境遇だけは酷く似ている。まだシルヴァが子供で、姉とふたりだったころ、幼かったアカネが両親を喪ったと聞いた時から感じている親近感を、実のところシルヴァはまだ捨て切れていなかった。





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